010. 機嫌は直った?(3)
二足歩行で、その種としては比較的小型。
マルチェさんより、一回り大きいくらいだ。
体格とは不釣り合いなほどに、手から生えている爪が異様に長い。
まるで、首を刈る鎌のように。
「グ、グァシュ……」
躊躇しているのか、肉食らしき小型恐竜はやや後退。
「キューイ、焦らず慎重に」
「キュイ」
茂みに潜む飢えた気配に、キューイはすでに気づいていた様子。
高く上昇して、吾輩に答えてくれた。
「大丈夫かい、クーリア」
「う、うん……へ、平気だよ」
戸惑いながらだけれど、クーリアも状況を理解できたらしい。
今夜の獲物を探していたグシカ森林の狩人が、たき火にも恐れず、吾輩たちを襲ってきたという事実を。
小型恐竜の腕の傷は、マルチェさんが投げ込んだ武器によるものに違いない。
あの爪による攻撃を防ぎ、なおかつユッカちゃんの盾となるために、彼女は投てきという牽制手段を選んだんだ。
なるほど。
いくら魔法に長けたウィヌモーラ大教の巫女だとしても、ユッカちゃんは武人ではないんだ。
魔術師同士の決闘や、それに類似したシチュエーションでならとにかく、刃物や鈍器による攻撃、あるいは空腹に耐えかねた生物からの強襲などには、素早く反応できるはずがない。
こういう場面において、保護者兼護衛役である戦士が、ユッカちゃんには必要になるんだな。
「た、助かったぞ、マルチェ」
大きな体で覆われている下から、ユッカちゃんの声が聞こえた。
彼女も、事態を把握できたらしい。
「ワガハイさん、少しお任せしてもよろしいですか?」
「ええ」
素早く会話を交わした吾輩とマルチェさん。
続けて吾輩は、腕の中のクーリアへ。
「ユッカちゃんのこと、頼んでもいいかい? 吾輩は、あの恐竜の相手をしないと」
「う、うん」
うなずいてくれたクーリアを抱き起こして、吾輩は剣を抜いた。
マルチェさんも立ち上がり、そのまま茂みの中へと加速。
小型恐竜の脇を、素早く抜けていく。
彼女の動きに反応して、小型恐竜が旋回。
腕の負傷で興奮しているのか、それとも飢えているだけか、森の狩人は、刃物のような爪をマルチェさんへ向ける。
けれど、彼女には届かない。
回り込んだ吾輩が、鋭い爪を剣で受け止めているから。
「キューイ、頼むよ」
「キュイ、キュイ」
吾輩の求めに応じて、キューイが空中で口を開く。
火炎放射攻撃だ。
「グ、グァシュ!?」
致命傷にはならないまでも、ドラゴンのブレスにひるんだ小型恐竜。
そこに、マルチェさんの声。
「お待たせしました、ワガハイさん」
剣を弾き上げて、すぐさま後退する吾輩。
入れ替わるように小型恐竜へ向かうのは、投げた武器を回収してきた彼女だ。
「はっ」
あの大きな斧槍を、飢えた狩人へと薙ぐ。
一線。
首刈り鎌のような鋭い爪は、汚れた鱗の指先をかすめつつ、そのすべてが斬られて落ちた。
「キャグァシュァァァァァァァァァッ!?」
血を滴らせながら、叫ぶ小型恐竜。
巨大な武器を軽やかに、なおかつ的確に操ってみせたマルチェさんを前に、もはや戦意など失せてしまったんだろう。
爪を失った狩人は、逃げるように茂みの奥へと消えていった。
あれでは当分、獲物を襲うことなどできないはずだ。
周囲を確認。
他に飢えた気配はないようだ。
吾輩は、静かに剣を収めた。
「ワガハイさん」
そこで、マルチェさんが呼びかけてきた。
彼女は、すでに武器を背中に戻していて、すっかり闘気を沈めている。
「時間を作っていただき、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
先ほどの恐竜を追い払ったのはマルチェさんだ。
吾輩は、少し援護をしただけ。
それに今回も、
「キュイ、キュイ」
吾輩より活躍したのは、頼れる白き仲間なんだから。
誇らしげに近づいてきたキューイに、マルチェさんが言う。
「キューイくんも、どうもありがとうございました」
「キュイ、キューイ、キュイ」
全然たいしたことないよ――と、そう返しているらしい。
勇ましくて助かるよ、キューイ。
それにしても、このグシカ森林は、やはりすごいな。
小型とはいえ、恐竜まで生息しているなんて。
生半可な力量の旅人では、すぐにエサにされてしまうに違いない。
とはいえ、この森の奥に集落があるというのだから、いったいそこには、どんな種族が住んでいるのか。
正直、興味が強まった。
「ワガハイ、マルチェ」
すると、ユッカちゃんの声。
安全が確認できたからか、クーリアといっしょにやってきたんだ。
「ご無事ですか、ユッカさま?」
「うむ、大丈夫だぞ、問題ない」
マルチェさんに、元気よく答えるユッカちゃん。
もちろん、ケガをしている様子なんてない。
「やはり、マルチェは強いのだ。助かったぞ、ありがとう」
「いいえ、お気になさらず」
相変わらずの平坦な口調で、マルチェさんがユッカちゃんに返す。
その背中には、当然ながら、あの斧槍だ。
投げることも、振るうこともできる武器。
しかも巨大で、当たれば威力は絶大。
それを素早く、さらには繊細に操るハーフミノタウロスの女性――マルチェさん。
かなりの重さがあるはずの斧槍で、狙い澄ましたように小型恐竜の指先の爪だけを斬り落とすなんて、ただの怪力戦士――というだけの武人にできるはずがない。
想像はしていたけれど、やはり相当の手練れだな、彼女は。
そんなことを考えていると、
「わ、ワガハイくん……」
どことなく体を縮めているようなクーリアが、吾輩に告げてくる。
「あ、ありがとね。ちょ、ちょっと強引だったけど、さっき……ま、守ってくれて」
「いきなりのことだったから、ああするしかなかったんだけど、まぁ勘弁してよ、クーリア」
「う、うん。し、仕方ないから……許してあげる」
美少女の私の魅力に我慢できなくなったら――とか、普段はそんなことを言ってふざけているのに、今回は妙にしおらしい。
とっさの行動とはいえ、現在絶賛『オジサン』認定されている吾輩が、自称『ピチピチ』の十七歳を押し倒したのはまずかったかな?
「……こ、これからも、ちゃ、ちゃんと守ってよね、私が危ないときは」
「もちろん、必ず」
吾輩が答えると、
「ま、まだ甘い果物が残っているから……いっしょに食べる?」
残念な木の実や果実しか与えてくれなかったクーリアが、急に優しく誘ってくれたんだ。
「ありがたいけど、いいの?」
「い、いいよ(てれり)」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
するとクーリアは、そそくさと焚き火の方へ。
どうやら、出来のいい果物を用意してくれるみたい。
そんな様子を見て、
「キュイ、キュイ」
よかったね、ワガハイ――みたいに喜んでくれたキューイ。
何だかよくわからないけれど、クーリアの機嫌は、とりあえず直ったらしい。
 




