031. 大盗賊の流儀(2)
「……あの」
短くはない沈黙を破ったのは、クーリアだった。
「私の意見なんかで、オリップさんが納得できるとは思いませんが――」
断りが入る。
しかし、彼女が言いよどむようなことはなかった。
「やっぱりジフォンは、明日の夜まで、ステレッサの粘土板に手を出さないんじゃないですかね?」
「……あなたも、以前の犯行がすべてそうだから――と?」
「私は、ただワガハイくんとパーティーを組んでいるだけで、国境なき騎士団員とかじゃないし……アスティニさんみたいに、過去の正確な事実を知っているわけでもありません。だから、証拠や根拠みたいなものを示すことはできません。でも、そういうの関係なく、何となく伝わってきちゃうんです」
オリップさんから投げかけられた問いに、クーリアは彼女なりの言葉で、誠実に答えていく。
「たぶんジフォンは、自分が悪いことをしてるって、ちゃんと理解できているんですよ。盗みがいけないことだと、十分にわかっている。もちろん彼――いや、彼女かな? どっちかわかんないけど、向こうは向こうで、それなりの理由があるんだと思います。けど、どんな理由があろうと、ダメなものはダメなんだろうなって……きっと本人に、その自覚があるんです」
だってオリップさんは、トゥエンティンさまの大切なものが奪われたら、間違いなく悲しくなるはずですから――と、クーリアは続けた。
「自分の行いは、誰かの何かを傷つける。だから、その罪から逃げるつもりはない。捕まる覚悟、断罪される覚悟はできている――その証が、必ず出される予告状なんじゃないでしょうか?」
「予告状が?」
「考えてみたら、おかしいですよね、予告状って。欲しいものがあるなら、黙ってこっそり持ち出しちゃえばいいのに、あえて事前に伝えるなんて」
「……確かに」
クーリアの話に、オリップさんは真剣に耳をかたむけていた。
「盗みは悪いことだけど、それでもフェアでありたい――たぶんジフォンなりに、やるなら正々堂々と勝負したいんですよ。いけないことをやるんです。負けたら牢獄行きっていうリスクがなければ、フェアな勝負にはなりませんから」
フェアな勝負。
おもしろい表現だな。
「それが、盗みという犯罪を行う上での自分への枷、絶対のルールなんです。もしも破れば、本当の悪に堕ちてしまう。だから、それだけは守る。怪盗ジフォンという盗賊が、他と違う理由は、きっとそこにあるんじゃないでしょうか?」
義賊であること。
他者を刃や魔法で負傷させない、無血盗賊であること。
この二つの特徴も、クーリアの意見を補強するものだと、吾輩は感じた。
これらもまた、ジフォンにとっての縛り。
盗むという行為以外、いかなる悪をも犯さないという、ある種の決意のような――。
盗人の哲学を想像するのは簡単じゃない。
想像できたとして、素直に納得できるとは思えない。
それでも、ここまで名を馳せた相手だ。
単なる欲望だけで、何年間も犯行を続けられるとは考えにくい。
富が目的なら、今までに獲得したもので、もう十分な額になるはず。
名声が目的なら、庶民に愛される彷徨える大罪人といういびつな称号は、間違いなく唯一無二の評価だ。
もしもジフォンが、本当にクーリアの言うような盗賊であるなら、犯行動機はそこにないんだろう。
自分は悪である。
言い訳はしない。
投獄も結構。
だが、簡単に捕まるわけにはいかない。
勝負しよう。
一方的な不意打ちでは不公平だ。
事前に通知することを約束する。
勝負に際し、君たちが血を流すことはない。
得た金銭は、すべて貧しい庶民へ。
この掟は絶対だ。
誓おう。
怪盗ジフォンの名は、このルールが適用されることの証明だ――。
もしも件の大盗賊の演説を聞けたなら、きっとこんな感じだろうな。
「変な話になっちゃうんですけど……信じていいと思うんです、ジフォンのことを」
少し言葉を選びつつ、クーリアはオリップさんに伝えた。
歳を重ねた侍従長は、何かを噛みしめるように黙っている。
「……あっ、す、すみません。私なんかが、偉そうなことを」
「いえ、そんあことはありませんよ」
慌てる素振りを見せたクーリアへ、オリップさんが穏やかに返す。
「私は、やっと納得できました。黒い影のようにしか見えていなかった怪盗なる者の輪郭も、いささか濃くなってきたように感じます。あなたは、他者の内心に想いを寄せることができる方なのですね」
「そ、そんなことは」
「ありがとうございます、クーリアさん」
表情を柔らかくした侍従長からの感謝に、彼女は戸惑いを示していた。
「取り乱したこと、お詫びいたします」
アスティニに謝罪するオリップさん。
「あらためて、どうかよろしくお願いいたします」
「もちろんです、心配はいらない」
アスティニは、はっきりと答えた。
銀の騎士としての頼もしい姿が、そこにある。
「(わ、ワガハイくん。私、おかしなこと言っちゃったかな?)」
急に不安になったのか、か細く、クーリアが尋ねてきた。
「(そんなことないよ。大丈夫。君の言葉は、しっかり届いたと思うよ)」
「(……そっか。なら、よかった)」
吾輩が伝えると、彼女は、わずかにほほえんだ。
オリップさんの心を軽くできたことに、ささやかながら満足しているようだった。
そこに、アスティニの声。
「クーリア」
「何ですか?」
「あなたも『同じ』だから、理解できたのか?」
吾輩の旧友は、それを言葉にはしていない。
しかし、クーリアが自称した職業を指しているようにも聞こえてしまう。
つまり、同じ盗賊だからわかるのかと。
「……それ、どういう意味ですか?」
やや好戦的に、クーリアが問い返す。
場の空気が、少しだけ鋭くなった。




