012. 牙をむく山路(6)
『クッ……忌々シイハーフミノタウロスノ戦士メ』
吐き捨てながらも、黒ムカデは慎重。
どこか警戒心を強めている。
「従者の嬢ちゃん、無事だったんだな。よかったぜ」
横目で確認しながら、ターボフさんが言った。
そこに、吾輩が続く。
「マルチェさん。あの黒ムカデは、ソノーガ山脈の悪しき精霊。ユッカちゃんの心と体をからめ取り、巫女の魔力を我がものとして操っています。状況は最悪ですが、ここは三人で――」
「説明も手出しも無用です、ワガハイさん」
マルチェさんは吾輩に視線すら向けず、端的に答えた。
「このような結果になってしまったのは、私のふがいなさに原因があります。すべては、愚かな私が招いてしまったこと……だから私は、大地の女神の巫女の従者として、その責任を果たします」
「マルチェさ――」
吾輩の言葉を、じゃまだとばかりに切り捨てたマルチェさん。
巨大な武器を振り上げ、黒ムカデに飛びかかる。
武人としての闘気――を明らかに超えた殺意を、マルチェさんは放っていた。
悪しき魔力に満ちた精霊と、それに捕らわれた意識のないユッカちゃんを見れば、彼女が事情を理解できないはずがない。
瞬時に現状を把握したであろうマルチェさんは、迷うことなく、従者としての使命を――。
『クッ……大地ノ女神ノ巫女ガ、ドウナッテモイイノカ?』
先ほどの『岩石の矢』で受けたダメージの回復が追いつかないのか、自らを貫こうとする刃に、黒ムカデも動揺気味。
尾にからまるユッカちゃんを盾のようにして、マルチェさんへ示した。
『私ハ、モウ大地ノ女神ノ巫女ト一体トナ――』
「はっ」
しかしマルチェさんは、それに戸惑うこともない。
まるでユッカちゃんの心臓ごと穿つ勢いで、斧槍の先端を突き出した。
『ナッ!?』
マルチェさんが躊躇なく向かってくるなんて、さすがに予想外だったのだろう。
黒ムカデは、卑劣にも盾に利用したユッカちゃんを守るように引き、帯状の体を反らせて回避するという動きをみせた。
攻撃は入らず、マルチェさんは着地。
一方の黒ムカデは、波打つ胴でバランスを取るのが精一杯のようだ。
『オ前、大地ノ女神ノ巫女ヲ本気デ……』
「…………」
つぶやく黒ムカデに、マルチェさんは何も答えない。
けれど、普段の無表情以上に表情をなくした彼女を前に、悪しき精霊も、その決意を察したようだ。
『イ、イイノカ? 私ニ刃ヲ向ケルトイウコトハ、大地ノ女神ノ巫女ヲ危険ニサラスノト同義。オ、オ前ハ、ソレヲワカッ――』
「言い残すことは、それでいいのですか?」
『クッ……』
平坦なマルチェさんのセリフに、黒ムカデはたじろいでいる。
やつと対峙しながらも、吾輩には迷いがあった――ユッカちゃんを取り込んだ悪しき精霊と全力でぶつかることに対しての、強い心の揺れが。
当たり前だ。
事実上、ユッカちゃんの命と巫女としての魔力は、あの黒ムカデに握られている。
彼女を救い出すためには、卑劣な怪物と戦わなければならない。
けれど、現状においてそれは、ユッカちゃんに剣を向けるのと変わらない。
もしも、吾輩の攻撃が彼女を傷つけてしまったら――それを想像してしまうと、剣術も魔法も鈍くなってしまうんだ。
吾輩は、ユッカちゃんに手をかけることができない――ぜったいに。
しかし、マルチェさんは違う。
もちろん、それを望んではいないだろう。
彼女の想いは昨日、十分に聞かせてもらった。
大切な『家族』であるユッカちゃんを、誰よりも愛している一人に間違いないのだから。
だがマルチェさんは、それから逃げることもない。
墜ちた大地の女神の巫女は、この世界のため、もはや生かしておくことができない――ウィヌモーラ大教の掟が、従者としての使命が、本来は心優しい彼女を、まるで感情を失った暗殺者として成り立たせている。
吾輩からは感じなかったはずの強い殺気に、黒ムカデは、今までにない恐怖を覚えているはずだ――このままでは本当にやられる、と。
『……這イ上ガッテハ来ラレナイ断崖ノ下マデ、オ前ヲ引キズリ落トシテオケバヨカッタ』
「私も後悔しています。あなたの汚れた魔力に足を取られ、ユッカさまから離れてしまったことを……心の底から」
どうやらマルチェさんは、ソノーガ山脈にあるこことは別の場所まで、黒ムカデによって移動させられたようだ。
わずかな手脚の擦り傷は、その時に、あるいはここまで戻ってくる最中に負ったものだろう。
入山してからずっと、マルチェさんはユッカちゃんのそばにいた。
魔鉱石を魔力源として創り出された幻をかき消し、吾輩たちが石うろこの恐竜を相手にしている最中も、二人が離れることはなかった。
巫女の魔力を狙っていた黒ムカデには、間違いなくじゃまな存在――だからマルチェさんを、ターゲットであるユッカちゃんから遠ざけたんだな。
にらみ合うようなマルチェさんと黒ムカデをながめながら、ターボフさんが口を開く。
「覚悟を決めるしかないのか……くそっ」
覚悟。
つまり、ユッカちゃんが墜ちた巫女になったと判断し、彼女の尊厳を守るべく、この場で、その魂を解放すること――言うまでもなく、それはユッカちゃんの殺害だ。
大地の女神の巫女の従者であるマルチェさんと、ウィヌモーラ大教を信仰するターボフさん。
彼らはそれぞれに、この状況への反応を示している。
吾輩はウィヌモーラ大教に属してはいないし、その信者でもない。
要するに、まぎれもない部外者。
二人が、この最悪な事態を受け入れている以上、旅するゴーストでしかない吾輩もまた、彼らに従うべきなのかもしれない。
けれど。
いや、だからこそ――ウィヌモーラ大教の掟なんて、吾輩の知ったことか。
吾輩が助けたいのは『大地の女神の巫女』なんかじゃない。
吾輩の友だちになってくれた、純粋で勇敢な女の子――ユッカちゃんの笑顔を取り戻すために、この場所に立っているんだ。
何より吾輩は、彼女と約束した。
『もしも、ユッカちゃんがユッカちゃんじゃなくなったら、そのときは吾輩が、ぶん殴ってでも目覚めさせてあげるから』
『……ふははっ、そうか』
『なら、頼んだぞ、ワガハイ』
『任せてよ、ユッカちゃん』
その約束を、ただ果たすのみ――。
『後悔ナドシテモ遅イ。大地ノ女神ノ巫女ハ、コノ娘ハ、モハヤ私ノモノナノダ――〈大地の腕〉』
黒ムカデの呪文により出現した四本の腕。
振り上がった拳が、マルチェさんを襲う。
「……ユッカさまの魔力を、それ以上汚さないでいただきたい」
節目がちにつぶやいたマルチェさんは、地面を蹴って一気に加速。
向かってくる岩肌の腕を起用に駆け上がり、素早く黒ムカデとの距離を詰める。
彼女のスピードに、もはや『大地の腕』は意味をなしていなかった。
『コ、コノッ』
自らの頭部を引いて、意識のないユッカちゃんを前に――卑劣な怪物は、徹底して卑劣だった。
それでもマルチェさんは動じず、黒ムカデに向かって飛び上がりながら、巨大な斧槍を突き出す。
無表情を保つ彼女に、躊躇するような様子はない。
『シ、死ヌゾッ!? コノ小娘ハ、オ前ノセイデ死ヌンダゾ!!』
脅しというより、もはや懇願。
黒ムカデは、必死で叫んでいた。
「オ前ガ、大地ノ女神ノ巫女ヲ殺スンダゾォォォォォォォォォォッ!!」
幼い少女ごと、斧槍の刃が不気味な体をとらえようとした瞬間、
「許してくださいとは言いません……ただ」
懺悔のようなつぶやきが聞こえる。
「申し訳ありませんでした、ユッカさま――」




