029. 公女の部屋で、為政者は語る(4)
もしも単純にイオレーヌさまを国のトップに置くことだけが目的なら、サンドロさんは自害する必要なんてなかった。
むしろ彼が側近として仕え続けた方が、公国にとっても有益だったに違いない。
しかし、あの忠義の騎士は、その道を選ばなかった。
なぜなら、ガウター公とコンラートさまがいなくなっても、彼らを支持していた者が消えることはないからだ。
イオレーヌさまがガウター公の暗殺を指示した張本人だったなら、彼女の台頭に不満を持つガウター公派の騎士、憲兵、役人、場合によっては一般の公国民から危害を加えられる恐れが残る。
けれどサンドロさんが、本当に密命もなく、単独で今回の件を実行していたとしたら、誰がイオレーヌさまに恨みを持つだろう。
パレードを見る限り、イオレーヌさまは公国民からの人気が高かった。
おそらく、ガウター公やコンラートさまの比ではない。
しかも彼女は、二人の兄をほぼ同時に失い、特に親しかった騎士の青年さえ自ら命を絶った。
客観的には、望まずして権力の座に押しやられた悲劇のヒロインに他ならない。
その手を一切汚していない、無傷でまっさらな君主の誕生だ。
彼は――サンドロさんは、そこまで考えて、己の首をはねたんだ。
これが、あなたの騎士道だったんですね、サンドロさん。
国にすべてを捧げ、自らが選んだ君主に未来を託すことが、あなたの――。
「あくまで単なる思考遊戯でしかなかった私の『政治』――ですが知っての通り、どうやら状況は大きく変わってしまったようです……サンドロが、すべてを動かしてしまいましたから」
「……あなたは、気づいていたんじゃないんですか、こうなることを?」
「そうですね、はい」
吾輩の想像や仮説を否定し続けたイオレーヌさまが、ここで初めて肯定した。
「ならば、あなたには止められたはずです、サンドロさんを」
「ええ、きっと」
「なら、どうしてですか? あなたは、権力を求めてはいなかったのでしょう? サンドロさんは、確かに自ら望んで死んだ。旅人の吾輩が、この国の政治的な事柄に意見を言う立場にないこともわかっています……それでも、一つの命が消えてしまったんです。その事実だけは変わらない。あなたになら、彼を救えたはずだ」
「……優しい方ですね、あなたは」
少し感情的になってしまった吾輩に、イオレーヌさまは静かに返してくる。
「ワガハイさんは、為政者には向いていません」
「……なるつもりなんて、まったくありませんよ」
吾輩は旅人。
玉座というものが、誰かの命の上にしか置かれないのだとしたら、そんなもの、横目で流して先へ進むのみ――吾輩に目はないけれど。
「言いましたよね、ワガハイさん――私は、求められた機能に従うと」
イオレーヌさまは、また『機能』と口にする。
「どういうわけか子供の頃から、私は自分に対して常に冷静でした。そして自然と、自らの役割が把握できていたのです。誰か――というより、もっととらえどころのない『何か』が作用して、その結果として私自身に与えられた具体的な役割を忠実に演じることが、真に正しく生きるということなのだと、幼い頭なりに理解できていたのです」
「……それが、あなたの表現するところの『機能』ですか?」
「はい――そしてこれが、私の『考え方』の根本であり、要するに哲学なのです」
神や精霊を崇めるような宗教的信仰とは違うな。
それ以上に、より強固なものに思えてくる。
摂理、ということなのだろうか。
とはいえ今の吾輩に、その本質がわかるはずもない。
「そしてそれは、私以外の他者にも当てはまります――ワガハイさんにも、もちろんサンドロにも」
「……サンドロさんが、あなたの言う『機能』を果たした結果が、この状況だと?」
「少なくとも私には、それぞれの熱意や衝動に従って生きた者の人生を否定する権限はありませんので」
「…………」
サンドロさんは、自らが見いだした『機能』に殉して死んだ。
それを妨げることは、他者のエゴだと――。
理屈はわかる。
けれど、吾輩には受け入れられない。
「いいのですよ、ワガハイさん――これは私にとっての真実であり、あなたにそれを強制するつもりはありませんから」
吾輩の心を読み透かしたように、イオレーヌさまは答えていた。




