034. 青年猊下は帰らない(2)
ハウリアドさまは、王弟大公博物館を見てみたいと言う。
対して大公は、とにかく帰ってもらおうと、明に暗に出立をうながす。
一度は受け入れかけた猊下だったけど、事は上手く運ばない。
「ということですので、ぜひ我々に、閣下のコレクションを拝見させていただきたい」
教団の次席、ヤヌテさま。
いきなり出てきた印象の彼は、べったりと張り付けたような笑みを浮かべ、やや強引に閣下へ迫った。
「……こちらの都合が悪いと、そう言ったはずですが?」
「お手間は取らせません。猊下も、強く興味を抱いていますゆえ――ですよね、猊下?」
「はい、それはもう♪」
拒絶の意思を示した閣下だが、ヤヌテさまは退かない。
ハウリアドさまを巻き込む形で、逃げられないような空気を作り出す。
「いかかでしょう、閣下? 我らが猊下も、こうおっしゃっておりますよ?」
あの国内第二位の聖職者からは、この場にどうしても残りたいという意思を感じた。
「…………はぁ」
ため息を吐いたトゥエンティンさまが、こちらを振り返る。
その視線は、吾輩とアスティニへ。
要は『どうしたらいいか?』と、言外に訴えているんだ。
この状況においては、いろいろな可能性が考えられる。
敷地内の警備を最優先事項とするなら、余計な来客などマイナス要因にしかならない。
ただ、そんなことは、閣下もわかっている。
来客が、それ相応の立場にあるから厄介なんだ。
アスティニが尋ねてくる。
「意見を聞かせてくれ、ワガハイ」
「うーん……相手は、国内の高位聖職者たち。大公である閣下との会合は、別に不自然じゃないよね」
とはいえ、この時期なのは少し気になる。
仮に特段の前触れもなく、急ごしらえで場が整えられたとすれば、何かの罠である可能性が出てくる。
細心の注意と、慎重な判断が求められるだろう。
しかしながら、お互いの地位を考えれば、おそらく事前に予定を組んでいたはずだ。
ジフォンと結びつけてしまうのは、ちょっと神経質すぎるか?
ベンデノフ王家出身の大貴族と、国教会の幹部。
両者が妙な駆け引きをしている、このおかしな状況。
一連のやり取りは傍観しているものの、詳細な事情までは把握できていない。
それとなくわかったのは、なぜか教団側が、この城に残りたいという意図を持っていることだけだ。
その上で、吾輩が一番気になったのは――。
「でも、あちらの皆さんは、もう用事が済んで帰ったはずなんだ――そうですよね、オリップさん?」
「ええ。夕食のテーブルを囲みながら、現在の国内における……ちょっとした懸案事項を」
と、閣下を見守る侍従長が、吾輩に。
そもそも、それを理由に、吾輩たちは一度、町へ出たんだ。
夕食を済ませた後――つまり、予定されていた会合が終わった頃に、また来てくれと言われて。
「今オリップさんが答えてくれたことを前提とするなら、その夕食のテーブルを囲みながらの会合は、閣下の本日の予定として、あらかじめ組み込まれていたものになる。だけど、それ自体は無事に終わった。終わったのに、どういうわけか先方が戻ってきてしまったから、閣下は困っているんだと思う」
推測を交えつつ、ここまでの流れを、吾輩なりにまとめる。
「要するに、現在この場に国教会の聖職者がいるのは、まったく想定外の事態――ということになるんだ」
「では今度は、あの中にジフォンがいると?」
アスティニが、結論を急がせてくる。
「そこまでは思ってないけど、調べたいところではあるね」
「しかしワガハイ、相手が相手だぞ」
そう。
向こうは、国王の弟である大公を困らせるような地位を持つ人物と、その関係者だ。
のっぴきならない理由はあるにせよ、彼らの身ぐるみをはぐように、この城の憲兵に命じることは難しい。
しかも、ゴーストである吾輩と違って、刃で切りつける――というような確認方法がない。
「や、やはり、事情を伝えて帰ってもらうしか……と、とはいえ、この時期に、あの怪盗の名前を出すというのは、どうにも」
頭を抱えながら、オリップさんがつぶやく。
当たり前だが、ジフォンのことを教団側には開示していないようだ。
もちろん、理解して帰ってくれるのなら、それが最良。
だけどあの方たちは、本当に受け入れてくれるだろうか?
ジフォンがあの中にいるかどうかに関係なく、どうも退いてくれるような雰囲気がしないんだよな。
「教えてください、オリップさん」
「は、はい。何でしょう、ワガハイさん?」
「先ほど、今日の会合で『現在の国内における』『ちょっとした懸案事項』を話したとおっしゃいました。もしかして、王国中央と国教会の間に、何か問題でも?」
「そ、それは……」
言いよどむ侍従長。
これは、もう聞き返す必要もない。
「か、考え方の違い、立場による見解の齟齬なのです。今となってはもう、あちらにはただ、納得していただくしか……」
吾輩の態度から察したんだろう。
弁明するように付け加えた。
「ジフォンのことを知られると、閣下の不利益になりますか?」
「ぼ、坊ちゃんの不利益というより……ど、どうでしょうか?」
断言はできない様子のオリップさん。
まぁ、その懸案事項の内容がわからない以上、吾輩としては意見もできない。
「何か政治的な理由があるのなら、最終的には大公自らが判断しなくてはならないでしょう。無用の来客にはお帰り願いたいが、あくまで私は銀の騎士。平和や秩序が乱されない限り、この国の内政に関わる権限はないので」
アスティニが、国境なき騎士団員としての総括をした。
クーリアとミロートさんは、口をつぐんでいる。
キューイもおとなしくしていた。
「……わかりました。では、私から坊ちゃんに」
オリップさんが、大公のところまで進んでいく。
すると遠くから、こちらに迫ってくる足音が。
小柄な侍従長と入れ替わるように、だんだんと近づいてくる。
「あれ、エルマーさん?」
その人影に、いち早く気づいたのはクーリア。
ジフォンによって監禁されていた、男性の侍従官。
吾輩たちが救出した後、しばらく休んでいたはずの彼が、身なりを整えて戻ってきたんだ。
「皆さん、おそろいで」
しわのない、洗練された黒い服。
裏庭の小屋で、土とほこりに汚れていた姿は、もうない。
復活したエルマーさんが頭を下げる。
「先ほどは、本当にありがとうございました」
「礼には及びません。それより、体は大丈夫なんですか?」
「もちろんです。ケガはありませんし、空腹も満たされました」
尋ねる吾輩に、エルマーさんは力強く答えた。
「状況が状況です。私などがお役に立てるとは思いませんが、暇を頂戴している場合ではありませんので」
事情は理解しているようだ。
もしかしたら、ジフォンが自分に成り代わっていたということに、エルマーさんは責任を感じているのかもしれない。
「あらためまして、私は人間のエルマー。トゥエンティン大公にお仕えする、この城の侍従官です」
おそらく皆さんからすれば、聞き覚えのある自己紹介になると思いますが――と、彼は苦笑い。
「吾輩はワガハイ、銅の騎士のゴーストです」
「私は、ハーフエルフのクーリアです。この子は、ドラゴンのキューイ」
「キュイ」
吾輩たちの後に、
「僕は、ライトエルフのミロートと申します……何だか、不思議な感じですね」
「私は、ダークエルフのアスティニ。国境なき騎士団から派遣されてきた、銀の騎士だ。よろしく頼む」
ミロートさんとアスティニが続いた。
「私には実感がないのですが……すみません、きっと二度手間でしたよね」
エルマーさんは、どうにも決まりが悪そうだ。
「皆さんが今回、あの怪盗を捕まえてくださるのですよね? この城で働く者として、ご協力に感謝いたします」
再度、彼は深く頭を下げた。
「それで……これはいったい、どういうことになっているのでしょう?」
少し離れたところには、大公に耳打ちするオリップさんと、それをながめる聖職者集団。
今、この場に来たばかりのエルマーさんには、詳細のわからない光景だろう。
「何か、あちらの偉い聖職者の方が、トゥエンティンさまのコレクションを見たいとかで、なかなか帰ってくれないんですよ」
ものすごくざっくりと、クーリアがエルマーさんに説明。
まぁ、城の侍従官なら、これでだいたいは察してくれるだろうけど。
「……ああ、そうでしたか」
納得した様子のエルマーさんだが、どことなく含みのある感じ。
やっぱり、王国中央と国教会には、少しデリケートな部分がありそうだな。




