014. 牙をむく山路(8)
「がはっ!?」
血しぶきが舞う。
「マルチェさん!!」
彼女の斧槍が、
『愚カダナ、実ニ』
邪悪な怪物に届くことはない。
力の抜けたマルチェさんは、ねじれるようにして背中から倒れた。
「まったく愚かなのだ――ははっ、はははははっ」
ユッカちゃんが――いや、黒ムカデに操られている彼女が笑う。
つくづく、この精霊は外道だ。
「う、うそだろ、おいっ!?」
突然の事態に、ターボフさんも困惑を隠せない。
「くっ――〈火の飛礫〉」
当初の予定とは違ってしまったが、牽制のために、黒ムカデへ火球を放つ吾輩。
その隙に、横たわっているマルチェさんへと駆け寄った。
「マルチェさん、大丈夫ですか? マルチェさんっ」
「うっ、くぁ、は……わ、ワガハ、イ、さん」
よかった、息はある。
完全に胸を貫かれたかのように思えた傷も、腹部側面をえぐられただけのようだ。
武人としての感性でとっさに体が反応し、瞬時に芯を逸らしたんだろう。
とはいえ、出血がひどい。
呼吸も、明らかに浅かった。
とにかく、ここから運び出さないと。
吾輩は、マルチェさんを担ごうと肩を回す。
そこに素早く、ターボフさんがやってきた。
「どけ、ワガハイ。お前の細腕じゃ、従者の嬢ちゃんを引きずっちまう――岩陰まで行くぞ」
「わかりました、お願いします」
慎重に、けれど軽々とマルチェさんを持ち上げて、ターボフさんが走り出す。
吾輩は、黒ムカデの動向に注意しながら、二人を護衛。
何とか、休憩していた場所まで戻ることができた。
吾輩は、警戒を継続。
一方でターボフさんは、血まみれのマルチェさんを優しく横たえた。
「これは、ひどいな……ワガハイ、回復魔法の心得は?」
「残念ながら門外漢です――回復系の魔効巻を、モルコゴさんから預かっていませんか?」
「あるにはある。しかし、基本的なものしか……止血と魔効巻の効果で時間稼ぎはできるが、どこまで持つかわからない。一刻も早く親父クラスの聖職者や魔術師に診てもらわないと、この嬢ちゃんは死んじまうぞ」
つまりマルチェさんは、今すぐにでも下山が必要な状態ということだ。
「ここで最低限の対処をして、今からターボフさんがマルチェさんと共にオトジャまで帰った場合、助かる可能性は?」
「嬢ちゃん本来の体力次第になるが……難しいだろうな」
「そう、ですか……」
退くことも、進むことも困難。
最悪の状況に、最悪の状況が重なった。
それでも、ここで立ちすくんでいるわけにはいかない。
「マルチェさんをお願いします、ターボフさん――あいつの相手は、吾輩が」
回復魔法にうとい吾輩がここにいても、何の役にも立たない。
マルチェさんのためにも、ユッカちゃんを助ける――それしか、吾輩にできることはないのだから。
「……ああっ、くっそ――わかった。死ぬなよ、ワガハイ」
「ご安心を――吾輩は、あなたを殴り飛ばしたゴーストですよ、ターボフさん」
ふざけてみせた吾輩に、彼はかすかに笑ってくれた。
「ここで、従者の嬢ちゃんにできる限りのことをしたら、俺も加勢する。一人より二人の方が、何かチャンスを作れるはずだ」
「そうですね」
とはいえ、やつがユッカちゃんを盾にしている以上、数的優位がどこまで機能するかわからないが。
「とにかくここに、やつを近づけさせはしません。ターボフさんは魔効巻で、マルチェさんの回復を――」
「ワガ、ハイさ、ん……」
そこで、息の抜けた声のマルチェさんが、吾輩を呼んだ。
「ど、うか、ユッカさ、まを……あ、の方は、あの方だ、けは、どう――ごっ、か、かっ」
「わかっています、わかっていますから」
「私は、どう、なっても、構いま、せ、ん……だから、ユッカ、さまを――」
抑揚のない声が細くなる。
わずかに聞こえてきた浅い吐息だけが、マルチェさんが生きていることを確認させてくれた。
「……いってきます」
ターボフさんと――そして、きっと届いているだろうマルチェさんに告げて、吾輩は岩陰から飛び出した。




