003. 迷子の幼女
太陽が低くなる。
見知らぬ町の夕暮れは、旅を続ける吾輩にとっても、常に新鮮で情緒的な景色だ。
ずいぶんと遅くなってしまったランチは、この町の食堂で、塩漬け野菜を包んだクレープをいただいた。
薄切り肉をハニーマスタードで――というわけにはいかなかったけれど、とても満足できるメニューだった。
空腹から解放されたキューイは、宿屋の部屋でお休み中。
何だかんだ言って、クーリアも歩き疲れていたんだろう。
彼をひざに乗せながら、いつの間にか寝息を立てていた。
そういうわけで吾輩は、一人でニサの町を散歩している。
穏やかな時間だ。
パーティーで旅をすることに苦痛を感じることはないけれど、孤独な時間は嫌いじゃない。
山風が吹き下ろされる地域なのだろうか。
乾いた空気の流れが、吾輩のコートをばさりと揺らしていた。
ガレッツ城下町の大通りとは比べものにならないが、それでも、夜の歓楽街のような一角が確認できる。
酒場なのだろう。
テラス――とはほど遠い軒先の樽をテーブルに、顔を赤くした町民らしき男性が、泡立つ麦酒を流し込んでいた。
飲み物はとにかく、彼がつまみにしている炒り豆料理はおいしそうだ。
香りに誘われる。
もちろん手持ちのお金などないが、のぞくくらいは許されるはず。
吾輩がふらりと、中の様子をうかがおうとすると、
「お主は一人か?」
いい頃合いの歓楽街では聞こえてこないはずの、かわいらしい声がした。
不意に振り返ると、そこには、
「一人かと、そう聞いている」
広めのおでこがチャーミングな、純血の人間らしき少女の姿が。
体型や顔つきからして、クーリアよりも一回りは若い――要するに、幼い女の子だった。
「……もしかして、吾輩に尋ねているのかな?」
妙に大人びた口調の小さな少女に、吾輩は戸惑いながら返した。
「当たり前だろう、お主の目は節穴か?」
「ある意味、そうかもしれないね。このように、吾輩に目はないからさ」
「だとしても、見えていないわけではあるまい。ゴーストとは、そういう種族なのだから」
この子、幼い人間にしては、他の種族にも慣れているみたいだ。
しかもアンデッドである吾輩のことも、まったく恐れている気配がない。
異種族と交流のある環境で育った、そういう女の子なのだろうか?
突然現れた幼い少女の服装は、白を基調とした光沢のあるローブ。
二本に束ねられた桃色の髪をなびかせて、見ず知らずの吾輩に対しても、ひるむことなく堂々としていた。
「恥ずかしがることはないぞ。ワタシは、ちゃんとわかっているのだ(くいくい)」
吾輩を横目で流しながら、幼い少女が人差し指を動かす。
顔を近づけろ――と、そういうことなのかな?
素直に応じた吾輩が、ゆっくりと身を寄せると、
「(お主、迷子なのだろう?)」
ローブ姿の少女が、吾輩に耳打ちしてきた。
「…………」
無言のままでいた吾輩の態度を、どう思ったのか、
「安心してくれて構わないのだぞ、ゴーストよ。ワタシがいっしょに、お主の尋ね人探しを手伝ってあげるのだからな(ふふんっ)」
軽やかに後方へ飛んだ幼い少女は、満足げに鼻を鳴らしていた。
「……あのね、吾輩は別に、迷子になっているわけではな――」
「気にすることもないのだぞ、ゴーストよ。ちょうどワタシも、この町で迷子になってしまった相手を探していた最中なのだ――やれやれ、まったく困ったやつなのだ。いつもすぐにはぐれてしまい、ワタシに迷惑をかけるのだから」
肩をすくめながら、幼い少女は首を振っていた。
なるほど。
どうやら、迷子はこの子の方らしい。
両親か、あるいは兄弟姉妹か、そういった保護者とニサの町を訪れた旅人なんだな。
だって、この町に住む女の子だとしたら、今日初めてこの地にやってきた吾輩に、こんな対応をしてくるとは考えにくいからね。
共に旅をしてきた誰かと離れてしまい、しかも夜が近くなってきて、それで不安になったのだろう。
何となくにぎやかなこの通りまでやってきたところで、つれづれに酒場の前を歩く吾輩を見つけた――だから、声をかけてきたんだな。
要するにこの子、はぐれてしまった旅の仲間を探すのを、吾輩に手伝ってもらいたいってことなんだ。
素早く理解、そして納得。
「……うん、それは助かるよ。吾輩、迷子だから、いろいろと困っていたんだ。この町にも、まったく詳しくないからね」
まぁ、幼いとはいえ、彼女も立派なレディ。
プライドを傷つけるようなことを、あえてする必要もない。
これも何かの縁だ。
彼女の保護者探しに、付き合ってあげることにしよう。
「そうだろう、そうだろう。やはり、ワタシのにらんだ通り。お主、実に不安そうに辺りをさまよっていたから、迷子に間違いないと思ったのだ」
満足げに、ローブ姿の少女がうなずく。
吾輩が受け入れたから、とりあえず安心してくれたのかもしれない。
「あはは、情けないところを見られちゃったね……けれど、あまりこういう場所に一人で来るのはよくないよ」
自分の年齢すらわからない吾輩だけど、たぶん、この子よりは年上だろう。
それとなく、彼女に注意する。
「お酒が飲めるようなところでは、必ず、信頼できる大人の誰かといっしょじゃないとね」
この際、吾輩自身が成人していない可能性は、ちょっと棚に上げさせてもらおう。
言葉に説得力がなくなるからね。
「吾輩は紳士だから問題ないけれど、世の中には、悪いことを考えている不届き者もいるんだからさ」
要するに、伝えたいのはそういうこと。
残念ながら、若い少女が犠牲になる犯罪は、どこであっても起こるものなんだ。
「この町がどうこうってわけじゃないけど、声をかける相手を間違えていたら、もしかしたら君は、ひどく危険な目に遭っていたかもしれないよ」
年長者(?)として、旅人の先輩として、ちゃんとためになるアドバイスをしたつもりだったんだけど、
「大丈夫、心配は無用なのだ」
迷子の少女は、まるで吾輩をあしらうように答える。
「お主の魔力は安定していて、すごく美しい。だから、お主が悪いゴーストではないことを、ワタシはすでに見抜いていたのだ。そうでなければ、夕暮れの町の中、知りもしない相手に無防備に近づくなど、このワタシがするはずもないだろう?」
「…………」
当然のように答えた幼い少女は、どこか神秘的で、とらえどころがなくて――吾輩には、ただの人間とは思えなかった。
「お主、名は何というのだ?」
「ワガハイ、だよ」
「ふっ、ワガハイか……おかしな名前なのだ」
名前を伝えると、彼女はそこでやっと、年相応の笑顔を見せてくれた。
「ワタシは『ユッカ』――しっかり覚えておくのだぞ、ワガハイ」
そう言った迷子の女の子――ユッカちゃんは、なぜかうつむきながら、吾輩に手を差し伸べてきた。
「ま、迷子で心細かっただろうからな。わ、ワタシが手をつないであげるのだ……と、特別だぞ」
「……うん。それじゃ、お言葉に甘えて」
人肌より冷たい吾輩の手を、彼女はどう感じたんだろう。
「ふはっ、おかしな感触なのだな、ゴーストというやつは――よし、ついてくるのだ、ワガハイ」
吾輩を引いて、ユッカちゃんはうれしそうに走り出した。




