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顔なしゴースト『ワガハイ』の、つれづれならない国境なき冒険  作者: 渋谷 恩弥斎
[第2章 第7節] パジーロ王国>パジーロ城下町
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073. 赤ワインではなく、山ぶどうのジュースを

 入店してから、一時間くらい過ぎただろうか。


 適度に酔いが回っている男性たちの声が、今夜のうたげの雰囲気を盛り上げている。


 下戸げこな吾輩も、こういう席は嫌いじゃない。


「キューイ、このお肉、すごくおいしいよ――はい、あーん」

「キュイ(ぱくっ、もぐもぐ)」


 濃いめのソースがからんだステーキ一切れを、キューイの口に運んだクーリア。

 吾輩の仲間のふたりは、笑顔で料理を味わっていた。


「うむ。確かに『ぱふぱふあんあんぽわわんげへへ』は、すごくおいしくて楽しいのだ――なぁ、マルチェ?」

「はいユッカさま、おいしくて楽しいです」


 妙な理解に落ち着いてしまったユッカちゃんだけど、マルチェさんと共に、とても満足そうにしている。

 何よりだ。


 吾輩もまた、葉野菜のいため物や、バターが染み込んだポテトをいただく。

 塩気の強いこの店のメニューは、ずいぶんとお酒――ではなく、お茶が進んだ。


麦酒ばくしゅ、もう一杯追加だ」


 木彫りの大きなコップを空にして、ターボフさんが言う。


 さて、いったい彼は、どれだけむんだろう。

 パジーロの他の武人や、同郷のトロールの方々を含めても、おそらく一番ペースが速い。

 たらふく呑む――との宣言は、誇張こちょうなどではないようだ。


 しかし、いくら呑んでも酔いつぶれないのが、ターボフさんのすごいところ。

 吾輩なら『目』を回して倒れてしまうような酒量を口にしても、周囲への気配りを、今夜の彼はおこたらない。


「おや殿下、飲みものが切れているじゃないですか。何か注文しますか? 先ほどは柑橘系かんきつけいのジュースでしたから、今度は山ぶどうなどいかがでしょう?」


 お酒を楽しむ一方で、しっかりとハッシュ王子に対応しているターボフさん。


 けれど、この宴の主催者である当の本人は、どこか上の空で。


「あ、うん……そう、だな」


 ベテック陛下が不参加で沈んでいる――という感じではなさそうだ。

 何かこう、すっきりしていないというか、引っかかっているというか、そういう心地悪さが、殿下の表情から伝わってくる。

 ここまでに、何か特別な出来事は起きていないが、いったいどういうことなんだろう?


 それとなく不思議に思っていると、


「あ、あの……ワガハイさん」


 意を決したように、ハッシュ王子が呼びかけてきた。


「はい、何でしょう?」

「あなたには――いえ、あなたのパーティーのお仲間や、ウィヌモーラ大教のお二人には、心から感謝しています。今回、この町が被害を受けつつも、こうやって皆とテーブルを囲めているのは、あなた方あってのことだと理解しています」


 そこで王子が、すくっと席から立ち上がる。


「まだまだ未熟な僕ですが、パジーロの王族の一人として、あらためてお礼を言わせてください――本当に、ありがとうございました」


 深々と頭を下げたハッシュ殿下。


 突然のことに、


「あ、そ、そんな……」

「キュイ?」

「うむ?」

「…………」


 クーリア、キューイ、ユッカちゃん、マルチェさんは、それぞれに戸惑いを見せていた。


 がやがやとしていた周囲の方々も、王子の様子に気づいたんだろう。

 波が引いたように静かになり、誰も彼もが吾輩たちのテーブルに注目していた。


「……顔を上げてください、ハッシュ殿下」


 パジーロの武人や役人のいる中で、高貴な彼をそのままにはしておけない。

 吾輩は、体勢を戻すように願い出た。


「…………」


 しかし王子は、その求めに応じてはくれない。


「吾輩は、自らの意思であの戦いに参加しました。クーリアとキューイ、ユッカちゃんとマルチェさんも、また同じでしょう。偉そうなことを言わせてもらえるのならば、吾輩たちは、ただ吾輩たちにできることをしたまで。ですからどうか、頭を上げてく――」

「だからこそです、ワガハイさん。自らの意思で、この国のために剣を取ってくれたからこそ、僕は、あなた方に頭を下げなければならない」


 吾輩を制するように、ハッシュ王子が続ける。


「この国の恩人となったあなた方を、僕は当初、情けなくもうとましく思っていました。未熟な僕は、誠実な皆さんを、素直に受け入れることができなかった……騎士や聖職者としての矜持きょうじを胸に、城の門を叩いてくれたというのに」


 そこで吾輩はやっと、殿下の心の内を理解することができた。

 先ほどの、どこか悩んでいるような表情の理由も、また。


「騎士としていたらない自分に、僕は気づいていました。でも、心の中で大きくなる焦りを、いったいどうしたらいいのかもわからず……だから手練てだれの国境なき騎士団員や、強大な魔力を宿すウィヌモーラ大教の巫女に、言いようのない劣等感を抱いてしまったのです。きっと僕は、あなた方に不快な思いをさせてしまったことでしょう」


 パジーロ城下町に入った当初、ハッシュ王子は吾輩たちに冷たい態度を示していた。

 しかもどうやら、しがない旅人ゴーストに対してだけではなく、大地の女神の巫女であるユッカちゃんにさえも。


 以前ターボフさんとここで夕食をいただいた時、彼からそれとなく、ハッシュ王子の性格や生い立ちを教えてもらっていた。

 そのため、この高貴なる少年が真っ直ぐな人間であることは、吾輩も把握はあくしていたつもりだし、現に間違ってはいなかった。

 そうでなければ、王族である彼が、この場で吾輩に頭など下げられない。

 先刻せんこく、過度な飲酒を控えるようターボフさんに意見していたのも、そのまじめさを示すものといえる。


 家臣からの人望はあるが、剣の才能には欠けるというハッシュ王子。

 ベテック陛下が、若き日は優秀な騎士であったことから、過剰なコンプレックスを抱く日もあったはず。


 けれど、あの夜を乗り越えた経験が、この高貴なる少年の心境に変化を与えたようだ。

 どこか肩肘かたひじを張っていたハッシュ王子は、もういない。

 自分は、自分なりの騎士道と王族としての生き方を探していけばいい――そのように、ありのままの自己を受け入れられたんだ。

 だから過去の言動を恥じ、こうして謝罪してくれたに違いない。


「僕は、王族として強く成長することを、ここに誓います。遅い歩みになるとは思いますが、いつか父のような立派な国王になることを、国の英雄である皆さんの前でお約束します」


 堂々とした決意の後、


「けれどこの言葉は、王族としての僕ではなく、一人の人間としての言葉です――本当に、申し訳ありませんでした」


 頭を下げ続けている王子を、ターボフさんは無言のまま見守っている。

 いきなりのことだったから、彼もまた、吾輩たち同様に驚いたのかもしれない。

 だがその表情は、どこか微笑ほほえんでいるように見えた。

 言うなれば、未来の国王を――将来の偉大なるパジーロの君主を、誇らしく思っているような。


 それは、ターボフさんだけではない。

 周囲のテーブルで酒をわしている武人や役人たちもまた、同じ表情をしていた。

 我らが次期国王は、自らをかえりみ、立場など関係なく、その過ちを認められる素晴らしい人間だ――と言わんばかりに。


 うん。


 いい国だな、パジーロ王国は。


 あらためて確信した吾輩は、未来の国王に向け、恥ずかしくも偉そうに返してみる。


「吾輩たちは、まったく気にしていません。しかしそう答えても、優しいあなたの気持ちは、きっと晴れないのでしょう。ですから、こう答えさせていただきます――すべて許しますよ、ハッシュ王子」


 すると、


「うん、私も許します」

「キュイ、キューイ」


 クーリアとキューイ、


「大人なワタシは、きれいさっぱり水に流すことができるのだ――なぁ、マルチェ?」

「はい、ユッカさま」


 ユッカちゃんとマルチェさんが続いてくれた。


 吾輩たちの反応に、やっとハッシュ王子も納得できたんだろう。


「……ありがとう、ございます」


 はにかみながら、その顔を上げてくれた。


 おそらく殿下は、あの夜から今日まで、このことをずっと気にしていたんだ。

 肩の荷は下りただろうか?

 そうであってくれたらいいな。


 そこで、静かに見守っていたターボフさんが、明るく声を上げる。


「おーい、我らが殿下に、山ぶどうのジュースを頼む。間違えるな、赤ワインじゃないぞ」

「「「「「「「「「「あははははっ」」」」」」」」」」


 冗談混じりで注文するターボフさんを、他のテーブルの騎士や憲兵たちが笑う。


 すると一瞬にして、また店内が、騒がしくも楽しい雰囲気に。


 うん。


 まったく、本当にいい国だね、パジーロ王国は。

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