011. 銅製の徽章(後編)
「わ、ワガハイくんが、国境なき騎士団のメンバー!?」
クーリアが驚きの声を上げる。
無理もない。
国境なき騎士団といえば、各地の王族貴族であってもその存在を無視することはできない、一種の超国家的組織。
権力者や知識人でなくとも、その名前は広く周知されている。
吾輩のような貧乏な旅人がその騎士団員だなんて、いったい誰が想像できるだろう。
「う、うそだ!? こんなやつが国境なき騎士団員だなんて、うそだっ!!」
国境なき騎士団は、その権限で、王族貴族に各地の悪事を報告することができる――それを知っているからだろう、ラフマンはひどく慌てふためいていた。
「残念ですが、役人の前でうそをつけるようなゴーストではないんですよね、吾輩」
たぶん、このペンダントがなかったら、誰も吾輩を国境なき騎士団員だなんて信じないだろうけどね。
「ということですから、どうか観念してください。まぁきっと、ちょっと牢屋に入るくらいで出てこられるはずですから。お勤めが終わったら、どうぞ心を入れ替えて――」
「ふざけるなっ!!」
吾輩をばかにしながらも言葉遣いはていねいだったラフマンが、大きく叫ぶ。
「お前みたいなアンデッドのゴーストが、国境なき騎士団のメンバーなはずがないっ!! にせものだ、にせものだっ!! 国境なき騎士団員の名を語る、ただの汚い旅人だっ!!」
動揺と激怒。
目を血走らせたラフマンは、部屋の奥の本棚まで後ずさる。
「たとえお前が本物の国境なき騎士団員だとしても、ここで始末してしまえばいい。死人に口なし。お前が黙っていれば、私はこれからも甘い汁を吸い続けられる。ゴーストならゴーストらしく、さっさとあの世に逝ってしまえっ!!」
叫びながら取り出したのは、特定の魔法効果が封印されている巻物――『魔効巻』。
素早く広げたラフマンの周囲を、怪しい魔力が漂い始める。
「殺す、殺してやる――うぉぉぉぉぉっ!!」
人間であるはずのラフマンの体が、異様な変化を見せ始める。
「わ、ワガハ――」
「下がってて、クーリア」
心配そうな彼女を背に、吾輩は一歩前に。
純血の人間だったはずラフマンは、
「グチュオォォォォォッ!!」
ネズミの化け物のような、醜い獣人になってしまった。
「……魔法による強制的な獣人化か」
ラフマンが使った魔効巻の効果を理解した吾輩は、腕を構えて戦闘態勢に入る。
手元に武器もないし、今や相手は理性を失った化け物と同じ。
少し手荒にはなるけれど、キツめの一発を入れさせてもらうよ。
「グチュアァァァァァッ!!」
細腕ながら、指先には鋭い爪。
奇妙な容姿に成り果てたラフマンの攻撃が、吾輩に迫る。
魔力を帯びて変化した姿だから、ゴーストの吾輩にも届くことだろう。
けれど、人間の役人が魔効巻で獣人化したくらいで、吾輩に勝てるわけもない。
「〈魔力充填・鋼〉」
ラフマンの爪をかわしたと同時に、魔法の呪文を唱える。
青白い陽炎の人影みたいでしかなかった吾輩の右の腕先が、瞬時に、強固な鉄の篭手へと変化――それはまるで、巨大な重歩兵の鎧みたいに。
ゴーストである吾輩は、直接的物理攻撃の無効化という性質から、この『体』それ自体を使う格闘術では、敵にダメージを与えることができない。
たぶん相手が誰であろうと、吾輩が全力で殴ったところで、せいぜい、もわっとした湿気のある空気にほほを撫でられた――くらいにしか思わないはず。
けれど、魔法による効果で、この『体』に魔力的質量を与えることができれば、ゴーストである吾輩でも、武闘家よろしく、豪快な一撃を叩き込むことができるんだ。
「チュ、チュギョ!?」
腕を引いた吾輩に、ラフマンが混乱する。
悪いけれど、目を覚ましてもらうよ。
「〈錬鉄の拳〉」
呪文を応用した、魔法格闘体術の一つ――『錬鉄の拳』
吾輩は鋼鉄の拳を、汚れた役人へと力強く突き出す。
「ンガフチュ!?」
顔をゆがめたラフマンは、そのままの勢いで、部屋の奥の壁まで吹っ飛んでいった。
「チュ、ウ……ううぅ」
力の抜けたラフマンは、その場で動かなくなる。
魔効巻の効果も消えたのだろう。
醜いネズミの獣人もどきだった姿は、元の細い中年男性に戻っていた。
「……ワガハイくん」
一部始終を見ていたはずのクーリアが、小さく吾輩の名前を呼んだ。
魔力充填・鋼を解除した吾輩は、ゆっくり彼女へと振り返る。
「驚かせてしまったよね……こんな吾輩が、国境なき騎士団員だなんてさ」
「…………」
クーリアの沈黙が、ちくりと痛い。
一瞬、妙な罪悪感が、吾輩の心を刺激した。
「黙っていたことは、その……謝るよ。だけど、吾輩は――」
「いいの、そんなこと」
けれど、吾輩のそんな気持ちは、
「ワガハイくん、すごくかっこよかったよ。私、めちゃくちゃスカッとしちゃった――ありがとう、本当に」
温かい言葉を返してくれたクーリアの笑顔で、全部どこかへ行ってしまったよ。




