005. 森で暮らす職人の女性(後編)
「さて私は、夕食前に一仕事――二人は、そのままゆっくりしててね。私、今日中に仕上げたい作業が残っているから」
そのままヒズリさんは、机の置かれた、工房スペースのような方向へと向かう。
「今ね、オーヌの町から魔効巻の注文が入っているの。役人や憲兵が入れ替わるとかで、いろいろ物入りみたい」
「……そう、なんですね」
何となく、吾輩は言葉に詰まる。
「(ふふっ。オーヌの悪い役人を成敗したのがワガハイくんだって知ったら、ヒズリさんはどう思うかな?)」
からかうように、クーリアがささやいてきた。
「(よけいなことは言わなくていいからね。吾輩は、手柄をひけらかすようなことはしたくないんだから)」
「(はいはい)」
どことなく楽しんでいるようなクーリアに念を押すと、彼女はニヤニヤしながらうなずいていた。
しかし、一つの町で起こった出来事が、意外な形で波及したりもするんだな。
「私としては、予想外の仕事でありがたいの♪」
まぁ、ヒズリさんにプラスの影響だというなら何よりだ。
そこで、
「あっ……」
机の前のヒズリさんが、困ったような声を上げた。
「何か問題でも?」
「う、うーん……ど、どうしようかな」
吾輩が尋ねると、ヒズリさんが煮え切らない態度でうなる。
その見つめる先には、空になった瓶が何本か転がっていた。
吾輩は、魔効巻作りに詳しくはない。
けれど、魔法にはそれなりに自信があるから、何となく想像はつく。
「魔法水、ですか?」
「う、うん、まぁ……」
小さく、ヒズリさんがうなずいた。
魔法水。
魔力や、その他特別な力の宿った水の総称。
たとえば飲み薬の材料に使われたり、あるいは武器を濡らして擬似的な即席魔法剣にしてみたりと、その用途は広い。
もちろん、魔効巻を構成する材料の一つにも。
「私は、この先で採れる湧き水を魔法水として仕事に使っているんだけど、その水は、月の光を浴びたものでないと、魔法水にならなくて……」
「月の、光……」
ヒズリさんの言葉を確かめるように、クーリアがつぶやいた。
なるほど。
そういうことなら、ヒズリさんの使う魔法水は、夜にしか手に入らない。
月明かりは、夜に輝くものだから。
「このイダの森は、昔から比較的安全な場所だったの。だから私も、ここに住もうって決めたわけだし……でも、近頃はちょっと物騒なのよ」
振り返って、ヒズリさんが続ける。
「元々、この森のもっと北――『ソノーガ山脈』のふもとを住処にしている野犬がいるにはいたんだけど、どういうわけか最近、そこにいたはずの群れが、人里近くまで降りて来ちゃってて……」
森に野犬が出現するくらい、まったくめずらしいことではないが、それが最近になって――というのは、少し気になる。
「まだ、昼間はいいの。でも夜は、腕に覚えがないと危険なのよ。注意しないと、すぐに囲まれちゃうしね」
確かに、ここまでの道中、吾輩たちは野犬からの襲撃を受けることはなかった。
どうやら問題の彼らは、完全な夜行性らしい。
旅に慣れている吾輩たちなら、森の野犬くらいどうにでもなるけど、そうじゃない、ヒズリさんのような女性なら、夜の外出は自殺行為ということか。
「月が昇ってしまえば、もう野犬たちの時間。だから最近、まったく湧き水を汲みに行けていなかったの……まさか、手元にあったものを使い切っていただなんて」
どうやら吾輩は、親切にも招き入れてくれたヒズリさんに、その恩を返すことができるみたいいだ。
「なら、吾輩が同行しますよ。もう、すぐに月が出る。野犬からは、吾輩が守ります。こう見えても、それなりに腕に覚えはありますので」
「う、ううん、いいのいいの、そういうつもりで言ったわけじゃ――」
「大丈夫ですよ、ヒズリさん」
申し訳なさそうな彼女に、クーリアが伝える。
「ワガハイくん、こういうことが大好きなんです――女性の力になることなんか、特に」
クーリアが吾輩に向けた視線は、どこか挑発的だ。
けれどそれ以上に、彼女はなぜか誇らしそうな態度をしていた。




