044. 広く大きな展示室にて(8)
「細かい内容はよくわからなかったけど」
と、クーリア。
「ワガハイくんは、ジフォンの正体を、いろいろ推理しているってことだよね?」
アスティニとの会話を聞いていたらしい彼女に、それとなく尋ねてみる。
「ねぇ、クーリア」
「ん?」
「ジフォンは、自分が悪であることを理解している――君は、そう言ったね?」
「う、うん。私なりに考えて、だけど」
「それをわかった上で、それでも成し遂げたい何かがあるとも」
「……うん」
もしも、あの怪盗が、クーリアの想像するような相手だとしたら――。
「ジフォンの名前が知られるようになって、約十年。そのうちの二年、深い外傷により、表舞台から姿を消している。それでも彼、あるいは彼女は、一年ほど前から犯行を再開した。命をも落としかねなかった経験の先で、また」
十年間という月日は、おおよそ、吾輩が確かな記憶を持っている期間と等しい。
言うなれば、吾輩の人生のすべて――みたいなもの。
短い歳月だとは思えない。
しかもジフォンは、瀕死のダメージから回復し、再び戻ってきたんだ。
だから考えてしまう。
「十年もの間、自分の罪を認めながら、怪盗であり続ける理由って、いったい何なんだろうね……」
クーリアにではなく、それは自分へ問いかけだった。
「想像してわかるものではないと、私は思う」
思いにふける吾輩を、アスティ二が気遣ってくれる。
「敵を知ろうとすることは大切だ。しかし、ジフォンは盗賊。何より、彷徨える大罪人。あなたとは違う」
「……わかってる」
「それでも知りたければ、直接、その疑問を突きつければいい。明日、ジフォン本人を捕まえてな」
直接、本人に――か。
「もしもそうなったら、俺のステレッサの粘土板が、ジフォンの狙った最後の品になるわけだ」
悪くない、箔が付くぞ――と、閣下。
「いいんですか、トゥエンティンさま。大好きなジフォンが捕まっちゃいますよ?」
「それはそれ、これはこれだ」
「……やっぱり好きなんじゃないですか、ジフォンのこと」
相変わらずの大公に、クーリアはあきれ顔だった。
「なるほど。ステレッサの粘土板を守るということは、ひょっとすると僕たちが、ジフォンを捕まえることになるかもしれないんですね」
単純な話のようだけど、相手は彷徨える大罪人。
達成できたなら、間違いなく快挙だ。
ミロートさんは、少し興奮していた。
「もちろん、ジフォンは必ず捕まえる。やつの犯行も、この南ベンデノフで終わりだ」
アスティニが宣言する。
冷静な口調ながら、強い決意が感じられた。
「でも、具体的にどうするんですか?」
と、クーリア。
当然の質問だ。
敵は怪盗ジフォン。
行き当たりばったり、というわけにはいかない。
「ワガハイ」
アスティニが呼びかけてきた。
「あなたと私で、この粘土板を、もっとも近い距離で監視しようと思う。単純だが、ジフォンに手を出す隙を与えないことが一番有効だと考えるが、どうだ?」
「銀の騎士である君に従うよ」
向こうの出方がわからない以上、ターゲットから離れるわけにはいかない。
吾輩に異論はなかった。
「ミロートには、この部屋の入り口付近を守ってもらいたい。侵入経路を塞ぐのは、一つのセオリーだ。ワガハイが認めた剣士なら、信頼して任せられる」
「わかりました」
アスティニの指示に、ミロートさんがうなずいた。
この展示空間に、出入り口は一カ所だけ。
あそこを押さえておけば、とりあえずは安心だろう。
「予告状を見てくれ」
アスティニが、吾輩たちをうながす。
「『日が沈み、次の夜へと衣を変える前の闇』とある。『日が沈み』は、そのまま日没後を意味する。『次の夜へと衣を変える』とは、日付が変わる時、すなわち午前零時を指すと考えられる」
時間による区切りが、一つの夜を二つに――つまり、昨日と今日の夜、または今日と明日の夜に分けてしまうということか。
「その『前の闇』だから、やつは明日が終わろうとする深夜、この粘土板を奪いにくるはずだ。そこを、私たちで迎え撃つ」
抽象的な文章も、アスティニの解釈を聞くと、明確な意味が見えてくる。
十分に納得できる内容だし、おそらく間違いないだろう。
「明日は長い夜になる。覚悟しておいてほしい」
吾輩とミロートさんを鼓舞するように、アスティニが言った。
「城の敷地内には、現在も多くの憲兵が配置されている。この状態は維持してもらうが、王弟大公博物館の中に、彼らは立ち入らせない。対応するのは、あくまで私たちだけだ」
「け、憲兵の皆さんを、ここの警備に回さないんですか!?」
アスティニの語る計画に、クーリアが驚く。
「それは、さすがにまずくないですか? 相手は、あの怪盗ジフォン。いくらワガハイくんやミロートさんが強い剣士だとしても、やっぱり味方は多い方が……」
もっともな意見だが、
「逆だ、クーリア」
アスティニは否定する。
「ジフォンを相手にすることの意味を、もう一度よく考えてみるんだ。私たちは、すでに一杯食わされている」
「すでに? …………あっ、変装!」
「その通り」
理解した様子のクーリアに、アスティニが続ける。
「この場の人員を増やせば、やつがなりすましているかもしれない人物を、不用意に、ステレッサの粘土板へ近づけてしまう可能性がある。だから少数精鋭。明日の夜、この建物の中にいる者の数は、極力少ない方がいいんだ」
「た、確かに……またエルマーさんの出来事みたいになっちゃったら、すごく困りますもんね」
実際に経験しているからか、クーリアは深く納得していた。
「閣下には、すべて受け入れてもらっている。もちろん私の考えを、しっかり把握してもらった上で」
「銀の騎士の意見に、素人の俺が文句を言ったって、どうせ、ろくなことにならないからな」
トゥエンティンさまが会話に加わる。
「外の憲兵は増やしたが、それ以上、俺にできることはない。全面的に任せるだけだ」
だからアスティニは、エルマーさんの一件で取り乱したオリップさんに対して、特別な警備は必要ないと伝えたんだな。
『今まで通りの対応を続けていれば、それで構いません』
下手に憲兵を動かせば、かえってジフォンを利することにつながってしまうから。
「ターゲットに接近されるおそれを最小限にし、実力のある数名で、確実に叩く――現状、これが対ジフォンの最適解だ」
「おぉ! やっぱりアスティニさん、デキる女の人だ……ちょ、ちょっと悔しいけど」
「最後の物言いは引っかかるが、まぁ、素直に聞き入れることにしよう」
クーリアの賞賛に、冷静なアスティニも、まんざらではない雰囲気。
確かに、この作戦は的を射ている。
さて、ジフォンはどう出るか?




