068. 世界を大きく動かす力(1)
陛下が一人残る部屋を離れ、がらんとした廊下を進む吾輩たち。
クーリアは、不服そうに口を結んだままだ。
少し重い空気の中、か細いキューイの鳴き声だけが聞こえる。
特に会話をすることもなく、建物の大扉から庭先へ出た。
するとそこに、ラフマンの姿が。
彼は微笑を浮かべながら、いまだに半壊状態の城閣を、しげしげとながめていた。
「……おや」
こちらに気づいた様子のラフマン。
もしかしたら、吾輩を待っていたのか?
さも当然のように話しかけてくる。
「あなたとは、妙な縁がありますね、ワガハイさん」
どこか余裕を漂わせながら、彼は言った。
因縁の相手を前にして、クーリアは我慢ならなかったんだろう。
彼女が声を上げる。
「ちょっと、あなた」
正式な外交の場における礼儀――という制約から解放された吾輩の相棒は、ずんずんとラフマンへ詰め寄った。
「どういうつもり? ガレッツの使者だなんてうそをついて、今度はパジーロで何をたくらんでるの!?」
「……うそ? ふっ、ふははっ」
興奮気味のクーリアに対して、ラフマンは笑って返した。
まるで、無知な子供をあしらうみたいに。
「な、何がおかしいの!?」
クーリアは、今にもつかみかかりそうな勢いだ。
「あなたなんかが、ガレッツの使者なわけない! 本物のふりをしてるに決まってるわ!!」
「キュ、キュイ!? キュイ、キュイ」
手が出てもおかしくないと感じたのか、慌てたようにキューイがなだめる。
さすがにそんなことはしないだろうけど、彼女の気が立っているのは明らかだった。
「だいたい、あなたはワガハイくんにやられて、それで捕まっちゃったはずよ。ここにいること自体、すごくおかしいんだから」
確かにその通り。
オーヌの町での一件により、ラフマンは役人としての職を解かれた。
その具体的な刑罰の詳細までは把握していないものの、おそらくはすべての財産を没収され、国内の牢獄に一定期間収容されるのが通常だろう。
ほぼ同時期に、ガレッツの公爵家内部では、さまざまな出来事が起こったわけだが、彼の処分に影響が出ることはあり得ない。
しかしそれは、あくまで普通に考えた場合。
もしも、普通ではない政治的な『力』が働いたとすれば――。
「あなたも、そう思いますか?」
クーリアからの敵意を軽く流して、ラフマンが吾輩に聞いてくる。
「あなたも、私が身分を偽り、あろうことかパジーロの国王相手に口からでまかせを述べた――などと、そう思っていますか?」
「…………」
「どうです、国境なき騎士団員のワガハイさん?」
試されているような気分。
ラフマンは、この状況を楽しんでいるようですらあった。
「城門付近で待機している馬や馬車・従者の方々は、お金を積めば用意できなくはありません。しかし、ベテック陛下の手に渡った親書は別です。もちろん文書の偽造は可能ですが、相手は一国の王。しかも、昨日今日即位した経験不足の君主ではありません。在位年数の長いパジーロの現国王が正式なものとして受け取った以上、それを持参してきたあなたの地位は疑いようもない――あなたは間違いなく、ガレッツの外交特使です」
「……ふふっ、結構。理解が早くて助かります」
ここまでの経緯から推測した吾輩の回答に、ラフマンは満足そうにうなずく。
「現在の私は、ガレッツ公国の『主席行政官』という立場にあります。簡単に言えば、国の役人のトップなのですよ、ワガハイさん」
つまり、事実上の公国ナンバー2。
投獄されたはずの汚職役人が、ずいぶんな出世だな。
「あなたには感謝していますよ、ワガハイさん。あなたに『殴っていただいた』おかげで、私は今の地位を手に入れられたようなものですから」
吾輩を威圧するように、ラフマンは自らのほほに触れていた。
「…………」
「まぁ、過去のことは水に流しましょう、お互いに」
勝手に清算してくれた汚職役人――もとい主席行政官は、どこか勝ち誇ったようにそう言った。
一方のクーリア。
「……うそよ、私はだまされない」
彼女も頭では、この妙な状況を受け入れているのかもしれない。
けれど、オーヌでの一件に心を痛めていた日々が、吾輩の相棒を感情的にさせてしまうんだ。
「ガレッツの今の君主は、あのイオレーヌさま。あの方が、あなたにそんな偉い役職を与えるはずがな――」
「あなたの話は聞いていますよ、ワガハイさん」
クーリアの発言を一蹴するように、ラフマンが話題を向けてくる。
「我が君主、イオレーヌ公閣下から、直接に」
吾輩の興味を、強くあおるように。
「あなたにとっては、私の地位それ自体など、正直どうでもよいのでしょう? 真に知りたいのは、その経緯と理由――あなたに失脚させられた私が、どうして主席行政官として、異国の国王に親書を届けるまでになったのか」
もっと踏み込んで言えば――と、ラフマンは続ける。
「あなたが、その『目』で見ているのは、この場にいる私ではない。私の背後に見えているであろう『あの方』――違いますか?」
「…………」
悔しいが、ラフマンの言葉を否定することはできない。
この男がパジーロ城に現れた直後から、何か予感めいたものはあった。
それを、先ほどの玉座の間で、吾輩ははっきりと認識するに至る。
あの青髪の姫君が、確かに動き出したのだと――。
「お話ししましょうか? あなたに粛正されてから、私に起こったすべてを。どうやらあなたは、閣下にとって、かなり特別な相手のようですからね」
若く美しき女性君主の『特別な相手』――しがない旅人ゴーストにとっては、何とも仰々しい称号だが、もちろん甘美な意味など含まれていないのだろう。
幸か不幸か高貴なる彼女は、この新しい側近に伝えてしまうほどには、吾輩を忘れないでいてくれているらしい。
「しかもどうやら、パジーロの国王からも信頼を得ているようで……まったく、あなたというゴーストは実に恐ろしい。国境なき騎士団など抜けて、どこかの国で行政に関わってみてはいかがですか? 汚職で失脚した役人程度には出世できるかもしれませんよ」
半笑いではあったが、内容から考えて、ばかにしているのではなさそうだ。
ラフマンはラフマンなりに、吾輩を評価しているのかもしれない。
とはいえ彼も、本気で役人を勧めているわけではないだろうが。
「私は、あなたとここで再会するなどとは想像もしていませんでしたし、さすがの閣下も、また同様でしょう。ベンデノフでお迎えするに際し、いいみやげ話になります」
「……聞かせてもらえるなら、早く話を進めてくれませんか。あなたも、ここで油を売っているひまはないのでしょう?」
「ふははっ、そうですね」
うながした吾輩に従い、ラフマンが語り出す。
ここまでの経緯を。
吾輩がガレッツを離れてからの、あの方とのことを――。




