075. 大地の女神の幸あれ
宴の席から数日後。
大地の女神の巫女という立場から、ユッカちゃんは主に、パジーロ城下町で暮らす信者の皆さんの精神的なケアに尽力してきた。
一方でマルチェさんは、それをサポートしつつも、積極的に再建ボランティアに参加していた。
その功績は大きいが、旅立ちを決めた二人を無理やり引き留めるなど、この町の誰も望んではいない。
彼女たちは、城の幹部の方々に話を通し、この王都を発つ準備を進めてきた。
そして今日。
ユッカちゃんとマルチェさんは、新天地を求め、パジーロ王国を出る。
城下町、西部の門。
この地域は、先日もお世話になった庶民的な食堂もある繁華街で、日が暮れる頃には大いににぎわう場所。
けれど、まだまだ明るい今の時間帯は静かで、どことなく落ち着いている。
とはいえ、決して飲食を目的にやってきたわけじゃない人々が、どんどんと集まってきていて。
「大地の女神の巫女さま、今日までのこと、心から感謝申し上げます」
「従者のお姉さんも、たくさん協力してくれてありがとう」
「お二人に、大地の女神さまのご加護がありますよう、この町からお祈りさせていただきますね」
ウィヌモーラ大教の信者の方々が、旅立つユッカちゃんとマルチェさんを見送りにやってきているんだ。
もちろん、吾輩たちパーティーもね。
「こちらこそ、どうもありがとうなのだ」
駆けつけた人々を前に、ユッカちゃんが言う。
「約束する。みんなのためにも、ワタシは立派な巫女になるぞ。だからこれからも、修行の旅を頑張らなくてはならないのだ――なぁ、マルチェ?」
「はい、ユッカさま。皆さんのためにも、ユッカさまは頑張らなくてはなりません」
堂々とした宣言に、マルチェさんが答える。
多くの感謝と応援を受けて、二人は気持ちを新たに、その決意を固めたようだ。
大丈夫。
強い絆で結ばれたユッカちゃんとマルチェさんなら、どんな試練でもクリアできる。
吾輩は信じているよ。
ここにいるのは町の信者だけではない。
パジーロ城下町の騎士や憲兵、役人、オトジャの村のトロールの皆さん――当然、ベテック陛下、ハッシュ王子、モルコゴさんとターボフさんもね。
「あなた方には、本当に感謝している」
「僕も、このご恩は忘れません。ありがとうございました」
王族の親子が、それぞれに想いを伝える。
以前から、この国にはウィヌモーラ大教が根付いていた。
ユッカちゃんたちの活躍により、その関係はさらに深まることだろう。
「道中、どうかお気をつけて」
「また、いつでもパジーロに戻ってきてください、巫女――もちろん、従者の嬢ちゃんもな」
モルコゴさんとターボフさんも、二人にはなむけの言葉を贈っていた。
そして、今度は吾輩たちの番。
旅支度をととのえた姿のユッカちゃんとマルチェさんが、こちらに視線を向けた。
「……やっぱり、何だかさみしいね」
二人との別れを、ここではっきりと実感したんだろう。
クーリアは、微笑みながらも、そう口にした。
「キュイ……」
ふわふわと浮いているキューイも、切なそうに首をもたげていた。
そんなふたりに、ユッカちゃんが言う。
「大丈夫、ワタシたちは旅人なのだ。だから、またどこかで、必ず会える。その時まで、ちょっとさよならするだけなのだ」
「……ユッカちゃん」
「……キュイ」
「お主たちには、笑顔で見送ってほしいのだ――そう遠くない未来、ワタシたちが、笑って再会できるように」
この幼い聖職者は、常に前を見ている。
わかっているんだ、終わりじゃないことを。
吾輩と彼女たちの旅はこれからも続き、そして、お互いが進む道の先で、また共に歩める日々が来ることを。
まったく、あらためてすごい子だな、ユッカちゃんは。
「そうだね、うん」
「キュイキュイ、キューイ」
この国で大きく成長したであろう女の子に、クーリアとキューイが笑顔で答える。
ふたりもまた、きっと訪れるはずの再会を確信できたんだ。
そこで、マルチェさんが呼びかけてくる。
「ワガハイさん」
あの宴の日からも、マルチェさんは相変わらずのマルチェさんで――けれど少しだけ、ほんの少しだけ、吾輩には、彼女が落ち込んでいるように感じられる瞬間があった。
「……ユッカさまと旅立ってから、こんなふうに別れを惜しむ気持ちになるのは、今回が初めてのことです」
「マルチェさん……」
もしもそれが、吾輩がユッカちゃんの誘いを断ったことが原因なら、本当に申し訳ない。
出会った当初は、彼女の生い立ちや従者としての使命、さらにはその無表情から、なかなか理解に苦しむ女性だったな。
でも、今日までの冒険を通じて、間違いなくマルチェさんは、吾輩にとって、最高に信頼できる武人の一人になった。
「友だち、ですよね? 私たちは、これからも」
「ええ、もちろん」
「……その言葉を聞けて安心しました」
「確かめる必要もなく、吾輩たちは友だちですよ」
ソノーガ山脈での試練を終えたあの時、
『……友だちになっていただけますか? ユッカさまとだけではなく、私とも』
『ええ、もちろん』
吾輩たちは握手を交わしたのだから。
「友だちは、また必ず会えるものです」
「はい」
「だから私は、友だちであるワガハイさんのために、この胸を清らかなままに保つことをお約束しましょう」
「…………」
訂正。
やっぱりマルチェさんは、今でも理解に苦しむ女性のままだった。
「私とワガハイさんは、そういう関係だと自覚しています」
「……そういう関係だと自覚しないでください」
勘弁してほしい。
吾輩とマルチェさんは、決してそんないかがわしい『友だち』なんかじゃない。
「ですがワガハイさんは、初めて私の胸に、女性としての魅力があることを教えてく――」
「むっ――マルチェさんの胸が何だって、ワガハイくん?」
へんてこなマルチェさんの主張に、クーリアが反応。
吾輩は悪くないのに、なぜか詰め寄ってきて。
すると、
「ふははっ――ワガハイがえっちだから、またクーリアに怒られているのだ」
実に楽しそうに、ユッカちゃんが笑った。
……まったく、いったい何がそんなにおもしろいのか、吾輩にはわからないよ。
けれど、これもしばらくはおあずけだね。
そう思うと、少しさみしく――いや、ならないね、うん。
「ワガハイ」
マルチェさんと入れ替わるように、ユッカちゃんが吾輩の前へ。
「お主と出会えて、本当によかったのだ。さよならは言わない。だから、また会おう――約束なのだ」
「……うん、約束――また会おうね、ユッカちゃん」
差し出された小さな手に、吾輩は優しく応えた。
『私は「ユッカ」――しっかり覚えておくのだぞ、ワガハイ』
『ま、迷子で心細かっただろうからな。わ、ワタシが手をつないであげるのだ……と、特別だぞ』
『ふはっ、おかしな感触なのだな、ゴーストというやつは――よし、ついてくるのだ、ワガハイ』
ニサの町で初めて顔を合わせた時と、
『友だちになろう、ワガハイ。お主とは、これからもずっと仲良くしていきたいのだ』
『ふははっ――やっぱりワガハイの感触は、何となく変なのだ』
グシカ森林で友だちになった時――それに次いで、彼女の手に触れるのは、これが三回目。
「ふははっ、やっぱりワガハイの感触は、いつまで経っても変なのだ」
今までみたいに、ユッカちゃんが笑う。
これは、吾輩と彼女の再会の約束――その証としての握手なんだ。
「よし。いくぞ、マルチェ」
そっと手を離したユッカちゃんは、そのまま吾輩たちに背を向ける。
もう、彼女は振り返らない。
多くの声援を受け、自分の進む道をまっすぐ、ただまっすぐに。
「はい、ユッカさま」
従うは、強い絆で結ばれた従者――ううん、愛でつながった『家族』だ。
大小二つの人影は、新しい出会いと風景を求めて、このパジーロ王国を出る。
吾輩は願う。
彼女たちの旅の平穏を。
あの『姉妹』に、偉大なる大地の女神の幸あれと――。




