030. 大盗賊の流儀(1)
南ベンデノフ城の一室。
数時間前、ここに招かれてからすぐに通された、あの部屋だ。
この場にいるのは、吾輩たちパーティーに加え、ミロートさん、アスティニ、トゥエンティン大公と侍従長のオリップさん。
幸い、侍従官のエルマーさんにケガはなかった。
ただ、強い空腹を訴えたようだ。
現在は軽い食事をとり、別室で休んでいる。
アスティニが城の敷地内を確認したが、他に異変はなかったらしい。
ステレッサの粘土板も奪われてはいなかった。
ここまでの事情は、すべて閣下たちに伝えた。
もちろん、吾輩とアスティニが友人であるということも。
しかし今、重要なのはその点ではない。
二人は、頭を整理するかのように、しばらく無言だった。
オリップさんが口を開く。
「つまり、あの大盗賊は、もう城への侵入を……」
町を訪れて、まもなく。
吾輩は、侍従官のエルマーさん――だとされた人物に招かれ、この城に来た。
まさにこの部屋で、大公からステレッサの粘土板の警護を依頼され、快諾。
その後、夕食のために一時外出。
裏庭から続く扉にて、エルマーさん――だと思っていた人物に見送られた。
夜の町で、アスティニと合流。
城に戻ってきたところ、納屋に監禁されていた男性――エルマーさんを発見。
しかし彼は、今朝以降の記憶があいまいで、何より吾輩たちのことを、まったく知らなかった。
まるで、初対面であるかのように。
「単純な推理で導き出せる。疑う余地はない」
アスティニが、やや淡白な語り口で言った。
現在までの経緯を、彼女も把握している。
答えは、一つしかなかった。
「確認ですが『侍従官のエルマー』という男性は、確かに実在を?」
「ええ、間違いありません。私の部下で、優秀な若者です」
ミロートさんの質問に、オリップさんが答えた。
「……エルマーに、変装していたんだな」
閣下が、うなだれながらつぶやいた。
そう。
怪盗ジフォンは、もう動いていた。
つまり、こういうことだ。
ジフォンは、遅くとも今朝の時点までに、この城の敷地内に侵入。
そして、庭の見回りをしていた本物のエルマーさんと接触。
何らかの方法で彼の自由を奪い、納屋に閉じ込めた。
何食わぬ顔でエルマーさんに化けた怪盗は、本人を装い、侍従官として振る舞う。
その目的は不明だが、たまたま町を訪れただけの銅の騎士を、真面目にも見つけてしまう始末だ。
まったく、笑えてくる。
あろうことか吾輩は、すでに、かの大盗賊と出会っていたんだ。
本物のエルマーさんが、吾輩たちを知らないという事実が、何よりの証拠。
余裕か、挑発か。
いずれにせよ、一筋縄ではいかない。
それだけは、はっきりした。
「さすがは、彷徨える大罪人――といったところだな」
アスティニから、拳を握るような音が聞こえた。
「つくづく厄介で、腹立たしい相手だ」
自分自身を戒めるような言葉。
先ほどの、感情を抑えた熱のない口調は、あえてのものだったらしい。
吾輩も彼女も、彼ら――彷徨える大罪人がどういう存在なのか、十分に心得ているつもりだ。
それは『厄介で、腹立たしい』などという表現で足りるような、生易しい敵ではない。
心の奥が、小さくうずいた。
アスティニの独白には、簡単には説明できない想いが、多分に含まれている。
共感というレベルでは収まらない。
吾輩には、それが痛いほど強く理解できた。
「私たちは、どうすれば?」
オリップさんは、わらにもすがるような様子。
歳を重ねた侍従長。
もともとは、中央のベンデノフ王家に仕えていたようだから、役人や家臣としての経験値は豊富なんだろう。
だが、この手の問題は、きっと初めてのこと。
動揺するのも当然だ。
油断していたわけではないと思う。
ただ、真に現実味のあることとして、今回の一件をとらえてはいなかったのかもしれない。
いざこうなってみて、やっと切迫感を覚えた――といったところか。
「今まで通りの対応を続けていれば、それで構いません」
胸の内を落ち着けたのか、冷静な言動のアスティニ。
「相手が、あのジフォンである以上、予告状の内容から外れることはあり得ない。犯行は、明日の夜。意識すべきは、その一点のみ。たとえ、もうすでに、この敷地内に侵入されていたとしても、明日の夜までは、ぜったいに安全です」
彼女は、はっきりと断言した。
だが、オリップさんは納得していないようで。
「そ、そう言われましても……」
入国審査を厳しくし、城への来客も極力制限していた。
それでも、ジフォンは『現れた』。
侍従長として、何かしなければと焦る気持ちもわかる。
しかし、国や集落へ入るのに、正式な『玄関』を通る必要はない。
ここは、絶海の孤島や、断崖絶壁に囲まれた秘境とは違う。
検問を強化したところで、ある程度の限界はある。
もちろん、それが城であっても同じ。
望まない客を完全に排除することは不可能だ。
こちらは、あくまで守る側。
やるべきことをやる他に、できることはない。
吾輩としても、アスティニに同意。
しかし、オリップさんが言うことにも、一応の道理はある。
「エルマーは城内部の人間です。彼に成り代わっていたのなら、どうしてわざわざ、あの大盗賊が明日の夜まで待つ理由がありましょう? 目的がステレッサの粘土板であるなら、今すぐにでも持ち去ればよいだけのこと。悔しいですが、かの賊には、それができるだけの状況が整っていたのですよ」
少なくともエルマーさんに変装した以後、件のアイテムは、ジフォンの目と鼻の先にあった。
ステレッサの粘土板は、王弟大公博物館に展示されている。
警備は強化されているものの、現在においても、その場に保管されているようだから。
しかし怪盗は、まだ獲物に手をかけてはいない。
まるで、アスティニの言葉を証明するかのように。
オリップさんにしてみれば、それが解せないんだ。
語気も、どことなく強くなる。
「義賊だ、無血盗賊だともてはやされていても、結局は盗人、犯罪者です。銀の騎士のアスティニさんが、なぜ、彷徨える大罪人である賊に、ある種の信頼を寄せているのか、私には理解できません」
「説明不足になっていたのなら謝らせていただきます。ただこれは、国境なき騎士団員としての合理的意見です。飲み込んで納得していただく以外はない。安心して、私に任せてください」
「あなたに不満があるわけではないのです。しかし、もうすでに、この城のどこか――」
「やめろ、オリップ」
食い下がる侍従長を、閣下が制する。
「怪盗ジフォンの活動は、もう十年近く行われてきた。そのほとんどは義賊としての犯行で、レアアイテムに関わるものは、ごく一部に過ぎない」
当たり前だけど、絶対数が少なく希少だからこそのレアアイテム。
限られたその中で、向こうも狙いを絞っているはず。
きっと、何でもいいわけじゃない。
だから数の上では、当然そうなる。
「しかし、そのすべてにおいて、ジフォンは予告状を出し、それに従った形で犯行を続けている。ただの一度も、そのルールに反したことはない」
トゥエンティンさまは、怪盗ジフォンに大きな関心を抱いていた。
だから、知識も深い。
とはいえ、さすがにもう、浮かれた様子はなかった。
閣下の言ったことは、それがそのまま、明日の夜までは安全――と、アスティニが断言した根拠になっている。
彼女のことだ。
ここに来るまで、可能な限り、あらゆる資料に触れてきたことだろう。
吾輩は、もちろん調べたわけじゃない。
けれど、知っている限りでは、そうであったと記憶している。
つまり、過去の事実が明確に示しているんだ。
怪盗ジフォンは、必ず、予告状通りに動くのだと。
「……それでも、次もそうだとは限らないでしょう?」
侍従長は、憂いの瞳で、自らが仕える大公を見やる。
「悠長にしていては、奪われてしまうかもしれないのですよ?」
「…………」
閣下は無言のまま、何も語らない。
そんな主の胸の内を代弁するように、オリップさんが口にする。
「あのステレッサの粘土板は、坊ちゃんが熱心に探し求め、やっと見つけたものなのです」
吾輩たちに、その想いを届けるがごとく。
「等級六つ星ですよ? いくら一国の大貴族といえども、簡単に入手することはできません。先立つものは必要ですが、それだけではどうにもならないことを、私は知っています」
トゥエンティンさまの最側近としての、経験に裏付けられた言葉なんだろう。
「名のあるコレクターに話を通すのはもちろん、坊ちゃんは自ら捜索隊を組織して、世界各地を調査しました。古城、森林、ダンジョン――ご自身が足を運んだことも、一度や二度ではありません。今回は、結果的に『購入』という形になりましたが、ただ単に買ったのとはわけが違うのです」
驚いた。
権力者がレアなアイテムを求める場合、その筋の『専門家』に依頼するのが基本。
しかしトゥエンティンさまは、金貨にものを言わせて待つ――だけでなく、能動的にも動いていたようだ。
市場に流れていないか、誰かが持っているのではないかと確かめるにとどまらず、秘宝が眠っているかもしれない場所に、自らが――。
「坊ちゃんの収集癖には、多少の不満もあります。ですが、坊ちゃんは自分の満足のためだけに、それを行っているのではありません。歴史は正しく学ぶべきものであり、文化は貴賤なく触れられてこそ本物――それを、大公という立場から体現なさっているのです」
王弟大公博物館の意義や目的は、すでにうかがっている。
アスティニも、きっとそうだろう。
この場にいる誰もが、閣下の行動が貴族の道楽ではないことを、しっかりわかっているはずだ。
「私は、ただ守りたいのです。坊ちゃんが、金貨だけでは勘定できない対価を払って手に入れた、あのステレッサの粘土板を」
オリップさんは、単に侍従長という役職から、その危機感を訴えているわけじゃない。
トゥエンティンさまを間近で見てきた一人として、閣下の想いを誰よりも大切にしているからこそ、ジフォンの存在に、心が不安定になってしまったんだ。
大公だけではなく、しばらくは皆が口をつぐんだ。




