010. 白いドラゴンの親子(4)
残り一体。
母竜は飛行しながら、わずかに体を左へ倒し、もう一方の翼竜を狙う。
翼と翼が、まるで剣のように交差して、互いのバランスが崩れた。
それでも、強引に旋回する母竜。
首を伸ばし、相手の喉元に、大きく開いた口で咬みついた。
「グァガッ!?」
苦しそうにもがく敵の翼竜。
だが、空いている尾を使い、母竜の体を鞭で打つように攻撃してくる。
くっ、どうする。
剣を抜き、吾輩が向こう側に移って――いや、ダメだ。
絡み合っている今の状態では、援護のための攻撃が、母竜にまでダメージを与えてしまう可能性が高い。
吾輩が考えあぐねているうちに、翼竜の爪が、母竜の翼に走った。
赤いしぶきが、雨のように落ちていく。
体勢が大きく崩れた。
しかし、それでも、母竜は喉元を離そうとはしない。
むしろ強く、より強く――その首を、咬みちぎるかのようにして。
「グブッ、ウッ……」
暴れていた翼竜の動きが止まる。
首を投げ出し、全身から力がなくなった。
絶命したんだ。
母竜はそっと、肉塊となった翼竜を解放した。
そして自らも、ゆっくりと大地へ落ちていく。
傷を負った翼では、もう自分を支えることができないんだ。
「しっかりしてくだ――」
「大丈夫です……ご心配には、及びませんよ」
意識のはっきりしている母竜は、残った翼を器用に動かしながら、森の中に体を預けて着地した。
彼女から降りた吾輩は、すぐに顔に近づき、その容態を確認する。
翼竜の血が滴る口元は何とも荒々しいが、その目の輝きは、ずいぶんと弱くなっている。
これは、危険な状態かもしれない。
「助かりましたよ……あなたがいなければ、あの者たちを退けることなどでき――」
「いいんです、そんなこと。それより今は、あなたの体を――」
「ワガハイくんっ」
「ワガハイさんっ」
地上から様子をうかがっていたであろうクーリアとヒズリさんが、吾輩たちのところに駆け寄ってきた――もちろん、あの幼竜といっしょに。
「キュイ……キュイーッ」
心配そうに鳴きながら、母竜へと飛んでいく白き幼竜。
首もとに寄り添うと、小さな舌で、母親の傷口を必死で舐めていた。
クーリアとヒズリさんは、
「「…………」」
負傷した母竜の姿に、言葉を失っていた。
とにかく治療をしないといけない。
悔しいけれど、吾輩は回復魔法が苦手なんだ。
物理攻撃を無効化できるゴーストということもあって、あまりお世話になる必要がないから。
吾輩は、旅の相棒に尋ねる。
「クーリア、回復魔法の心得は?」
「き、基本的なものなら、少しは……だけど、こんな状態のドラゴンなんて、とても」
確かに、これは、基礎魔法でどうにかできるレベルじゃない。
「あ、あのっ」
ヒズリさんが口を開く。
「私、家に戻って、何か回復系の魔効巻を作ってくるわ。それを使えば、もしかしたら――」
「いいえ、その必要は……ありま、せんよ」
やや言葉を途切れさせながら、母竜が言う。
「自分の体のことは、自分が、一番よく、わかっています……もう私は、ここで、終わりの、ようです」
「何を言ってるの!? あきらめちゃダメだよっ」
クーリアが叫んだ。
「お母さんがいなくなっちゃったら、その子は、いったいどうしたらいいの? 事情はわからないけどさ、守るんでしょ、その子を? だったら、ずっといっしょにいてあげなくちゃダメじゃないっ!!」
「……優しい女の子、ですね、あなたは」
声を荒らげたクーリアにも、母竜は穏やかに返す。
「私たちは、ドラゴン。強大な力を、持つ、種族は、そう生まれる代償として、戦いからは逃れられない……悲しいこと、ですが、この子も、きっと、理解できる時が、いつか、来ることでしょう」
「キュ、キュイ……」
母竜は、ドラゴンとしての宿命と覚悟を語った。
けれど、その目には涙が光っていた。
「……それでも、もしも願いが叶うなら、この子には、そんな世界で生きて、ほしくはなかったです」
母親としての、うそ偽りのない本音だろう。
吾輩にはわからない深い愛が、そこには、確かに存在していた。
「っ……」
死を受け入れた母竜を前にして、クーリアは何も言わない。
自分の無力さを、噛み殺しているみたいだった。
「キュイ、キュイ」
時間は、もうあまり残されてはいない。
そのことを、この幼竜も、本能的に理解しているようだ。
「……ごめん、なさいね。あなたをおいて、旅立つ私を、どうか、どうか、許して」
「キュイ、キューイッ」
おそらく、親子で交わす最後の会話になる。
吾輩たちに入り込む隙間なんてない。
「泣いては、いけま、せんよ。強く、強く生き、なさい。あなたは、私の、息子……自慢の、愛おしい、宝物、なのよ」
「キュイ……」
「運命に、負け、ないで……飛びなさい、あなたの翼で。どこ、までも、自由に、ね」
呼吸が浅くなった。
その体に宿していた膨大な魔力さえ、もう感じられないくらいになってしまっている。
「これだけは、忘れないで……私は、ずっと、あなたを、愛して、る――」
クーリアが、口を覆った。
ヒズリさんは、その場でうなだれた。
ひとりの母親が、月の輝く森で召された瞬間、
「……キュイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
悲しみの鳴き声が、夜空に響いていた。




