004. 牢獄に響く腹の虫
薄暗い牢屋を、淡い炎の明かりが照らしている。
まさか吾輩が、罪人として投獄されるなんて。
もちろんあれから、憲兵に事情を説明してはみた。
けれど誤解とはいえ、若い女性をぺろぺろしようとした――ってことになっているゴーストの話を、おいそれと信じてくれるわけもない。
盗みの方に関しては、あの路地に、ばっちり残っちゃってたしね、証拠の品が。
まったく、今日は厄日だ。
鉄格子の中で、ただただ一人きり。
手持無沙汰な吾輩は、唯一身に着けている装飾品である銅製のペンダントに触れる。
投獄と同時に剣も、わずかな蓄えさえも没収された。
今はこのペンダントと、穴の開いたコートだけが、吾輩の全財産だ。
ふと、ネズミの抜け道くらいにしかならない窓から外を確認――星の輝きが、少し散らばっているだけ。
もう夜だ。
かれこれ数時間、いわれのない罪で、吾輩はこんな場所に押し込まれている。
哀れだな、我ながら。
ぐぅぅぅぅぅぅーっ。
お腹の虫が鳴った。
思えば、吾輩は今日、何も口にしていない。
出来たての鶏のソテーだって、食べないままに食堂を出たのだから。
逃した魚――ならぬ、逃した鶏は大きい。
存在していない『目』を閉じてみれば、あの肉厚な姿が、吾輩の脳裏に浮かんでくる。
嘆いたところでどうにもならないが、一口だけでも食べておけばよかった。
すると、
「ゴーストでも、お腹は減るのね」
鉄格子の向こう側から、女性の声。
現れたのは、
「出入り口の方まで丸聞こえだよ、あなたのお腹」
吾輩がこんな状況になってしまった元凶――あの、盗賊の少女だった。
「……吾輩には口があるんですよ、ありがたいことに」
だから吾輩は、他の種族と同じように、食事を楽しむことができる。
「で、何なんですか、こんなところに?」
事情が事情なだけに、普段は穏やかな吾輩も、ついつい口調が刺々しくなる。
とはいえ、怒鳴り散らしてもいいくらいの相手なのだから、これくらいは、十分に紳士的態度だと評価してもらいたい。
「私の代わりにおとなしく捕まってくれたあなたの顔を、ちょっとのぞきにきてあげたの――まぁ、あなたに顔はないけどね」
「…………」
「あなた強いんだから、憲兵なんかやっつけて逃げちゃえばよかったのに」
「無用な騒ぎは起こしたくないんですよ。そんなことをしたら、本格的に追われるじゃないですか、吾輩」
女性へのいたずら未遂と窃盗――もちろん、とんでもない濡れ衣だけど、それくらいなら、たぶん死刑にはならない。
しばらく我慢すれば解放されるだろうから、それならそれでいいと思っていたんだ。
「ふーん、度胸がないんだね、意外と」
「ほっといてください」
憲兵に抵抗することで下手に罪が大きくなるより、彼女に『度胸がない認定』をされる方がよっぽどましだ。
「じゃあさ、ゴーストなんだから、壁とか通り抜けられないの? 今みたいに、おとなしく牢屋に入っている必要なんてないじゃない」
「……吾輩に、そういう特性はないんですよ」
物理攻撃の無効化と障害物の通過は違うんだ。
ゴーストにも、いろいろな性質や個体差がある。
吾輩を、何でもアリのびっくり種族にはしないでもらいたい。
「あらら、怒ってる?」
「当たり前です。だいたい、誰が『ぺろぺろ』ですか、誰が」
彼女、あろうことか吾輩に、変態ゴーストの汚名を着せてきたんだ。
いくらなんでもプライドが傷つく。
「だって、のっぺらぼうのゴーストのくせに、口だけはあるんでしょ? なら、私の柔肌をぺろぺろできちゃう舌だって――うふっ♪」
「吾輩の舌は、おいしい食事を味わうためのものです。どこぞの泥棒になんか、かけらの興味もありませんよ、吾輩には――残念でしたね」
売り言葉に買い言葉。
吾輩も、ちょっと熱くなってしまう。
「だ、だから、泥棒じゃないっての!! だ、だいたい、私の清くてみずみずしい体に興味がないなんて、あなた、男性として問題があるんじゃないの!?」
「確かにあなたは若々しい容姿ですが、エルフは一般的に長寿であり、そのため、外見と実年齢が整合していないことが多い種族。無理やり若作りしているみたいですけど、本当は『おばあちゃん』なんじゃないんですか? 悪いですが吾輩、ご高齢の方にまで欲情するようなゴーストではないんですよね」
「し、失礼ね!? 私は十七歳よ、十七歳っ!! 正真正銘、ピチピチの女の子っ!!」
静かな牢獄に、彼女の声が響き渡る。
「それと、私はエルフじゃなくてハーフエルフだからね。人間との混血児だから、極端に長寿であるエルフの特性は弱まっているの。だから、私がおばあちゃんなわけがないでしょ!!」
「正真正銘の若い女の子は、自分のことを『ピチピチ』だなんて言わないと思いますけど……お察しします」
「本当のことを言ってるのに、何なの、その態度!? むきぃーっ、むかつく!!」
不毛なやりとりが続いたところで、吾輩は少し冷静になる。
「……それで、どうしてこんなところに?」
あらためて、先ほどの質問を聞いてみた。
「ここは、町の中に建つ砦の地下牢。憲兵だって常駐しているし、部外者は入れないはずですよね、普通?」
「言ったでしょ、私は盗賊。こんなところくらい、簡単に潜入できちゃうの」
「じゃあ、吾輩をからかうためだけに、わざわざそんなことを?」
たとえ暇を持て余していたとしても、さすがにそれは趣味が悪い。
だいたい彼女は、何らかの理由で憲兵と関わりたくないから、吾輩に濡れ衣を着せて逃げたはずなのに。
「そ、それは、その……」
すると彼女は、少しばつが悪そうに、顔を伏せる。
「い、一応、あなたには迷惑をかけたわけだし……私のせいで、おマヌケなゴーストが捕まってるだなんて、ちょっと寝覚めが悪いから、だから、だからね、よ、要するに――」
「もしかして、吾輩を助けに来てくれたんですか?」
「うっ……そ、そうよ、悪い?」
淡い燭台の炎よりも顔を赤くして、彼女は吾輩から視線を逸らしていた。
何というか、なかなか面倒な女の子だけど、とりあえず、悪いハーフエルフじゃないってことだけはわかったよ。
「そうですか……ありがとうございます」
吾輩は素直に、感謝の気持ちを伝えた。
まぁ、彼女のせいでこうなったわけだし、お礼を言うのはおかしな話なんだけど。
「こ、ここの鍵は、もうちゃんと盗んであるの。今は夜中だし、憲兵たちはみんな寝ているから安心よ――ほ、ほら、出るわよ、早く」
盗賊らしく手際のいい彼女は、その長い耳を色づけながら、素早く鉄格子に鍵を通した。