013. 牙をむく山路(7)
そこで甲高い音が響き、マルチェさんの攻撃がずれた――吾輩が剣で、彼女の武器を弾き返したからだ。
「くっ……」
かすかに息を漏らしたマルチェさんは、受け身をとりながら地面を転がり、素早く立ち上がる。
流れのまま着地した吾輩と適度な距離を保ちながら、それぞれに向き合うような形になった。
「……どういうつもりですか、ワガハイさん?」
「吾輩は、吾輩のやるべきことをやります――少なくともそれは、あなたが悲しみの中で手を汚すのを、黙って見守ることではありません」
マルチェさんから投げかけられた当然の問いに、吾輩は偽りのない想いを伝えた。
「な、何やってるんだよ、ワガハイ!?」
慌てたようなターボフさんの声。
マルチェさんを叩き落とすなどという吾輩の行動は、彼には意味不明に映ったことだろう。
事実上、悪しき精霊を守るようなことをしてしまったのだから。
けれど、マルチェさんは察している。
吾輩の心の内を、きっと。
「……現状、ただきれいごとを語るだけでは、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまいます。これは、従者としての私の使命。あなたの自己満足に付き合っている場合ではないのです」
「だとしても吾輩は、ユッカちゃんの命を本気で奪おうとしているあなたを、このまま見過ごすわけにはいきません」
「これは、私たちウィヌモーラ大教の問題――見過ごしていただかないと困るのですよ、ワガハイさん」
「ユッカちゃんは、吾輩の大切な友だち――その大切な友だちに殺意を向けるあなたを、どうして見過ごすことができるでしょうか?」
「……どいてください、ワガハイさん」
「それはできません、マルチェさん」
「…………」
「…………」
吾輩とマルチェさん。
無言ながら、異なる二つの闘気が、確かにぶつかっていた。
そんな吾輩たちを、
『仲間割レトハ、実ニ都合ガイイ』
奇怪な怪物が見下ろしてくる。
『クルキャァァァァァァァァッ』
大きく反らせた帯状の体を、ムチのごとく薙いだ黒ムカデ。
どうやら、回復する時間を与えてしまったらしい。
波打つ黒いしなりを、反転しながら回避する吾輩。
マルチェさんも岩肌を蹴り、大きく後退してやり過ごした。
しかし、悪しき精霊の攻撃は止まらない。
胴を持ち上げたとたん、自らを揺らして不気味な液体を発射。
それが変化し、小型の黒ムカデが四匹出現した。
「〈火の飛礫〉」
「〈岩石の矢〉」
襲いかかってきた小型黒ムカデに、魔法を放った吾輩とマルチェさん。
火球と石杭に貫かれた小型の黒ムカデは、弾けて消滅。
残りの二匹に対応しようと動く吾輩だが、やはりマルチェさんは本体しか狙っていない。
わかっているんだ。
これはあくまで、牽制程度の魔力で創られた黒ムカデの分身。
やつを倒すには、やつ自身を攻撃するしかないことを。
マルチェさんが唱える。
「〈岩石の矢〉」
『先ホドハ不意ヲ突カレタガ、ソンナモノ、恐ルルニ足ラナイ』
素早くうねる黒ムカデは、マルチェさんの魔法を器用にかわす。
縦横無尽に動く帯状の不気味な体は、回避能力に優れているということか。
「〈岩石の矢〉〈岩石の矢〉〈岩石の矢〉」
それでもマルチェさんは、周囲を円形に走りながら呪文を唱え続けた。
『ハハハッ――ムヤミニ魔法ヲ乱発シテハ、スグニ魔力ガ底ヲツイテシマウゾ』
一方の黒ムカデは余裕の対応。
マルチェさんの殺意に焦りを見せていた態度は、完全に消えていた。
すると吾輩に、小型黒ムカデの残り二匹が襲いかかってきた。
「〈魔力充填・霊〉――〈霊剣の斬撃〉」
剣を流して、一太刀で二匹を撃破。
吾輩も黒ムカデ本体に――と思った瞬間、異様な熱と光が伝わってくる。
『〈火の飛礫〉』
うなだれたままのユッカちゃんが両手を前に掲げ、巨大な火の玉を生み出していた。
大地の女神の巫女の魔力をふんだんに注ぎ込んだ、特大の火球だ。
『ヤハリ、巫女ノ体ハ最高ダ』
薄汚れたセリフと同時に放たれる、揺らめく赤き魔法。
そのターゲットは、言うまでもなくマルチェさんだ。
吾輩は剣を逆手に持ち、彼女に向かって駆けていく。
「〈霊剣の斬撃〉」
マルチェさんに飛びつきながら、吾輩は剣を横薙ぎに走らせ、火球を切断――転がりながら、いびつな岩壁まで滑っていった。
「大丈夫ですか?」
「……ええ」
短く言葉を交わして、すぐに立ち上がる吾輩とマルチェさん。
視線は黒ムカデから離さず、彼女が語りかけてくる。
「私を助けていいのですか、ワガハイさん?」
ユッカさまを殺そうとしている、この私を――という意味なのだろう、彼女が言っているのは。
「確かに吾輩は、ユッカちゃんの友だちとしてここにいます。約束もしましたからね――もしもの時は、殴ってでも彼女を目覚めさせると」
「…………」
「けれど吾輩は、マルチェさんとも約束をしました――あなたの力になると。あなたとユッカちゃんの旅を、こんなところで終わらせないために」
わかっている。
マルチェさんが心を殺して、その上で従者としての使命を果たそうとしていることを、吾輩だってわかっている。
それでも、それを成し遂げてしまったマルチェさんは、ぜったいに自分を許すことができないだろう。
たとえ、ウィヌモーラ大教が認めていても。
たとえ、ユッカちゃんの両親が、それを受け入れたとしても。
他ならぬマルチェさん自身が、自分を死ぬまで責め続けるはずだ。
そんな結末を、いったい誰が望むというのだろう?
「あきらめないでください、マルチェさん。あなたは一人じゃない、吾輩といっしょに――」
「お願いです、ワガハイさん。もう、もう何も言わないでください。希望を抱いてしまいます、もしかしたらと考えてしまいます……覚悟が、鈍ってしまいますから」
吾輩の言葉を、その平坦な口調でさえぎったマルチェさんは、
「私は、あの怪物に汚されているユッカさまを、一秒でも早く解放してあげたい――ただ、ただそれだけなのです」
黒ムカデを――いや、捕らわれているユッカちゃんを見つめながら、一筋の涙を流していた。
そして、マルチェさんが動く。
「〈岩石の矢〉」
今までと同じ――ではない。
魔力量が、明らかに膨れ上がった。
『クッ……』
黒ムカデも、それを感じ取ったらしい。
回避しながらも、わずかに声を漏らしていた。
マルチェさんのまとう殺気もまた、強く鋭くなっていく。
それだけで、悪しき精霊の胴を切り刻んでしまうほどに。
『ど、〈大地の――〉』
「〈岩石の矢〉」
魔法を放つ間を与えない、マルチェさんの呪文詠唱。
頭部をかすめた魔法の石杭にひるんだ黒ムカデが、大きく体をしならせた。
吾輩も加速し、その背後へ回り込む――が、波打つ尾が持ち上げられ、一気に接近できない。
ならば、旋回して側面に。
黒ムカデの頭部が、反動で逆サイドに揺れた。
上下の端が地面から離れ、胴体が開いたような状態になる。
マルチェさんは、やはりそこを見逃さない。
両手で斧槍を持った彼女は、折れてしまいそうなほどに体を引く。
不気味な怪物を、その一太刀で斬り裂くために。
『コ、コノォォッ』
無数の足をうごめかせる黒ムカデ。
卑劣な怪物は当たり前のように、尾の付近まで後退させていたユッカちゃんを、盾のようにして突き出してきた。
まずい――このままでは、マルチェさんの斧槍がユッカちゃんに届く。
しかしここからでは、マルチェさんに飛びかかることも、ユッカちゃんの前で攻撃を弾き返すことも、吾輩にはできない。
唯一、可能性があるのは魔法。
威力を最小限にして、マルチェさんの武器に当てる――これしかない。
鋭く、斧槍が伸びる――ユッカちゃんごと、悪しき精霊を切断する勢いで。
火の飛礫――吾輩がそう唱えようとした瞬間、操り人形のようだったユッカちゃんが、不意に顔を上げた。
「マルチェ、助けてほしいのだ」
ユッカちゃんの、懇願するような声。
ユッカちゃんの、不安そうな表情。
迷いは振り払ったはずだ。
覚悟もできていたはずだ。
けれど、それでも、
「っ!?」
大好きな『妹』を前にして、マルチェさんの動きが一瞬止まる。
わかっているはずなのに。
それが、彼女の言葉ではないことを、十分にわかっているはずなのに――。
「ゆ、ユッカさ――」
「ダメだっ、逃げろ、マルチェさんっ!!」
吾輩が叫んだ直後、黒い体がまるで刃物のように、マルチェさんの腹部を貫いた。




