008. 白いドラゴンの親子(2)
「グアォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
その白い姿は確かに威圧的だが、ある種の神聖さを感じさせる。
星空すら切り裂くように広げた翼は、自らの偉大さを誇示しているかのようだ。
明確な敵意、射抜くような殺意が、確かにこちらへ向けられている。
それでも吾輩は不思議と、見上げたドラゴンに魅了されてもいた。
すると、
「キュ、キュイ!? キューイッ!!」
近くにいた白い幼竜が、慌てたように飛翔する。
「キュイ、キュイ、キュイーッ!!」
あの子供のドラゴン、会話でもしているのか?
吾輩になついていた幼竜も、いきなり現れた成竜も、互いに白いうろこのドラゴン。
同じ種族なのは間違いなさそうだけれど……。
「キュイ、キューイ?」
「グルァ」
成竜がうなずいたような素振りを見せると、急に好戦的な気配が薄まっていく。
敵意も殺意も消え、どこか吾輩たちを気遣うように、ゆっくりと大地に降りてきた。
翼で揺れる湿った空気が、森を撫で終わると、
「驚かせたようですね、おわびしましょう」
大きな成竜は、上品で落ち着いた声色で、そう口にした。
このドラゴン、上級種。
そして、女性だ。
「この子から、事情はうかがいました。どうやら、私の早とちりだったようですね」
大地に足を着けた成竜の周囲を、幼竜が飛び回る。
それは、心から慕うように。
「……お子さん、なんですね、あなたの?」
「はい、愛しい愛しい息子です」
ゆっくり吾輩が尋ねると、女性の成竜は優しく答える。
その視線は、小さな幼竜に向けられていた。
「「…………」」
クーリアとヒズリさんは、まだ戸惑っている様子。
無言のまま、ただ、巨大な白い体をながめるだけだ。
「あなただったのですね、あの魔力は」
母親の成竜が、吾輩に言う。
「通常、この森では感じられないような魔法の力……正直、今の私には、少し刺激が強すぎました――排除しなければと、そう考えるほどに」
その言葉は、冷たく鋭い。
さっきの火属性魔法――『火の飛礫』のことだろうな。
野犬を追い払うために、普段よりも魔力量を増やしたから。
「母ひとり子ひとりで、私も気が立っていました。しかしあなた方は、私たちを害する存在ではないようです――この子が、それを教えてくれました」
「キューイ」
どうやら吾輩たちは、あの子のおかげで、巨大ドラゴンからの襲撃を回避できたらしい。
しかし、排除――か。
この女性のドラゴンは、圧倒的な闘気と魔力を持っている上級種。
並大抵の存在ではない。
そんな彼女が、いくら魔法に長けた吾輩が使用者だとはいえ、基礎的な呪文に強く反応してしまうというのは、どうも腑に落ちない。
子供を守る母親という立場を考慮したとしても、やはり疑問は残る。
複雑な事情が、何かあるということなのだろうか。
確認してみるか。
吾輩は慎重に言葉を選ぶ。
「お尋ねします、白き母竜――あなたは最近になって、その子と共に、この地域にやってきたのではありませんか?」
「……ええ、いかにも。私たち親子は、ここからさらに北にあるソノーガ山脈に身を寄せています」
ソノーガ山脈。
この森で最近見かけるようになった野犬の群れが、そのふもとを本来の住処としていた場所。
「今宵は、美しい月夜。穏やかな風に誘われて、この子はふらりと、ここまで降りてきてしまったのでしょう」
「キュイ、キューイ」
「ふふっ、まったく困った息子です」
なるほど、そういうことか。
比較的安全だったイダの森に野犬が出現するようになった理由は、この、白いドラゴンの親子にあったんだ。
ヒズリさんは、あの幼竜を目にして、とても驚いていた。
『う、うわぁ……私、ドラゴンって初めて。まさか、この森にいたなんてね』
もちろん、いきなりのことに戸惑うのは当然だけれど、この森でドラゴンと出会うということ自体が、彼女にとって、すごくめずらしかったんだ。
吾輩の知る限り、この国とその周辺は、ドラゴンの生息地域ではない。
白いドラゴンの親子は明らかに、ここではない別の場所からやってきた種族で間違いないだろう。
事情はとにかく、イダの森の北部にそびえ立つというソノーガ山脈に降り立った親子。
血の気の多い野犬たちとはいえ、いきなり現れた巨大ドラゴンに敵うはずもない。
この母竜は、理由なく他の種族を襲うようなタイプではなさそうだ。
しかしソノーガ山脈付近の野犬たちは、いわば本能的な行動として、その住処をイダの森に移したんだ。
確かに、自分たちよりも戦闘力に優れた存在がいる場所で、のんびり暮らせるはずもない。
まぁ、その結果、ヒズリさんには少し迷惑な話になってしまったけれど。
吾輩が感じていた特異な気配の原因も、これではっきりした。
ドラゴン――しかも、この巨大な母竜の放っていたものだとしたら、多少距離のある北の山脈から漂ってきたものだとしても、十分に納得ができる。
息子を守るために、彼女はずっと、緊張感を保っていたんだろうな。
「キュイ、キュイ」
母親とじゃれていた幼竜が、再びこちらに近づいてくる。
遊ぶように舞い、そのまま翼を縮めると、ふわりと吾輩の肩の上に乗った。
「キューイ」
「その子、ずいぶんとあなたがお気に入りのようですね」
優しく、吾輩を見下ろす母竜。
「膨大かつ澄んだ魔力を、確かにあなたは宿している。あなたは、実に強い方のようです。息子が好むのも理解できますよ」
巨大な四肢に圧倒されていて気がつかなかったけれど、月明かりに照らされた白い体は、ずいぶんと傷だらけだ。
刃、爪、あるいは牙のごときものが突き立てられたのだろう裂傷。
魔法攻撃を受けたような痣。
雄大に思えた翼も、かなり痛んでいる。
年齢ゆえの外形的変化もあるだろうが、おそらく、その原因の多くは、戦闘による負傷に違いない。
満身創痍――もはや母竜は、そう表現すべき状態だった。
「追われているんですね、あなたたち親子は」
それが誰なのか――いや、何なのかさえ、吾輩には確証がない。
けれど、想像はできる。
そしておそらく、その予想は当たっているだろう。
「……勘のよい方は嫌いですよ」
母竜は言う。
「これは、私たちの問題。あなたは確かに普通ではない力を持っていますが、むやみやたらに、他者の事情に首を突っ込まない方が身のためです。この世界は、あなたが考えているよりも複雑なものなのですから」
これ以上の詮索はするな――ということか。
「……どうされるんですか、これから?」
躊躇しながらも、吾輩は質問を続けた。
「さぁ、私にもわかりません。ただ唯一望むとすれば、我が子の幸せ――それだけです」
そう答えた母竜は、どこか悲しげだ。
「おそらく私には、愛しい息子の成長を見守る時間さえ、もう……わずかしか残されていないでしょうから」
もはや、ドラゴンではない。
吾輩の前にいるのは、母親だ。
それ以外の何者でもなかった。




