026. 公女の部屋で、為政者は語る(1)
さすがに異変に気づいたのか、階を上がってきた憲兵たちとすれ違う。
一応、吾輩は客人。
深夜の城を徘徊するゴーストに好奇の目は向けられたが、細かく問い詰められるようなことはなかった。
まぁ、ガウター公たちの成れの果てを彼らが目撃したのなら、事情聴取くらいは受けるだろう。
求められれば当然協力するけど……もしかしたら、的外れな疑念を抱かれるかもしれないな。
しかし少なくとも、サンドロさんが自害したことだけは状況から明らか。
吾輩の国境なき騎士団員という立場を踏まえてもらえれば、きっとわかってもらえるだろう。
さて。
こんな時間に女性を訪ねるなど、実に下品で無礼なことだと、吾輩は十分に理解している。
とはいえ、今回は例外だ。
何より、確かめたかった。
その衝動に、吾輩はあらがうことができない。
イオレーヌさまの部屋、二枚扉の前。
心なしか、先ほどより堅く閉ざされているように思えてくる。
けれど、
「……お休みのところ申し訳ない、ワガハイです」
この奥にあるはずの真実に、背を向けることなんてできないんだ。
しかし相変わらず、反応がない。
さすがに眠っているか?
今度はノックを加えて呼びかけてみようとした、その瞬間、
『どうぞ』
吾輩を迎え入れる声が返ってきた。
「……失礼します」
二枚扉の右側から、ゆっくりと中へ。
薄暗い空間。
まず認識できたのは、小型の洋灯を手にしている部屋の主――イオレーヌさま。
クーリアに妙な勘ぐりをされて困ってしまった例のネグリジェ姿ではなく、軽装ながらドレスのような出で立ち。
体を休める時間の服装ではないだろう。
眠っていなかったのか、彼女は?
「こんな真夜中に女性の部屋を訪ねるという無礼を、どうかお許しください」
「こんな真夜中にワガハイさんが私の部屋を訪ねてきたということは、つまり……そういうことなのでしょう」
おぼろげに照らされている彼女の表情は、吾輩の知る穏やかな姫君のそれとは、大きく違う印象を受ける。
暗闇のせいか、それとも――。
「あなたを待っていましたよ、ワガハイさん。少なくとも私は、こうなる可能性を覚悟していましたから」
待っていた?
可能性を覚悟?
どうやらイオレーヌさまは、現在の状況について、まったく理解していない――ということではないらしい。
やや躊躇しながらも、吾輩は伝える。
「……サンドロさんが、吾輩の前で、自ら命を絶ちました」
配慮のない言葉だっただろうか。
イオレーヌさまはすでに、コンラートさまの死に傷心していた身なのだから。
けれど彼女は、
「ならば、ガウターお兄さまも亡くなられたということですね」
「…………」
さも当然のように、そう答えた。
「ワガハイさんの表情は読みとりにくいですけれど、おそらくは今、とても驚かれていますよね?」
どういうことだ?
この方は、いったいどこまでを――。
「知りたいのでしょう、ワガハイさん? だからあなたは、こうやって私の前に現れた……真夜中の訪問は、紳士の振る舞いとして礼を欠くと認識しつつ、その好奇心にあらがえなくて」
確信する。
これは何も、夜の薄明かりのせいじゃない。
この女性のまとっている雰囲気は、吾輩たちパーティーを優しく受け入れてくれた姫君とは違っている。
「どういったお話すればよろしいのでしょう? 何でもお答えしますよ、ワガハイさん」
イオレーヌさまは、おそらくすべてを把握している。
まったく見聞きしていないはずの出来事、その全容を。
ならば迷う必要はない。
吾輩は切り込む。
「……あなたはサンドロさんに、ガウター公の殺害を命じましたか?」
「いいえ」
イオレーヌさまに、ごまかしているような気配はない。
確かにサンドロさんも、彼女の関与を否定していた。
わかりやすい構図は、やはり真実の姿ではないみたいだ。
「でしたらなぜ、あなたはガウター公が亡くなっていることを?」
当然の疑問だろう。
「今まさに、憲兵たちが遺体となった君主を発見して慌てていることでしょう。この部屋を訪れるに際して、吾輩は彼らとすれ違っています。あなたがガウター公の死亡という事実を知ることは、どうしても不可能なのです」
魔法、あるいは魔法アイテムを使用すれば、事の一部始終をのぞき見ることも可能かもしれないが、イオレーヌさまは、たぶん魔術師ではない。
そんなことになっていれば、吾輩が魔力を認識できるはずだ。
「疑っているのですか、私を?」
「いいえ、確認しているのです」
そこでイオレーヌさまは、軽く笑う。
「ふふっ――何だか、尋問されているみたいですね。考えてみればワガハイさんは、立派な国境なき騎士団員ですし」
「国境なき騎士団員として尋ねているのではありませんよ、イオレーヌさま。吾輩はただ、城に招かれた一人の旅人としてうかがっているのみ……あなたがおっしゃったように、あらがうことのできない好奇心に押されているだけのことです」
「ええ、そうですよね。あなたは、きっとそういうお方。だから私たちは、こうやって出会えたに違いありません――わかりました、お答えしましょう」
納得したように、イオレーヌさまが語り出す。
「ワガハイさんが私の前に現れたという事実、そして、サンドロが自害したという事実――それだけ把握すれば、何が起こったのか、私には自明の理なのです」
「……どうか、吾輩にも理解できるような説明を」
「長くなりますが、お付き合いいただけますか?」
「はい、もちろん」
うなずくと、イオレーヌさまが吾輩をうながす。
灯りが向けられたのは、円形のテーブルと二脚の椅子だ。
座れと、そういうことなんだろう。
一方の席に吾輩が着くと、他方にイオレーヌさまが腰を下ろす。
テーブルに洋灯を置いた彼女は、真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「ガウターお兄さまとコンラートお兄さまの仲について、私は十分に認識しておりました――それはもう、お話ししていましたよね?」
「ええ。昨日、夕食後のお茶会で」
「もちろん、パレードの最中にあのような事態が起きるだなんてことは想像していませんでしたが、それでも私は、どこかで感じていたのでしょう――いつか、そう遠くない未来、国が大きく動く瞬間が訪れることを」
どこかで感じていたのでしょう――それは、ずいぶんと客観的な表現だ。
自分の内心のことだというのに、まるで他人事のような。
「少なくともコンラートお兄さまの死で、私に与えられた環境が変わるかもしれないことは、十分に予見できました。あれから、この自室に引きこもっていたのは、私なりに考えたいことがあったからなのです――夕食が終わるくらいの時間、ワガハイさんが廊下から呼び掛けてくれたことにも、ちゃんと気づいていましたよ」
誠実に対応できなかったことは、どうか許してくださいね――と、イオレーヌさまが微笑む。
「そういう前提があったから、私は、もう一人の兄であるガウターお兄さまが亡くなったことを、事実として受け入れられているのです――ワガハイさんにとっては、すでに知っていたのかと感じてしまうくらいに」
「……あなたは、自分の今の立場を理解できていますか? 吾輩には、とてもそのようには思えません」
「兄を二人も失って、それでもひょうひょうとあなたと話している私は、冷たい人間でしょうか?」
「そういう意味ではありません。公爵家長男であるガウター公と、次男であるコンラートさま亡き現在、あなたが唯一、このガレッツ公国を治める権限を有する者。細かなしきたりなどはあるでしょうが、つまりあなたは、明日の朝にはガレッツの――」
「君主になる――正式な手続きを終えるには、数日かかるでしょうけれどね」
「…………」
本当にこの人は、政治にまったく関与していないと言っていた、あのイオレーヌさまなのだろうか?
同一人物かと、そう疑いたくなるくらい、彼女は堂々としていた。
「イオレーヌさまは、ガレッツの君主の座を求めていたのですか?」
「いいえ」
うそをついていないのなら、この女性は、どうしてここまで冷静なのだろう?
高貴な血筋とはいえ、昨日まで縁遠かった支配者の椅子に、ある意味無理やり座らされるようなものだ。
なのに、どうして?
「どうやら、ワガハイさんにすべてを理解してもらうには、私の人生における『考え方』を伝える必要があるかもしれませんね」
「考え方、ですか……」
急に、流れが哲学的な雰囲気に。
どういうことなのか、吾輩には見当もつかなかった。




