015. 彼女を目覚めさせたもの(1)
硬質な大地をなでるがごとく、乾いた風が吹き抜ける。
吾輩を待ち受けるように山路をふさいでいたのは、
『逃ゲ出シタノカト思ッタゾ、旅ノゴースト』
マルチェさんの攻撃から完全に回復した黒ムカデだ。
『ドウダ? アノ、ハーフミノタウロスノ娘ハ死ンダカ? ハハハハハッ』
ユッカちゃんの体と魔力をもてあそび、マルチェさんの優しさを笑った悪しき精霊に、さすがの吾輩も穏やかではいられない。
「……どうか覚悟してください。この憤りを押し殺せるほどに、吾輩は人格ができていませんので」
『ヌカセ。覚悟スルノハ前ノ方ダ、旅ノゴーストヨ――〈大地の腕〉』
もはや自分の得意技のように、四本の岩肌の腕を出現させた黒ムカデ。
傷ついているマルチェさんを守るため、吾輩は岩陰から離れるように移動。
吾輩をターゲットにしているからか、太い四本の腕も、流れるように追いかけてきた。
小刻みに切り返しながら、向かってきた魔法の腕をかわす。
空振りした硬い拳が、ガスッ、ドスッと、地面や岩壁を揺らしていた。
『ハハハッ、ドウシタ? ソンナコトデハ、私ヲ倒スコトナドデキナイゾ』
悔しいが、確かにその通り。
しかし、どうしたらいいのかがわからないんだ。
吾輩にとって、黒ムカデの呪文も、分身も、たいした驚異ではない。
あいつの魔力が尽き果てるまで、何度でもかき消してみせる。
けれどそれでは、いたずらに時間を費やすだけだ。
吾輩だけならとにかく、今は重傷のマルチェさんがいる。
もしも可能なら、次の一撃に吾輩の魔力を注ぎ込んで、すぐに決着をつけたいくらいだ。
一秒さえも惜しい状況なのだから。
しかし、焦って下手に近づけば、やつはユッカちゃんを利用してくるだろう。
卑劣な精霊の行動に、マルチェさんはやられたんだ。
「〈魔力充填・霊〉――〈霊剣の斬撃〉」
魔法剣術で、二本の腕を撃破。
対処しながらも、吾輩はとにかく考える。
重要なのは、ユッカちゃんを黒ムカデから解放すること。
もちろんそれは、彼女の命を絶つことなんかじゃない。
無事に救い出し、マルチェさんのもとへ連れていくことだ。
現在の黒ムカデは、ユッカちゃんを取り込み、その潜在的魔力を支配している状態。
そしてそもそも、モルコゴさんの魔効巻による結界を抜けて、岩陰からマルチェさんを強引に移動させるほどの精霊――あの怪物は、決してあなどれる相手ではないのだろう。
しかしながら、やつはマルチェさんの幻を見せてから、動揺していたユッカちゃんに接触した。
正面から攻撃を仕掛けたのではなく、技巧的な工作を仕掛けた上で、彼女を取り込むことに成功したんだ。
つまり、大地の女神の巫女であるユッカちゃんとまともにやり合うことを、あえて避けたのだと考えることができる。
ならば、もしもユッカちゃんが正気に戻れば、彼女自身の力で、あの黒ムカデを追い払うことが可能なのではないか?
試してみる価値はありそうだ。
「〈火の飛礫〉」
火の呪文で、岩肌の腕一本を破壊した吾輩は、動き続けたままで叫ぶ。
「ユッカちゃん! 聞こえているかい、ユッカちゃん!!」
「…………」
黒ムカデの帯状の胴体にからまっているユッカちゃんは、当然のように反応を示さない。
「吾輩だよ、ユッカちゃん! 君の友だち――ゴーストのワガハイだ!!」
『ハハハッ、無駄ナコトヲ』
吾輩の行動を、黒ムカデがあざ笑う。
『大地ノ女神ノ巫女ニハモウ、心ナド残ッテハイナイ。私ノ一部ニ過ギナイノダカラ』
うるさい、黙っていろ。
吾輩は、ユッカちゃんと話しているんだ。
「ユッカちゃん、ユッカちゃん!!」
「…………」
『ハハッ、ハハハハハッ』
「答えてよ、ユッカちゃん!!」
「…………」
くっ、ダメか。
彼女が目覚めてくれれば。
目覚めてさえ……目覚めて?
そこで吾輩は、先日の光景を思い出す。
オトジャの村へ向かう、朝のグシカ森林での出来事。
野宿で一晩を過ごしたユッカちゃんが眠たそうにしていた時、マルチェさんがかいがいしく、いろいろと世話をしていたことを――。
『まずは、葉ですくった小川の水です。のどを潤して、すっきりさせてください』
『うむ……ありがとうなのだ、マルチェ(ごくり)』
『次は、甘い木の実です。おいしいですから、食べれば目も覚めるでしょう』
『うむ……甘い木の実は大好きだぞ、マルチェ(はむはむ、もぐもぐ)』
『最後に、栄養のある野草です。これで、目的の村まで元気よく歩けますよ』
『うむ……いつもすまないのだ、マルチェ(はむ)』
『うぇっ!? ぺっぺっぺ!!』
『し、舌がおかしくなった気がするぞ、マルチェ』
『栄養のあるものを食べても、舌はおかしくなりませんよ、ユッカさま』
『む、むぅ……栄養があろうとなかろうと、ワタシは苦いものが嫌いなのだ――ぺっぺっぺ』
吾輩は自分のコートのポケットを探る――あった、グシカ草。
眠気まなこだったユッカちゃんが、一瞬で目覚めるほどの苦みを持つ野草だ。
クーリアの機嫌を損ねて、それで保存食代わりに摘んでおいたわけだけど、意外なところで役に立ちそうだな。




