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顔なしゴースト『ワガハイ』の、つれづれならない国境なき冒険  作者: 渋谷 恩弥斎
[第3章 第1節] ベンデノフ王国>南ベンデノフ城下町
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006. 南ベンデノフ風のサンドイッチ(後編)

「……血を、見たくないんです」


 視線を外して、ミロートさんが口にする。


「僕も、それなりに流れて今日を迎えました。生きるため、旅を続けるために、斬り捨てた命も少なくはありません」


 彼の力量は、自分の身を守れる旅人――というレベルを大きく超えていた。

 あの虹色の怪物への一線は、他者を斬ることに迷いのない剣だった。


 もちろん相手は獣。

 いわゆる殺人とは別の話だ。


 旅をする以上、命の取り合いを避けることはできない。 

 町を一歩出れば、そこは弱肉強食の世界だ。

 獣はもちろん、野盗だっている。

 遭遇したトラブルすべてに情けをかけていれば、世界は旅人の死体だらけになってしまう。


 だから吾輩のような考えは、少し極端なんだろう。

 自覚はしている。


 それでも吾輩は、与えられた教えを素晴らしいと思った。

 偏屈へんくつな『あのひと』は、その教えを、自ら示してみせるにあまりある強さを持っていた。


 尊敬し、あこがれた。

 ぜったい言葉にはしないけれど、素直にそう思えたんだ。


 吾輩の剣は、そういう剣だ。

 相手の命を絶たず、その戦意を砕く剣術。


 対してミロートさんの剣からは、圧倒的な『経験』を感じた。

 単純な戦闘実績を超える、命を奪うということについての場数を。

 それに基づく迷わずの太刀。

 わずかな躊躇ちゅうちょもなく、一瞬で相手を仕留めるための動き。


 戦いというのは、相手と作り上げていくものだ。

 会話と同じで、一人では成り立たない。

 だから敵の出方を見て、合わせて、流し、先を読み、自らの一手をぶつける。

 それぞれの技を積み上げながら、決着の瞬間へと、互いに進んでいく過程に他ならない。


 しかしミロートさんの戦術は、おそらく、その基本から外れている。

 もちろん、あの一太刀だけで断言できるほど、吾輩の洞察力は高くない。

 あくまで想像。

 だけど彼は、きっと『会話』をしない。

 その間を省き、相手の絶命という結末まで、瞬間的に駆け上がる――そんな印象を受けた。


 ミロートさんが、はなかげに笑う。


「相手が誰であれ、命を奪うというのは、決して気持ちのいいものじゃない……苦手なんですよ、血に染まって、物言わなくなったしかばねが」


 先ほど、町の人に気がかりなことを言われたから――ではないだろう。


「今では、自分を襲ってくる獣を斬るのさえ、心が揺れてしまうことがあるんです――あっ、でも、誰かを守るためなら平気なんですよ。だから、ワガハイさんたちを助けた剣は、まったく胸がざわつかなくて……おせっかいだったかもしれないけど、少し気分がよかったんです。久しぶりでした、あの感覚は」


 ミロートさんは、いつからか抱くようになっていたんだ。

 それなりの命を斬り捨ててきた自分に対する、無視できない違和感を。


「僕、北国の出身なんですけど、だからかな? 氷の魔法と相性がいいみたいで」


 今度は、少しおどけたように笑った。


「剣に氷の魔力を込めると、斬った断面が凍るんですよ。冷たく固まるから、血は流れない。だから僕、ああやって剣を振るうんです」


 赤く染まることなく息絶えた虹色の怪物。

 その凍結した成れの果ては、吾輩の記憶にも新しい。


「バカみたいですよね……だけど、少しだけ心を軽くできるんです」


 優しい方なんだなと思った。 

 その一線の鋭さに反して、武人でいるには優しすぎる。


「剣を置くことは考えないんですか?」

「これしか生き方を知りません」


 そのまま、質問を返される。


「ワガハイさんは、剣を手放した自分を想像できますか?」


 吾輩にとってそれは、旅をやめることを意味する。

 旅人でない自分を、吾輩はイメージできない。


「……確かに、そうですね」

「だとすれば、わかってもらえると思います」


 決意と、あきらめ。

 ミロートさんの表情には、そんな色が浮かんでいた。


「この生き方で進むしかないんですよ――僕も、きっとワガハイさんも」


 町の音が、心地よく流れている。

 日常を過ごす人々、その生活のリズムだ。


「何だか、いろいろと話してしまいました。ワガハイさんとは、今日出会ったばかり。数時間前まで、見ず知らずの間柄だったというのに」

「出会ったばかりで、見ず知らずの相手だからこそ、話せることもありますよ」


「このパンを食べ終えたら、あなたとはお別れです。おそらく、もう二度と会うことはないでしょう」

「ええ、そうかもしれません」


 旅の途中、世界のどこかで、わずかな時間を共に過ごし、再び顔を合わせることのない誰か――そういう相手だからこそ、心の内を吐き出せることがあるかもしれない。


 ミロートさんが、残っていたサンドイッチを口に運ぶ。


 吾輩も、彼に従うように完食した。


 クーリアとキューイは、少し遠くの、工芸品の小物を扱っている露店をながめていた。

 吾輩たちのことは、特に気にしていない様子だ。


「では、これで。パーティーのおふたりには、どうかよろしくお伝えください。特にクーリアさんには『ごちそうさまでした』と」

「うけたまわりました」


 今度こそ、本当にお別れだ。


「お元気で、ワガハイさん」

「ミロートさんも」


 軽く頭を下げた彼が、吾輩の前から立ち去ろうとした瞬間、


「あっ!! 見つけましたよ、ゴーストの旅人さん」


 身なりの整った青年が、こちらに駆け寄ってきた。


「失礼いたします。突然の不躾ぶしつけな対応、どうかお許しください」

「……ええ、何か?」


 やや興奮しているようだが、言葉遣いは、非常にていねいだった。


「単刀直入にうかがいますが」

「はい」


「あなたは、国境なき騎士団の方――ですよね?」

「そうですね、一応」


 礼服と表現していいのだろうか?

 光沢のある黒い衣装と、滑らかな生地感の白い手袋。

 品のある顔立ちの男性は、その姿勢も洗練されている。

 雑多な町の中では、少し浮くような印象すら受けた。


 どうやら吾輩を探していたみたいだけど、いったいなぜ?


「それであなたは、ゴーストさんのパーティーの方――ですよね?」


 男性は、ミロートさんにも詰め寄っていく。


「えっ……い、いや、僕は――」

「あと、女性の方と白いドラゴンがいるという……あっ! あちらの方たちですね――あの、そこのおふたり、少々お話が」


 ミロートさんの話を聞かず、男性はクーリアたちのもとへ。


「ゴーストさんとお仲間さんは、どうか、そこを動かないように願いします」

「…………」

「…………」


 振り返り、釘を刺してきた男性。


 吾輩たちは、ただ無言で固まった。


「……あの、ワガハイさん」

「はい」


「どう、しましょうかね、これ?」

「…………」


 ミロートさんに尋ねられた吾輩だけど、当然、どうすることもできなかった。


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