003. ハレンチな濡れ衣
「し、しつこい男ね、あなた……そんなんじゃ、女の子にモテないよっ!!」
「安心してください。吾輩、元々モテませんから」
冷静に追跡した吾輩は、何とか泥棒少女を、町の袋小路まで追いつめることができた。
ここならば、もうさすがに逃げられない。
「盗んだものさえ返してくれれば、すぐにでも立ち去りますよ。吾輩は、ただの旅のゴースト。別にあなたを牢屋に入れたいわけじゃないし、もちろん役人の犬なんかでもないんですから」
吾輩は、拾っておいた彼女の短剣を地面に投げ、そのまま両腕を広げた。
敵意のないことを示すために。
けれど泥棒の彼女は、どうしても強情な姿勢を崩さない。
「うそよ、大うそ。私は、あなたの言うことなんて信じないの。丸め込もうったって、そうはいかないんだから」
「……泥棒なんてやっているから、そんなふうに疑心暗鬼になるんですよ。悪いことは言いませんから、早く足を洗って――」
「勘違いしないで。私は、泥棒なんかじゃないわ」
言葉をさえぎって、彼女の視線が吾輩を射抜く。
「誇り高き盗賊よ」
次の瞬間、姿勢を低くした彼女が、こちらにむかって加速してきた。
「〈風の矢〉」
風の呪文。
放たれた鋭い魔力を回避するため、吾輩は素早く後退する。
その隙に彼女は、落ちていた例の短剣を確保。
流れのままに接近してきて、その刃を吾輩の首元に走らせた。
直後、鈍い金属音。
「……物理攻撃は受け付けないんじゃなかったの、ゴーストさん?」
「これ以上、あなたに吾輩のコートを切られるわけにはいかないので」
携えていた剣を抜刀した吾輩は、泥棒の彼女――もとい、盗賊を自称した彼女の剣先を受け止めた。
「…………」
「…………」
つばぜり合い状態で、しばし硬直。
吾輩としては戦いたくないんだけど、相手の方はもう、しっかりその気みたいで。
「はっ」
短剣を薙いでジャンプした彼女は、着地と同時に呪文を唱える。
「〈大地の腕〉」
今度は、地の魔法。
それなりに整備されている砂利混じりの小道が波打ち、隆起し、荒々しい土塊の片腕となって出現した。
なるほどね。
彼女、魔法はずいぶんと得意らしい。
「魔力で創り出した腕なら、顔なしゴーストのあなたにだって、キツい一発を喰らわせられるでしょ」
勝ち誇ったような彼女の態度。
砂ぼこりを立ち上げた太い腕が、吾輩を殴り飛ばそうと迫ってくる。
確かにあれを受ければ、吾輩もノーダメージとはいかない――受ければ、だけど。
「〈霧の緞帳〉」
吾輩が呪文を唱えると、日の光が差す町の路地に、突如として深い霧が立ち込める。
悪いけれど、魔法が得意なのは、何も君だけじゃないんだよ。
「なっ!?」
彼女から聞こえてきたのは驚きの声だ。
無理もない。
吾輩にキツい一発を喰らわすはずだった豪腕が、いきなり現れた霧のカーテンに飲み込まれ、溶けるようにしてきれいさっぱり消えてしまったんだから。
「……くっ」
悔しさと恐怖が入り交じったような表情を、彼女はしていた。
さっきの魔法には、それなりに自信があったんだろう。
吾輩を殺すつもりはなかったとしても、ガツンと入れて、ちょっと痛い目に遭わせてやろう――くらいは思っていたかもしれない。
けれど、呪文で創り出した太い腕は、吾輩の霧の魔法で無効化された。
あの『霧の緞帳』は、攻撃魔法を飲み込む効果を持っているから。
魔法に長けている彼女なら、もう理解したはずだ。
吾輩を相手にするのは、かなりのリスクが伴うということを。
「悪いことは言わないので、盗んだものを、素直に返してもらえませんか?」
「…………」
吾輩の問いかけに、彼女は無言。
けれど、戦意が喪失したのは明らかだった。
もう、仕掛けられることはないだろう。
吾輩は静かに、抜いていた刃を鞘に収めた。
やや警戒心が消えた彼女が、吾輩に聞いてくる。
「……あなた、本当に憲兵じゃないの?」
「ですから、初めからそうだと話し――」
「おい、そこで何ををしている?」
すると突然、背後から男性の声。
振り返るとそこには、二人の憲兵の姿があった。
吾輩と彼女の騒ぎに気づいて、どこからかやってきたってところか。
「こんな人気のない場所で、いったい何をしているんだ?」
疑惑を持たれたのか、憲兵たちが近づいてくる。
吾輩はちらりと、盗賊の彼女に『視線』を移す。
焦ったような顔で、何かを必死で考えているみたいだった。
「(……ほら、早く盗んだものを出して。あとは、吾輩が上手く説明しておきますから)」
憲兵に気づかれないように、吾輩は彼女にささやいた。
我ながら、すごくお人好し――ならぬ、おゴースト好し。
けれど別に、彼女を牢屋に入れようだなんて、最初から考えていなかったし。
「(あなた……)」
「(これに懲りたら、もう盗みなんてしないでくださいよ)」
憲兵の動きに注意しながら伝えると、彼女は無言のまま、袋から硬貨や宝石などを出し、その場に置いた。
最初から素直に応じてくれていれば、憲兵に目をつけられることもなかったんだけどな。
さてさて、変に疑われないような言い訳を考えないと――などと、吾輩が脳天気に思案していると、
「(あなた、強いけどマヌケね)」
盗賊の彼女が、挑発的にささやいた。
そして、いきなり、
「私ぃ、このケダモノにぃ、乱暴されそうになりましたぁーっ!!」
根も葉もない話を、大きな声で叫び出したんだ。
「私の柔肌をぉ、ぺろぺろぺろぺろしようとしてきたんですぅ」
…………。
まずいよね、この展開。
「な、何だって!?」
「けしからんやつだっ」
彼女の発言を真に受けた憲兵たちが、ダダダッと駆け寄り、無実の吾輩を取り囲む。
「しかもぉ、何だかそのケダモノぉ、通りの食堂で盗みまで働いてたみたいでぇ、とにかくぅ、すっごい悪いやつなんですぅ」
やたらと腹立たしい語尾で適当なことを言いながら、盗賊の彼女は軽い足取りで、憲兵の死角から逃げるように去っていく。
「ほほう……婦女子に淫らなことをしようとしただけでなく」
「人様の持ち物にまで手を出しているとは」
吾輩をにらみつける憲兵二人。
うそつきな盗賊少女はといえば、もう路地からいなくなってしまっていた。
「……はぁ」
吾輩は抵抗することなく、ため息まじりでうなだれることしかできなかった。