054. 大盗賊、現る(1) ――邂逅――
扉がノックされた。
まどろみが、はっきりとした覚醒に変わる。
「…………」
さすがに明日もあるので、それほど遅くならないうちに解散した吾輩たち。
一人の部屋で眠りについて、どれくらいの時間が経っただろうか。
窓の外は、まだ暗い。
日付は変わっているだろうが、太陽が昇るまでに夢を見る余裕は、まだ十分にありそうだ。
廊下からは、かすかな気配。
ベッドから起き上がり、コートと剣に手を伸ばす。
移動。
壁に張り付いて、様子をうかがう。
不自然な音は聞こえない。
右手は、腰に差した剣の柄に置く。
肩を預けるようにして、左手でドアハンドルを握った。
慎重に扉を開ける。
二階フロアの通路。
左右を確認するが、誰もいない。
気のせいか?
……いや、廊下の突き当たりに、誰かがいる。
じゅうたんを照らす淡い灯りが、おぼろげな人影を形作っていた。
吾輩は、息を殺すようにして近づいていく。
次の瞬間、影の主が動き出した。
くっ、逃がすか。
人影を追う吾輩は、階段を下り、一階へ。
謎の人物は、城の玄関である大扉に向かっていた。
庭に出るつもりなのか?
今は深夜。
当然閉められているだろうし、警備を担当する憲兵も控えているはずだ。
しかし、なぜか大扉は開放されていて、
「むにゃ、むにゃ……」
「Zzzzzz……」
おそらくは守衛だと思われる二人の男性憲兵が、床に倒れて眠っていた。
まずいな。
これは、ただごとじゃないぞ。
謎の人影は、そのまま庭へ。
城壁の外へ逃げるのか?
違う、回り込んだ。
どういうわけか、大通りに続く正門側ではなく、裏庭を目指している。
吾輩たちが町へ出るために使った裏門や、監禁されていたエルマーさんを救出した納屋がある方面だ。
周囲を確認。
敷地内を守っていただろう憲兵の皆さんが、あちらこちらで横たわっている。
加えて、数は少ないが、まったく動かない虹蛇の姿も。
聞こえてくるのは、かすかな寝息。
くっ、ここもやられたか。
何者なのか不明。
建物にさえぎられてしまう月明かりだけでは、よくわからない。
けれど大きなマントが、まるで夜を塗りつぶす筆のように踊っている。
まさか、あれは――。
城の背面、裏庭に到着。
だが、見失った。
くっ、どこだ?
夢の中にいる憲兵と虹蛇たち以外に、誰の姿もない。
どこだ?
いったい、どこに――。
「『上だよ、銅の騎士』」
初めて耳にする『声』だった。
「『眠りを妨げてしまったこと、大変申し訳ない。しかし、この夜のうちに、あいさつくらいはしておきたいと思ってね』」
力強い男性のような、麗しい女性のような、
「『だって、そうだろう? 次の夜、君たちには、私と言葉を交わす時間さえ与えられない。気づいた頃には、すべてが終わっているのさ』」
何も知らない子供のような、人生を悟った老人のような、
「『私は、一つひとつの出会いを大切にしている。一期一会だ。生涯、最初で最後の邂逅。誰一人、私にたどり着くことなどできないのだから』」
あらゆる声質が混ざり合った『声』だ。
体質、魔法、あるいは特殊なアイテム――その仕組みはわからないが、意図的に変えていることは明らか。
なるほど。
これでは年齢も性別も、何一つ判断できない。
「『そんな「目」で見ないでほしい。あいさつとは、人と人、あらゆる交流の基本だ。お互い、ほがらかに行うべきものだよ』」
城壁の上。
はっきりとした月明かりが、あいまいだった人影を、確かな存在にしていく。
閣下の言葉を思い出す。
『まるで帯のような紫色の布を頭に巻き、獣の長い尾のようになびかせる。着込んだ上品なジャケットは、夜に溶け込むほどに深い黒。下半身は、非常に特徴的な衣装だ。極端に太く、足首に向かって強く狭まる、異様に股上の浅いシルエット。大きなマントをひるがえすその正体は、白い仮面によって覆れ、何者も知ることはできない――』
どこかの民族衣装だろうか?
さながら帽子のように、帯状の布で頭部を覆っている。
紫色の長い両端が、夜風で怪しく揺れていた。
羽織っているものは、おそらく高価な上着だろう。
加えて、大きなマントだ。
夜の中でありながら、夜の闇に負けることのない洗練された黒。
誰もが寝静まっている時間の装いとしては、不必要に質がよすぎる。
下半身に履いているものは、かなり個性的。
幅のコントラストが激しい。
カーブを描くようなフォルムが、奇妙な動きを見せている。
こちらも、吾輩からすれば異国情緒が漂う。
上着と同じく深い黒色。
だが、光沢感は弱い。
もっと荒く、硬く、強い印象を受けた。
そして、顔。
全体的に暗い色使いの中において、あからさまに際立つ白い仮面が、その表情を完全に隠していた。
間違いない。
あれは、その名を世界に轟かせる、彷徨える大罪人の一人――。
「『はじめまして、ゴーストの銅の騎士。私は怪盗ジフォン。探し求める者、怪盗ジフォンさ』」
大盗賊、怪盗ジフォン。
吾輩の前に、今――。




