078. さよなら、パジーロ王国
王家の親子へ出立のあいさつを終え、パジーロ城を後にした吾輩たち一行。
涼やかな朝の空気が、町の通りを優しくなでていく。
吾輩たちが向かうのは、城下町の北門。
北部地域は、ウィヌモーラ大教の教会堂が建つ場所。
先日の一件で大きな被害を受けてしまったが、徐々に復興しつつある。
道すがら、ちらほらと町民の姿を確認できた。
おそらくは、大地の女神の信仰者だろう。
もう二度と、このような悲劇が起こらないよう、パジーロの平和を祈りに訪れているのかもしれない。
周囲を軽く見渡しながら、クーリアが言う。
「この国ともお別れなんだね……ちょっとだけ、さみしいな」
「……そうだね」
思えば、流れるような日々だった。
ニサの町でユッカちゃんに声をかけられてから、今日まで――本当につれづれならない毎日で。
太古の巨大人と戦うことになるなんて想像もしていなかったが、それでも、決して忘れることのできない出会いが、この地にはあった。
だから、クーリアが切なくなる気持ちも、吾輩にはよくわかるよ。
「あーあ……これで、お城や宿屋にタダで泊まれていた快適生活も終わっちゃうんだね」
「…………」
どうやら吾輩は、クーリアの気持ちを、ものすごく美化してとらえてしまったのかもしれない――と、一瞬考えてしまったけれど、
「言っとくけど、城下町を出たら、また節約だからね、ワガハイくん。ぜいたくは禁止っ」
これは彼女の思いやりなんだと、すぐに気づいた。
自分の素直な想いの吐露が、吾輩をしんみりさせてしまったんじゃないかと、そう思って。
だからクーリアは、あえて『彼女らしい』言動を重ねてきたんだ。
「……まったく、君って女の子は」
本当に優しいなと、あらためて。
「大事なことだからね(ふんすっ)」
「はいはい、わかってますよ。何せ吾輩は、クーリアに養ってもらってるんだからね」
「うん、従順でよろしい♪」
吾輩は完全に、彼女の手のひらの上。
まぁ、それも悪くないか。
「キュイ、キュイ、キューイ」
キューイも『それでいいよ』って、元気に答えているみたいだしね。
そんなこんなで歩いていると、いつの間にか、目指していた北の門が見えてきた。
あそこを抜ければ、もう王都の外だ。
「……いいの、ワガハイくん?」
「キュイ、キューイ?」
北の門を確認できたからか、クーリアとキューイが尋ねてくる。
これで、パジーロ王国とは、本当にお別れだよ――と。
「……うん」
ふたりの言いたいことは、ちゃんと伝わっている。
でも……わがままかもしれないけど、何となくね。
きっと、自分勝手な吾輩のことを、腹立たしく思うんだろうな、彼なら――。
「さぁ、いこうか」
心残りがあるような仲間たちに小さく声をかけて、吾輩が進んでいくと、
「あいさつもなしで行くつもりかよ」
門の陰から、大柄の男性が。
「いくらなんでも、水くさいんじゃないのか、ワガハイ」
「…………」
彼だった。
オトジャの村のトロールにして、パジーロ王国の騎士――現れたのは、ターボフさんだった。
「……あらたまって別れを告げるのは、やっぱり苦手なんですよ」
本心だった。
だから吾輩は何も言わずに、この地を出ようと思っていた。
「特に、あなたのような立派な武人との別れは、さみしさと気恥ずかしさが相まって、どうにも」
けれど彼の姿に、どこかうれしくなっている自分を感じてもいた。
「陛下たちに筋を通したのなら、俺らにも通せよな。たまたま早朝から、教会堂での作業が入っていたからよかったものの、そうじゃなかったら、さすがに待ち伏せできなかったぜ――なぁ、親父?」
すると、ターボフさんに続いて、モルコゴさんまで。
どうやら、吾輩たちの旅立ちを聞きつけて、わざわざ足を運んでくれたらしい。
「偶然ではありますが、これもきっと、大地の女神さまのお導きかもしれませんよ、ワガハイさん」
「あはは……だとしたら、このまま王都を去るわけにはいきませんね、さすがに」
登場したモルコゴさんに、吾輩は、少し申し訳ない気持ちで返した。
「ほらほら、ワガハイくん。だから、ちゃんと二人にもあいさつしようって言ったじゃん」
「キューイ、キュイキュイ」
「…………」
仲間たちに責められる吾輩。
そんな情けないゴーストのもとへ、ターボフさんとモルコゴさんが近づいてくる。
「相変わらず、尻に敷かれてるな、ワガハイ。とはいえ、黙って行こうとしたお前が悪い」
「ワガハイさんの味方をしたいところですが、今回は、クーリアさんとキューイくんに、私も賛同します。男の美学もわかりますが、残される者の気持ちも、どうかわかってください」
パーティーメンバーのみならず、オトジャの村の親子にまで諭された吾輩は、どうにも肩身が狭かった。
「……あの、モルコゴさん」
礼儀のなっていない吾輩だが、ここで顔を合わせた以上、聞かないわけにはいかない。
「先ほど、陛下からうかがっ――」
「大丈夫ですよ、ワガハイさん」
モルコゴさんは、吾輩の言いたいことを理解していたみたいに、優しく答える。
「不安がないわけではありません。けれどパジーロ王国は、未来を選択したのです。私は、悩みながらも決断した国王を――いや、かけがえのない友を信じてみたいのですよ」
「……モルコゴさん」
「あなた方の力を借りて、私たちは、あの巨大人の封印に成功しました――偉大なる先祖たちが、かつてそうしたように。だから、もしかしたら今こそ、新たなるパジーロを建国する機会なのかもしれません。その想いを強くして、前に進んでいかなければならないのです」
「……ええ、そうですね」
未来のことなど、誰にもわからない。
しかしパジーロ王国は、その不確かさの中に、確かな希望を見つけようと、大きく踏み出そうとしている。
吾輩も信じてみよう、モルコゴさんのように。
勇敢な英雄と聡明な聖職者が起こした、伝統ある国家を。
その子孫たちが生きる、笑顔あふれる王国を。
「ずるいぞ、ワガハイ。お前、自分が責められてたから、それらしく話題を変えやがったな。ごまかされてたまるか。俺らにあいさつもしないで旅立とうとした罪、なかったことにはならないぜ」
どことなく重くなりかけた空気を変えようとしたのか、ターボフさんが口を開く。
おそらく彼も、この件について知らされているのだろうが、あとのことは俺たちに任せろ――と言わんばかり。
心配させないよう吾輩を気遣ってくれているのが、手に取るようにわかった。
「まぁ、お前の気持ちも理解できる。こっぱずかしいしな、こういうのは」
からかうように笑って、ターボフさんが言う。
「けれど、それでも俺は、お前とはしっかり別れておきたいんだ」
そこで彼は、ゆっくりと右手を差し出してきた。
「巫女が、お前に伝えていたように。また、お互いの再会を約束するために」
「……ターボフさん」
「また会おう、ワガハイ。俺たちは、もう友だちだからな――なんて、やっぱりちょっと恥ずかしいな、これは」
「いいえ、恥ずかしいことなんかありません」
何も言わず王都を出ようとしていた吾輩だけど、今なら素直に伝えられる。
「吾輩たちは友だちですよ、ターボフさん」
はにかむ彼の右手と、吾輩の右手がつながれた。
大きさの違う二つの手が、確かに。
「うん」
「キュイ、キュイ」
「ええ」
クーリア、キューイ、モルコゴさん――みんなが、吾輩たちを温かい目で見つめていた。
「元気でな、ワガハイ」
「ターボフさんも」
短く言葉を交わして、吾輩たちは手を離す。
これで、本当に旅立ちだ。
吾輩はそのまま、ゆっくりと北の門へ。
「ターボフさん、モルコゴさん、さようなら。また、きっとどこかで」
「キュイ、キューイ。キュイキュイ、キューイ」
それぞれに別れを告げて、クーリアとキューイも吾輩に続いた。
「おう、またな」
「三人の旅の無事を、オトジャの村より祈っています」
ターボフさんとモルコゴさんに見送られながら、吾輩たちは歩き出す。
目指すは、ルドマ大陸最大の国家――ベンデノフ王国。
『私は、ガレッツを「世界で」一番の国家にするのですよ? だからベンデノフなど、あくまで通過点に過ぎません』
動き出した青髪の姫君。
狡猾な元汚職役人を側近に迎えた彼女は、今回の一件で、巨大人の心臓を手に入れることになるだろう。
あの美しき女性が、その頭の中と、あの部屋の地図の上で、いったい何を描いているのか――それはまだ、彼女にしかわからないことだ。
そして何より、あの男――。
『某の名は「ソレガシ」――このくだらない世界を愉しむためにさまよい歩く、しがない旅のゴーストさ』
『アンタの「自由」は、某が、この人生の愉しみとして、命尽きるまで蹂躙してやる――じゃあな兄弟、また会おう』
望んでなどいない。
こちらから願い下げだ。
けれど彼と、これで終わるとは思えない。
必ず、あの男は吾輩の前に現れる。
もしかしたら、これは始まりなのかもしれない――吾輩と彼が、魂の決着をつけるその日まで続く、熾烈な闘いの。
その因縁が、この地で結ばれてしまったのだとしたら、笑うに笑えない。
それでも、吾輩は進む。
仲間たちと共に、この旅を、心から楽しむために。
さぁ、行こう。
歩みの先で吾輩たちを待つ、新たな出会いと風景を、大いに期待して――。
つづく。




