010. 二サの町の夜
食堂で夕食を済ませた吾輩たち。
歓楽街の夜はこれからなのだろうけど、下戸の吾輩には、それも縁遠い。
店の前。
淡い灯りが揺らめく通りで、クーリアが言う。
「ごちそうさまでした、マルチェさん。それにユッカちゃんも――って、あらら」
マルチェさんに手を引かれている幼い巫女は、満腹になったせいか、もう、うつらうつらしている。
立っているのがやっとのようだ。
「おねむですか、ユッカさま?」
「だ、大丈夫……なの、だ。ワタシは大人だから、よ、夜でも眠たくなんて、ないの、だぞ」
そう強がるユッカちゃんだけど、明らかに大丈夫じゃない。
「早く休ませてあげてください、マルチェさん。吾輩たちは、ゆっくり宿屋へ戻りますから」
「そうですか、わかりました」
吾輩に答えたマルチェさんは、ユッカちゃんを誘導するするように歩き出す。
「では、また明日」
「はい。おやすみなさい、マルチェさん」
吾輩に続いて、
「ユッカちゃんも、ゆっくり休んでね」
「キュイ、キューイ」
クーリアとキューイもあいさつ。
ユッカちゃんたちは、吾輩とは違う場所に宿泊していたらしい。
きっと、この町で一番高級な宿屋とかなのだろう。
結局、吾輩たちはしばらくの間、あの二人のパーティーに同行させてもらうことになった。
翌朝、ニサの町の東側出入り口に集合。
それから、グシカ森林を目指す。
平野部から離れるわけだから、一夜くらいは野宿をすることになるはず。
まぁ、吾輩にはいつものことだ。
通りの奥へと消えていく大小二つの人影を、静かに見送った吾輩たち。
さて、こちらのパーティーも宿屋へ戻るとしよう。
するとクーリアが、
「お酒って、おいしいのかな?」
外に置かれた樽の上で飲んでいる男性をながめながら、未成年らしい素朴な疑問を口にした。
お酒は二十歳になってから――世の中には、それを守っていない困った者たちも大勢いるだろうが、一応建前では、だいたいどこの国でも、そういうことになっている。
流浪の旅人や法外の暴漢も多い現代においては、あってないような決まりだけれど。
盗賊を自称していたクーリアだが、どうやら飲酒に関するルールは、ちゃんと守っているようだ。
何だかんだ言って彼女、すごくしっかりとしたハーフエルフなんだよね。
「その質問をする相手を、君は間違えているよ、クーリア。吾輩には、あれのよさがわからないんだから」
吾輩は下戸。
クーリアも、それは知っているはずだ。
「でもさ、お酒が苦手だってわかっているってことは、当然ワガハイくんも、お酒を口にした経験はあるってことでしょ?」
「まぁ、一度ね」
あの日の吾輩が成人していなかったとしても、そこは大目に見てもらいたい。
自ら進んで飲んだというより、あれは、ほぼ飲まされたようなものだから。
「吾輩の記憶している限り、それ以降は縁を切っているんだ。たぶん、もう二度と、お酒と関わることなんてないだろうね」
「うわぁ……よっぽどひどい酔い方をしたんだね、ワガハイくん」
「想像にお任せするよ」
蒸留酒の香りが漂う通りを、吾輩が進み出そうとしたら、
「ねぇ、ワガハイくん」
立ち止まったままのクーリアが呼びかけてくる。
「私が二十歳になって、それでお酒を飲めるようになったら、その時は……私と乾杯してくれる?」
不意のセリフに、吾輩は振り返った。
「いきなりどうしたんだい、クーリア、そんなこと?」
「だって、もしも約束してくれたら、少なくともあと二、三年は、ワガハイくんに捨てられなくて済むもん」
「……捨てるとか捨てないとか、そんな人聞きの悪い」
ここは夜の歓楽街。
こんなやり取り、場合によっては男女のいざこざだと勘違いされても仕方がないというのに。
「ねぇ、どうなの、ワガハイくん? 大人になった私と、お酒を乾杯してくれる?」
「……わかったよ」
小さく、ため息混じりで答える吾輩。
「けれど、一度きりで勘弁してよね、クーリア。吾輩、本当にお酒だけはダメなんだから」
「うん♪」
吾輩の答えに満足したのか、クーリアが飛びつくように腕を絡めてくる。
「キュイ、キュイ」
そこにキューイも混ざってきて、吾輩たちパーティーは、なぜか身を寄せ合っていた。
「大丈夫だよ、ワガハイくん。もしもワガハイくんが悪酔いして、それで私を襲っちゃうようなことがあっても、その時はもう、私は二十歳なんだから♪」
「何がどう大丈夫なのかわからないけど、たとえクーリアが二十歳になったところで、吾輩が本当にお酒が飲める年齢かどうかは永遠の謎なんだから、そこは忘れないでよ」
「キュイ、キュイ、キューイ、キュイ?」
「うーん……キューイがお酒を飲めるようになるのは、たぶん、ずいぶん先の話だと思うよ、吾輩」
「まぁでも、私が十八歳になったら、とりあえずは安心だよね。合意の上なら、たとえワガハイくんが国境なき騎士団員だとしても、捕まったりはしないから♪」
「何がどう安心なのかわからないけど、たとえクーリアが十八歳になったって、吾輩が君より年下かもしれない可能性は否定できないんだからね」
「キュイ、キューイ、キュイ、キュイ」
「いやいや……たぶんキューイを、ゴーストやエルフ、人間などの年齢で換算するなら、きっとユッカちゃんよりも年下だと思うよ、吾輩」
「それともワガハイくんは、あえて十七歳の清い私を汚してみたいっていう悪いゴーストなのかな? まぁ、美少女の私に欲情して、あと一年も我慢できないとしたって理解はできるけどね♪」
「……さっきから君は何を言っているのさ、クーリア」
二十歳になったら、二人で乾杯するっていう話じゃなかったっけ?
「キューイ、キュイ、キュイ、キュイ?」
「うん……いいんだよ、キューイ。純粋な君は知る必要のないことだからね」
周りからは、どんなふうに見えているんだろう。
ゴーストと、ハーフエルフと、ドラゴン――そんな、吾輩たちパーティーは。
「ワガハイくん」
「何、クーリア?」
「キュイ、キューイ」
「もう、キューイまで何?」
「何でもないよ――ね、キューイ?」
「キュイ、キュイ、キューイ」
「…………」
二人の仲間に囲まれて、酔ってもないのに、まるで千鳥足。
まったく、歩きにくいったらないよ。
でも、不思議と悪い気持ちはしない。
そんなことを感じた、ニサの町の夜だった。




