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顔なしゴースト『ワガハイ』の、つれづれならない国境なき冒険  作者: 渋谷 恩弥斎
[第2章 第4節] パジーロ王国>グシカ森林⇔ソノーガ山脈
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011. 牙をむく山路(5)

「ぐっ!?」


 剣を構え、できる限り衝撃を防ぐ。


 それでも魔力で形成された拳は重く、盛り上がる岩の壁まで、吾輩は吹き飛ばされてしまった。


『ハハハハハッ、イイ気味ダ』


 さげすむように笑う、邪悪な黒ムカデ。


 致命傷ではなかったけれど、非常に厄介だな。


 分身黒ムカデに加え、大地の女神の巫女の魔力で創り出す『大地の腕ドルク・ラコ』まで――ユッカちゃんを取り込んだ黒ムカデはもちろん単数だが、これでは事実上、モンスターの群れを相手にしていようなものだ。


『ソノママ私ニヒザマズクナラ、見逃シテヤランコトモ……チッ』


 立ち上がり、また剣を構えた吾輩に、黒ムカデは舌打ちのような反応を示す。


『ドウシテモ、私ニほうむラレタイヨウダナ、オ前ハ』

「あなたがユッカちゃんを解放しないのならば、吾輩は、魂の続く限り戦いますよ」

『……気ニ食ワナイ、実ニ気ニ食ワナイゴーストダ』


 吐き捨てるようにつぶやいた黒ムカデは、そこで、意識のないユッカちゃんを持ち上げる。


『コノ娘ガ大事カ、旅ノゴーストヨ? 私ノ一部ニ成リ果テタ、大地ノ女神ノ巫女ガ』

「ユッカちゃんは、幼くも勇敢な聖職者です。気を失っているとはいえ、悪しきあなたの一部になったわけじゃない」

『ハハハッ。ナラバ、コレハドウダ?』


 吾輩を試すように問いかける黒ムカデに続いて、だらりとうつむいていたユッカちゃんが、不意に顔を上げる。


「ワガハイ」

「……ユッカ、ちゃん?」


 うつろな表情で口を開いた彼女に、吾輩は思わず聞き返してしまった。


「ワタシのことは、もう、そっとしておいてほしいのだ……だってワタシは――」


 そこでユッカちゃんは、がらりと雰囲気を変える。


「偉大ナ精霊ト一体化シタノダカラ――ハハッ、ハハハハハッ!!」


 不気味に顔をゆがめ、割れてひずんだ声で高笑いをしたユッカちゃん――いや、違う。


 あんなのは、決してユッカちゃんじゃない。


 操られているんだ、黒ムカデに。


 邪悪な怪物に、彼女は――。


『理解シタカ、旅ノゴーストヨ。大地ノ女神ノ巫女ハ、スデニ私ノモノ。イクラオ前ガあらがオウトモ、スベテハ無意味ダ――ハハッ、ハハハハハッ』


 わかっている。


 これは、悪しき精霊による挑発だ。


 けれど吾輩は、


「……解放しろ」


 純粋な彼女をもてあそぶような行為に、怒りの感情を抑えることができない。


「ユッカちゃんを、今すぐ解放しろ!!」


 剣を引き、吾輩は走り出した。


 分身の小型黒ムカデと同じように、この場で、あの邪悪な怪物を叩く――そして、彼女を救い出してみせる。


「〈魔力充填・霊マギド・レージ・ネヴィマ〉」


 呪文詠唱と同時に高く飛び上がった吾輩は、その頭部付近に狙いを定めた。


「〈霊剣のネヴィマ・フォル――〉」


 魔力を込めた剣で、黒ムカデの首をとらえようとした瞬間、


「ワガハイ、ワタシを助けてほしいのだ」


 ユッカちゃんが、ユッカちゃんの表情で――吾輩に語りかけてくる。


 わかっている、これも罠だ。


 けれど、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまう。


 そこを、この悪しき精霊は見逃さない。


『〈火の飛礫イーゴ・ジェハ〉』


 呪文を唱える声は黒ムカデ――魔法を放ってきたのは、操られているユッカちゃんだった。


「くっ」


 下から突き上げるように向かってきた火球を、青白く光る刃で弾く。


 防御するのに手一杯で、吾輩はそのまま落下。

 卑劣な敵に斬撃を浴びせることはできなかった。


『ハハハッ、哀レナゴーストメ。大地ノ女神ノ巫女ヘノ想イガ、オ前ノ剣ヲにぶラセテイルノダ。甘イ刃ナド、私ニ届クハズモナイ』


 勝ち誇る、邪悪な怪物。


 いったい、吾輩はどうすればいい?


 魔法の霊剣で斬り裂こうにも、鋼鉄の拳で打ち抜こうにも――もしも、ユッカちゃんを盾にされたらどうする?


 吾輩がなすべきは、あくまでユッカちゃんの救出だ。

 怒りのままに、あの悪しき精霊を倒すことじゃない。


 しかし……操られている彼女を、吾輩はいったい、どうしたら助けられるんだ?


 そこに、ターボフさんが駆けつける。

 どうやら、準備ができたらしい。


「待たせたな、ワガハイ」


 反り立つ黒ムカデを見上げながら、彼は手にした魔効巻スクロールを開いた。


「これでもくらえ、化け物がっ!!」


 長い巻物が、宙にたなびく。


 すると、そのまま細く螺旋らせんを描き、瞬時に白い縄へと変化。

 どうやら、作成された魔効巻スクロールそれ自体が、重要な魔法効果を有しているタイプのものらしい。


『クッ……何ダ、コノ聖ナル魔力ハ!?』


 展開された魔効巻スクロールに、黒ムカデは焦っているようだ。


 白い魔法の縄は、そんな怪物の全身に素早くからみつき、波打つ動きを抑え込む。


『クソッ、体ガ……』

「よし、いけるぞ」


 捕縛ほばくされ、ぎこちなく震えるだけの黒ムカデ。


 その様子に、ターボフさんは拳を握る。


「親父特製の魔効巻スクロールは効くだろう、化け物ムカデっ」

『グ、グアッ……ト、トロールメ、小賢こざかシイ、真似ヲ』

「苦しかったら、早く巫女を解放することだ。このままだと、お前は縛り上げられて、その気持ちの悪い頭も胴体も、全部引きちぎられちまうぞ」

『グッ、グアッ』


 さすがは、オトジャの村の司祭であるモルコゴさんが作った魔効巻スクロールだ。


 悪しき精霊である黒ムカデは、聖職者が練り上げた清き魔力に苦悶くもんしている。


「ワガハイ」


 ターボフさんが呼びかけてくる。


「やつが耐えられなくなって、巫女を解放した瞬間が勝負だ。親父の魔効巻スクロールの効果で、化け物ムカデの邪悪な力は弱まっているからな」

「わかりました」


 ユッカちゃんから黒ムカデが離れれば、彼女が盾にされる恐れもない。


 あとは、魔法で制圧するのみだ。


 構えた吾輩は、声をらす悪しき精霊を、冷静に観察していた。


 だが、


『フザ、ケルナヨ……コンナモノデ、私ニ勝テルト、思ウナ――クルキャァァッ』


 突然、黒ムカデの邪悪な魔力が跳ね上がる。


「何っ!?」


 ひるんだ様子のターボフさん。


 すすけた煙のごとき邪気が、周囲に立ち込め出したからだ。


「……まずいですね、これは」


 奇怪な帯状の体に巻き付いていた白い魔法の縄に、黒い亀裂が走った――直後、


『私ハ、大地ノ女神ノ巫女ヲ支配シテイルノダァァァァァァァァッ!!』


 邪悪な魔力が弾け、モルコゴさんの魔効巻スクロールの効果を、完全に打ち消してしまった。


「くそっ……あの化け物ムカデ、巫女の魔力を利用しやがった」


 どうやら、そういうことらしい。


 黒ムカデは、ユッカちゃんに与えられている潜在的魔力を邪悪なものに変異させ、それを自らの力として放ち、体の自由を奪っていた白い縄を破壊したんだ。


『大地ノ女神ノ巫女ノ魔力ハ、モハヤスベテ私ノ魔力。清キ魔法ヲ練り込めた魔効巻スクロールニ、コノ私ガ屈スルナド、浅ハカナ考エモイイトコロダ』


 黒ムカデの不快な邪気が、さらに強くなる。


 オトジャの聖職者であるモルコゴさんの魔効巻スクロールえ忍んだ相手に、いったい吾輩たちは、どう対抗すればいい?


 ユッカちゃんさえ、ユッカちゃんさえ解放できれば――しかしそれが、最も難しい課題だった。


「……悪いが、もう俺にアイデアはないぜ、ワガハイ」


 身構えながらも、どこか力なくつぶやいたターボフさん。


魔効巻スクロールのストックはまだあるものの、あれが効かないんじゃ、正直……これ以上打つ手がない」


 焦りの表情を隠しきれていない。


 彼が弱気になっているのが、こちらにも伝わってきた。


 けれどあなたは、素直に負けを認めるトロールじゃないですよね。


「らしくないことを言わないでください、ターボフさん――吾輩たちがやつに敗北すれば、本当にユッカちゃんは、悪しき精霊の一部になってしまいます。彼女を助けるためにも、ぜったいに希望を捨てるわけにはいかないんですよ」


 吾輩の言葉に、


「……ああ、そうだな――そうだよな、ワガハイ」


 ターボフさんは剣を持ち直した。


 戦士として、ウィヌモーラ大教の信者として、彼の目の輝きは、まだなくなってはいない。


「ええ、それでこそあなたです」


 決意を新たにしたトロールの武人に、吾輩は返した。


 しかしながら、状況は最悪だと言っていい。


 ターボフさんを鼓舞こぶしたものの、吾輩に何かさくがあるわけでもないのだから。


『ハハッ、ハハハハハッ』

「…………」


 黒い怪物に操られている、生気のないユッカちゃん。

 偉大な女神の力を宿すとされる彼女の体は今、卑劣な悪しき精霊の支配下だ。


 もしも吾輩が屈すれば、その表情はうつろなまま、二度と笑顔になることはないだろう。



『ワタシは「ユッカ」――しっかり覚えておくのだぞ、ワガハイ』



『友だちになろう、ワガハイ。お主とは、これからもずっと仲良くしていきたいのだ』



 かわいらしい本来のユッカちゃんの姿を、吾輩が思い浮かべた瞬間、


「〈岩石の矢ガルゴ・ナイ〉」


 石杭いしくいのごとく形成された硬質な魔力が、不気味な胴に鋭く風穴を開けた。


『クルキュアッ!?』


 悲鳴を上げた黒ムカデは、苦しそうに身をよじる。


 直後、疾風しっぷうのような斬撃が、うごめく赤い足の生えた側部をかすめた――浅い。

 帯状の体が反射的に引かれたことで、それほど深くは入らなかったようだ。


 しかし、致命傷にはならずとも確かなダメージを受けた黒い怪物は、そのまま逃げるように後退。

 持ち上げていた頭部すら低く下げ、丸く縮こまりながら、痛みをこらえるような声を漏らしていた。


 攻撃魔法を放ち、悪しき精霊の奇怪な体を切断するがごとく現れたのは、


「……マルチェさん」


 ほほを土で汚し、四肢ししり傷を負いつつも、無表情で大きな斧槍を構える戦士――間違いなく、本物の彼女だった。

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