019. 二人で一つ(1)
前へ、前へ――ひたすら前へ。
ユッカちゃんを吾輩が護衛し、マルチェさんをターボフさんが背負って、四人いっしょに山の道を進む。
焦りを帯びた必死な息づかいと、今にも途切れてしまいそうな浅い呼吸――二人の少女それぞれの魂のリズムが、かすかな音で響いている。
景色が大きく変わることはない。
けれど次第に、周囲を漂う気配のようなものが清らかになっていくのを実感する。
ウィヌモーラ大教の聖職者でもなければ、その信者でもない――そんな吾輩にも、一歩一歩そこへ近づいていることだけは確信できた。
「はぁ、はぁ……」
苦しそうなユッカちゃん。
ケガを負ってはいないが、ついさっきまで、彼女は悪しき精霊に飲み込まれていた。
無事に解放されたとはいえ、身も心も疲弊しているはずだ。
けれどユッカちゃんは、あれからまったく弱音を吐かない――どころか、ただ無言のまま、ひたむきに前だけを見つめていた。
彼女を突き動かしているものは、考えるまでもなくただ一つ。
大切な存在を救いたいという、その想いのみに違いない。
すると、ユッカちゃんが足を止める。
そこに広がっていたのは、岩肌の山道においては、明らかに異質な空間。
まるで、ていねいに手入れがなされているような、新緑の芝生――その四隅を、吾輩の身長ほどの岩が囲っている。
中央には、成人したトロールをはるかに超える大きさを持つ、円錐型の石碑が鎮座していた。
ちらりとターボフさんを確認すると、彼は小さくうなずいた。
どうやら、ここが目的の場所らしい。
ソノーガ山脈、西部の中腹――ウィヌモーラ大教の聖地。
大地の女神の巫女としての感性だろう。
ユッカちゃんは、ターボフさんに尋ねることもなく前進し、悠然と存在している石碑に語りかける。
「ワタシはユッカ。ウィヌモーラ大教の司祭にして、大地の女神の巫女なのだ――聞こえているか、ソノーガ山脈に住まう清き大地の精霊よ? 聞こえているのなら、どうかワタシに応えてもらいたいのだ」
神秘的な空間に響く、ユッカちゃんの言葉。
けれど、清き大地の精霊なる存在は、彼女に返事を返さない。
「……ターボフ、ここにマルチェを」
ユッカちゃんの指示を受け、ターボフさんは慎重に、瀕死の状態であるマルチェさんを、石碑とユッカちゃんの間に横たえた。
「ありがとうなのだ、ターボフ」
「いえ」
仕事を終えたターボフさんは、またすぐに下がる。
ここは聖地、特別な場所だ。
中央の石碑には、選ばれた聖職者以外は近づかない方がいいのだろう。
吾輩はターボフさんと共に、少し離れたところからユッカちゃんを見守っていた。
「ワタシは、お主と会うために、この聖地までやってきた。けれど、ワタシは未熟な巫女なのだ。未熟な巫女だから、ワタシは悪しき精霊に取り込まれ……大切な相手であるマルチェが、こんなにも傷ついてしまったのだ」
顔を伏せ、ユッカちゃんは拳を握っていた。
その感情は、怒りとも悲しみともわからない。
「ワタシはダメな巫女だから、お主がワタシを認めないことくらいわかっているのだ。この聖地にやってこれたのも、友だちであるワガハイや、案内をしてくれたターボフ――何より、ここにいるマルチェの力がなければ、ワタシは悪しき精霊に負けてしまう以前に、ソノーガ山脈に入ることすらできなかったに違いない……自分の未熟さは、自分が一番よくわかっているのだ」
仰向けに横たわるマルチェさんの手に、ユッカちゃんがそっと触れる。
「……大切な相手を癒すことすらできない聖職者など、本当の本当に、ダメダメのダメダメなのだから」
自虐的に自分を評価した彼女からは、光る涙が落ちていた。
「ワタシのことなど認めなくていい。こんな、大地の女神の巫女失格のワタシなど、認められてはいけないのだ――けれどワタシは、きっと強くなって、またこの場所に戻ってくるぞ。ワタシに今日までついてきてくれたマルチェのためにも、ワタシはぜったい、ぜったいにあきらめたりしないのだ。だから、だからお願いなのだ……どうか、どうか今回だけ、このマルチェのことを助けてほしいのだ」
ぎゅっと両手で、息も絶え絶えなマルチェさんの手を握る。
「今のワタシには、こんな状態のマルチェに、何一つしてあげられることがない。ワタシには、どうしてもマルチェが必要なのだ。マルチェがいなきゃダメなのだ……ワタシは必ず、お主が認めてくれるような巫女になる。幅広く魔法を学び、お主が導きたくなるような、力を貸したくなるような立派な聖職者になって、再び会いに来るのだ。だから、だからだから――」
そこで、ユッカちゃんは頭を上げた。
「頼む、清き大地の精霊――お主の力で、どうかマルチェを助けてくれなのだっ!!」
ぐしゃぐしゃな横顔で、声を震わせて、ユッカちゃんは、心の底から叫んでいた。
それでも、
「…………」
清き大地の精霊が、彼女に応えることはなかった。
どうして、どうしてだ?
吾輩は、怒りすら覚えた。
彼女は――ユッカちゃんは間違いなく、正真正銘、大地の女神の巫女だ。
幼く、そして未熟だとしても、彼女は必ず偉大な聖職者になる。
くじけない勇気と、仲間への愛情――宗教とは縁遠い吾輩にも、ユッカちゃんが神聖な魂を持っていることだけはわかる。
清き大地の精霊?
ふざけるな。
健気な彼女の言葉に応えないで、何が清き大地の精霊だ。
吾輩は思わず、感情を口にしてしまう。
「清き大地の精霊、聞こえているのでしょう? あなたは――」
「やめとけ、ワガハイ」
しかしすぐに、ターボフさんに制止された。
「言いたいことはわかるが、それは、巫女の想いを踏みにじることになる」
「……ターボフさん」
「巫女は、自分の未熟さを認めた上で、従者の嬢ちゃんを救ってほしいと訴えた。もし、清き大地の精霊が応えてくれるとしても、それはあくまで、巫女の言葉が届いてこそ意味を持つんだ……その点を巫女は、ちゃんと理解している――見てみろ」
うながされた吾輩は、ユッカちゃんへ注意を向ける。
彼女はマルチェさんに覆い被さるようにして、涙に肩を震わせていた。
「ごめんなのだ、マルチェ。未熟なワタシには、清き大地の精霊を動かすことはできない……許してくれ、許してくれなのだ、マルチェ」
清き大地の精霊の無反応を、彼女なりに受け入れたのだろう。
ユッカちゃんは、懺悔するように泣いていた。
「……吾輩たちにできることはないのでしょうか?」
「俺たちにできることなんて、何もないさ。今はただ、巫女が納得するまで、この場で彼女を見守ることしか……」
悔しさと、むなしさを、吾輩は痛感していた。
決して楽ではない道のりを越え、マルチェさんは傷つき、何とか悪しき精霊を退けたその先で、やっとたどり着いたこの場所。
しかし待っていたのは、同行していた大切な仲間を一人失おうかという、絶望的な結末だけ。
探し求めた啓示を得ることもなければ、清き大地の精霊なる存在が、吾輩たちの前に姿を現すことさえない。
「マルチェ、マルチェ……」
いったい、彼女は――彼女たちは、何のために、この聖地まで。
「ワタシは、ここでお主にお別れを言わなければならないのだろう。ワタシがしがみついていては、お主は安らかな気持ちに、なれないのだろうから……けれどワタシは未熟な巫女だから、ダメな聖職者だから、どうしても、どうしても、お主と歩む未来をあきらめることが――あきらめることができないのだ」
白いローブを真っ赤に染めて、ユッカちゃんは大地の女神の巫女でも、ウィヌモーラ大教の司祭としてでもなく――一人の幼い少女の、ただただ素直な気持ちを、大好きな『家族』に伝える。
「未熟でもいい、ダメでもいい――それでもワタシは、お主とずっといっしょにいたいのだ、マルチェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
すると突然、中央の石碑が輝きを放つ。
周囲をすべて飲み込むような光に、意識すら持っていかれそうなほどだ。
それは、音すら消し去る勢い。
一瞬のしじまのあと、ゆっくりと景色が浮かび上がり、空間が落ち着きを取り戻す。
「……ユッカさま」
小さな声だった。
平坦で抑揚もなく、どこか抜けているような。
けれど間違いなく、彼女の声だった。
「マル、チェ?」
「はい、ユッカさま」
「……お主、体は大丈夫、なのか?」
「どうやら、そのようです」
「マルチェ……マルチェ、マルチェ、マルチェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」
起き上がったマルチェさんの胸に、泣きじゃくっているユッカちゃんが飛び込む。
「よかった。よかったのだぁ、マルチェぇぇぇぇぇっ」
不思議と、血で汚れていたはず二人の肌や衣服は元に戻っていて、まるで何事もなかったかのよう。
「……これは奇跡だ。奇跡だぞ、ワガハイ」
興奮気味に訴えてくるターボフさん。
奇跡。
もしもそうだとして、このようなことを成し得る存在が、この場にいるとしたら、
『大地の女神の巫女、ユッカよ』
やはり、そういうことになるだろう。
『あなたの想いは、確かに私へと届きました。その強い想いに免じて、私は、あなたに応えることにしました』
大きな父性を感じさせる、安定した低い声色。
口調は穏やかながら、圧倒的な力強さを宿している。
「……お主が、この地の、清き大地の精霊か?」
『その通り』
石碑へと問いかけたユッカちゃんに、謎の声が肯定する。
直後、聖地の四方に立つ岩が中央の石碑に集まり、輝きの中で弾けた。
岩も石碑もなくなり、そこに現れたのは、
『私は「モザンゴア」――大地の女神に仕える、ソノーガ山脈の精霊獣です』
岩肌の硬質な皮膚で覆われた、重量感のあるサイのごとき一角獣だ。
モザンゴア。
あれが、大地の女神に仕える、特別な精霊――。




