049. 広く大きな展示室にて(13)
「ということなんですが猊下、今度こそ、ご納得いただけましたか?」
ここまでをまとめるように、ミロートさんが、ハウリアドさまに尋ねた。
数秒間、固まったみたいに動かなかった猊下だが、
「はい、よくわかりました」
突然、にこやかな顔になる。
「そしてミロートさん、どうか無礼をお許しください」
今までの表情が、まるで仮面を着けていたかのようだ。
「実は、皆さんを少し試させていただいたのです」
緊張感のあった空気が、ゆっくりと和んでいく。
「結果的に、あなたを責めるような形になってしまいました。申し訳ありません、ミロートさん」
猊下が、静かに頭を下げる。
その行いに、後方の聖職者たちは動揺を見せていた。
ベンデノフ国教会のトップという立場を考えると、あの方が一介の旅人に謝罪の礼を尽くすなんて、そうそうあり得ないことなんだろう。
関係者からすれば、受け入れがたい行動なのかもしれない。
「や、やめてください、そんな……」
いきなりの展開に、ここまで冷静だったミロートさんも困惑の様子。
けれど吾輩には、それが猊下の、人間的な誠実さを表しているように感じられた。
「私は、ただの聖職者。この国の騎士、憲兵、ましてや国境なき騎士団員でもありません。その手のことは、当然ながら素人。口を出せるような能力も権限も、まったく持ち合わせていないのです」
ハウリアドさまは、ミロートさんだけでなく、吾輩たち全体に語りかけていた。
「一方で私には、国教会の長という肩書きが与えられています。我々が尊崇する気高き精霊獣は、このベンデノフの守護者。国と民を守る存在です。私は、その御柱に仕える身。国と民を守るという使命感は、私にも、強く強くあるのですよ」
穏やかな猊下の瞳には、国内最高位聖職者としての決意――いや、もっと素直で純粋な感情の輝きが宿っているように、吾輩には思えた。
「彷徨える大罪人とはいえ、たった一人の盗賊に、この国を大きく乱すことは、さすがにできないでしょう。しかしながら、我が物顔で闊歩されては、もちろん気分はよくありません。たとえ狙われている品が、閣下の私的なコレクションであっても」
ハウリアドさまが、ステレッサの粘土板を一瞥する。
「先ほどの魔法幻兵の件、私はジフォンの名前を聞いて、あの大盗賊からの挑戦だと理解しました。ですから、がらにもなく興奮してしまったのです。相手にその気があるのなら、こちらも、堂々と受けて立とうと」
自らが率いる教団メンバーの中に、向こう側のしもべが入り込んでいたんだ。
高位の聖職者とはいえ、頭に来ても仕方がないだろう。
「そのため、つい『お力になれる』などと、うぬぼれたことを口にしてしまいました。重ねて、申し訳ありません」
恥ずかしそうに、猊下が笑った。
「アスティニさん。あなたのおっしゃるように、少数精鋭で挑むというのは、非常に合理的だと思います。門外漢の私が指摘できるような問題点は、すべてクリアしているようです。いやぁ、安心しました」
「……では猊下は、今回の警備の有効性を確かめるために、あえて?」
アスティニの問いに、小さくうなずいたハウリアドさま。
「素人の浅知恵でしたね。私のような部外者がいては、皆さんの足を引っ張ることになりかねません。今夜は用意していただいた町の宿に泊まり、明日の朝、南ベンデノフを出ようと思います」
「んんっ、げ、猊下!?」
ここまでの空気にのまれて、しばらくは黙っていたヤヌテさま。
しかしここで、慌てたように声を上げた。
「みょ、明朝、もう一度こちらにおじゃまするというのはどうでしょう? 焦ることはありません。そして、あらためて閣下とのお話を――」
「文字通り『おじゃま』になりますから、今回は、これで帰ることにしましょう」
「い、いや……ですが猊下、私たちには、もう時間がないのです」
「すでに今日、閣下には場を設けていただきました。これ以上、駄々をこねて困らせるわけにはいきません」
「し、しかし……よろしいのですか?」
「この国がどのような道を進むにせよ、聖職者である我々が為すべきことは変わりません。慈愛あふれる御柱に、ただひたすら、誠実に仕えるのみ」
「失礼ながら、このままでは、いずれ、その御柱が――」
「それがベンデノフの選ぶ未来であるのなら、それでも構わないと、私は思っています」
「……猊下、それはさすがに」
「おっと、口が過ぎましたかね? 本音を偽るつもりはありませんが、まぁ、今のは忘れてください。私の考えを、よく思わない方も少なくないことは、十分に承知していますから」
ハウリアドさまの言葉に、ヤヌテさまは沈黙した。
「賽は投げられたのです。私たちにも、その原因の一端がある。泣きついたところで、どうにかできる話ではないでしょう」
副教長をはじめとする聖職者たちへ伝えているような猊下だが、
「国家とは、そういうものですよね、閣下?」
最後は、トゥエンティンさまに視線を向けていた。
「…………」
大公は、無言を貫いた。
「では、よろしいですね?」
「……わ、わかりました」
猊下の問いかけに、ヤヌテさまは、不本意そうに答えていた。
後ろ髪を引かれるような思いが、どうしても拭えないんだろう。
想像するに、例の『王国中央と国教会の間の何か』に関する会話だったことは間違いない。
ただ、もちろん詳細は不明。
何やら、ずいぶん複雑な問題をはらんでいそうな雰囲気だったけど……。




