060. 大盗賊、現る(7) ――雷槍――
「『これだけの数を前にして、よくもまぁ、君は無傷でいられるね』」
「簡単に言わないでください。こちらも必死なんですよ」
無傷。
無傷か。
どうして吾輩は、先ほどの攻撃を、間一髪とはいえ避けられたんだ?
視覚や聴覚など、基本的な五感に加え、吾輩は、術者としてのジフォンの魔力を追っている。
だが、分身体との魔力的差異がつかめず、手がかりは皆無。
防戦一方で、攻撃に転じられていない。
もちろん、吾輩もそれなりの武人。
相手の魔力を正確に認識、分析できなくとも、直感と経験で対応できる――とは思う。
しかし現在、術者本人の魔力探知に意識の大半を向けている中で、あの速度での一撃を、我ながら、いったいどうやって?
ふと背中に、強烈な熱を覚える。
業火に投げ込まれたような、ひどく激しい刺激。
けれど、その時間は、本当に、ごくわずか。
それが急速に消え去った直後、暗闇の中で火花が飛んだかのごとく、はっきりとした輝きが――。
自然と、右腕が動く。
薄暗いだけの、何もない空間。
そこに、刃を、振る。
甲高い音。
吾輩の剣が、飛んできた鎖付きの鉤爪を叩いた。
「『お、おいおい!? 君は、死角からの攻撃も止めるのか?』」
地面を削るようにして、鉤爪が戻っていく。
さすがのジフォンも、吾輩の反応に驚いているようだった。
今、自分の体が、当たり前のように――動いた。
そうか、わかった。
そうだったんだ。
吾輩を魔法幻兵で試していた段階から、ジフォンは常に、攻撃的な視線をこちらに向けていた。
攻撃的な視線。
その背後にあるものは何か?
いける。
これなら、本物のジフォンと、幻である分身体を見分けることができる。
だけど、見分けられるだけでは無意味。
攻撃を入れなければ勝利はない。
逃げられたらダメだ。
スピードが欲しい。
ジフォンの回避行動を超えるレベルの速さが。
適切なのは、斬り込むよりも飛び道具。
やはり、距離がある中でも当てられる魔法がいいだろう。
しかし、火の飛礫では弱い。
速度も威力も、この状況では力不足だ。
魔力の属性で考える。
対象者まで素早く届き、なおかつ、その動きを鈍らせることが期待できるもの。
ならば、最適解は――。
剣を持つ右手で分身体を捌きながら、左腕を引く。
探る。
幻の奥に潜む、ジフォン本人だけが放つ明確な気配を。
……いた。
そこだ!
「〈雷の投槍〉」
呪文を唱えた吾輩の左手から、荒々しく輝く鋭利な魔力が放たれた。
まるで、闇夜を走る稲妻。
轟きと共に、直線上の分身体を貫いていく。
「『なっ!?』」
幻たちは、吾輩の魔法から逃げる動作を見せることなく消えていく。
さながら、自らの存在に執着しない、意思なき操り人形のように。
だが、それとは裏腹に、明らかな反応を示す者が一人。
防御するためだろう。
両腕を持ち上げた瞬間、槍のごとき雷が、その一人に直撃。
電光が弾けた。
直後、周囲の分身体がすべて、風に飲まれた。
前進。
一気に加速し、距離を詰める吾輩。
気を抜くな。
ここで仕留める。
右手を振り上げ、爆ぜた稲妻の先へ剣を下ろすが、
「『……君は、本当に厄介なゴーストだね』」
魔宝石が埋め込まれた篭手によって受け止められてしまった。
「『あの幻の中で、まさか、本物の私を探し当てるとは』」
くっ、相手の方が速かったか。
魔法は確かに届いたが、ダメージは最小限。
残念ながら、決定打にはならなかった。
追撃の刃が防がれてしまったことが、何よりの証拠だ。
「『これは自慢だけどね、私は間違いなく、天才的な魔術師なんだよ。もちろんこの世界には、数多くの優秀な魔術師が存在している。私より能力の高い者だって、当然いるだろう。そこは謙虚に認めるよ』」
果たして、謙虚なのか否か?
少なくともこの怪盗は、自らの魔術師としての資質に、かなりの自信を持っているようだ。
ジフォンが両腕で吾輩を押し返し、互いの間に空間が生まれた。
裏庭を占めていた分身体が消えたことで、妙な開放感を覚える。
だが、構えを解くわけにはいかない。
張り詰めた空気が漂う中で、吾輩はジフォンと向き合う。
「『しかし、魔力のコントロールという点に関しては、断言する――この時代に、私を超える魔術師を探し出すことは、ほぼ不可能だ。私の話が単なるうぬぼれではないことを、君なら理解してくれるだろう?』」
「……確かに、あなたの魔力に対するコントロール、その正確さは異常です」
緊張の糸を張りながら、ジフォンとの会話に応じる。
「あれだけの分身体を創り出す一方で、術者である自分を含めたすべての魔力量、濃度、性質を、あなたは完璧に調整できていた。完全に同じ。違いなんて、吾輩にはまったく……言葉を選ばずに言わせてもらえば、もはや『怪物』レベルですよ、あなたは」
「『だからこそ不思議なんだよ。それがわかっていて、どうして君は、本物の私を?』」
「…………」
「『そんなに警戒しないでくれ。すでに君は、本物の私を見抜いたんだ。つまり私が、もう一度同じことをしても、君は私にたどり着いてしまう。意味のないことを、無駄に仕掛けたりはしないよ。だから、その種明かしに、たいしたデメリットはないと思うけどね』」
確かに、その通りだ。
「『単なる偶然――だなんて、つまらない答えは勘弁してくれよ。それとも、私を相手に、二回目を成功させる自信はないのかな?』」
挑発か。
わかった、乗ってあげるよ。
「吾輩は、あなたの魔術師としての高い能力ゆえに、無意識に自分の思考を、あなたの領域に運んでしまっていたんです」
先ほどまで、霧の魔力による幻が、周囲一帯を覆っていた。
そして、右も左も敵の分身体。
状況を踏まえれば、魔力を手がかりに、術者本人を見つけ出して叩くのが適切。
魔術師の多くは、このルートを選択することだろう。
現に、吾輩もそうだった。
しかしジフォンの、魔力をコントロールする技術が桁外れだったため、有効な戦い方にはならなかった。
そこだけを見れば、吾輩は、特別な才能を持つ魔術師であるジフォンに対して、まったく勝ち目のない勝負を挑んでしまっていたことになる。
魔力的な差異がない、あるいは感じ取れない以上、それを探る手段では、術者までたどり着けないからだ。
だから吾輩は、別の方法で、ジフォン本人を特定することにした。
「『天才的な魔術師』であるあなたの得意とする魔力コントロールのほころびを、凡人である吾輩が見抜くのは、かなり難しい」
「『それは本心かな? 少しトゲを感じるけどね』」
「本心です。あなたは天才ですよ」
「『よかった。そういうことなら受け入れよう』」
軽口は相変わらず。
まだ余裕があるな。
悔やまれる。
先ほどの攻撃がクリーンヒットしていれば。
「そこで吾輩は、吾輩の領域で、あなたまでたどり着くことにしました」
「『わからないな。無数の幻影の中、魔力ではない手がかりで、どうやって?』」
「『闘気』ですよ」
「『……闘気?』」
やはり、ジフォンはピンと来ていないようだ。
「吾輩たち種族、動物、幻獣、場合によっては神霊――それらが放つ戦意のエネルギーが、一般的に闘気と呼ばれるものです」
「『……なるほど』」
「分身体を創り出す魔法の場合、通常、術者は一人。残りは、すべて魔力の幻です。術者も分身体も、狙うべき相手を仕留めるため、さまざまな攻撃をしてくる――あなたが、そうしたように」
「『そうだね』」
「ゴーストである吾輩も、魔力体である幻からの攻撃では、ノーダメージとはいかない。必死に抵抗します。見つけられもしない、魔力的な差異を探りながら」
「『自虐かな?』」
「いえ、事実です」
「『その冷静さは美徳だよ』」
「その冷静さが功を奏した結果――かどうかはわかりませんが、吾輩は、あなたと分身体を明確に判別できる感覚に気づきました」
「『それが、闘気?』」
ええ――と、吾輩はうなずいた。
「吾輩たち武人は基本的に、相手の闘気をうかがいながら戦っている。それは自然なことで、特別なスタイルではありません。しかし吾輩は、知らず知らず、あなたの魔力コントロール技術にのまれていた。だから、魔力だけに意識を集中させてしまったんです」
もしも、あのままの思考から離れられなければ、今もまだ、吾輩は無数の幻に囲まれていたことだろう。
「気づいてしまえば簡単なことでした。当たり前ですが、魔力体には魔力がある。攻撃もしてくる。ですが、闘気はない。闘気を放つのは――」
「『術者である、私だけ――ということか』」
「あなたの創り出した分身体は、あなたが操っているだけの魔力の幻です。魔力という点において、あなたと分身体に線引をするのは難しい。けれど、それ以外の要素に着目すれば、すべての景色が変わります」
吾輩を襲う分身体からは、たとえ、その刹那に際しても闘気は出ない。
しかし術者が吾輩を狙っているのなら、それに伴う攻撃的な気配が――すなわち闘気が、必ず。
「『君の後頭部に、まるで「目」があるかのように思えたのは、そういう理由なんだね』」
混乱の中で、吾輩が感じたものは、ジフォンが漂わせていた闘気だった。
すべてが完全に一致していた魔力の幻の中で、明らかに異質なエネルギーの存在。
それが闘気だとわかった瞬間、吾輩は、本人の場所を特定することができたんだ。
「『魔力をコントロールするだけじゃ、君のような相手には通用しないと言うわけか……恐ろしいね、生粋の武人という人種は』」
やれやれ――と、ジフォンが肩を落とした。




