010. 牙をむく山路(4)
「ちっ……くっそ」
状況を把握したらしいターボフさんが、力なく吐き捨てる。
彼の態度を確認するまでもない。
まさに、最悪の事態だ。
『私、コレガ私――大地ノ女神ノ巫女の魔力ハ、スベテガ私ノモノ』
不気味にひずんだ声が、周囲に響いた。
もはや考えるまでもない。
ユッカちゃんは、あの悪しき精霊――黒ムカデに取り込まれてしまった。
幼くもかわいらしい彼女の活きた表情は消え、奇怪な帯状の怪物に捕らわれながら、だらりと立っているだけだ。
「…………」
邪悪な黒ムカデを前に、吾輩は無言のまま剣を構える。
しかし相手は、事実上のユッカちゃん。
本気で戦うことなど、吾輩にはできない。
どうすればいい、どうすれば――。
そこで黒ムカデは、あざ笑うかのようにユッカちゃんを示し、見せつけ、呪文を唱えてくる。
『〈大地の腕〉』
太い岩肌の腕が四本、吾輩に襲いかかってきた。
「ワガハイ」
「心配いりません」
ターボフさんに答えながら、回避する吾輩。
一本目、二本目の腕は飛び越え、三本目は反転して、最後の四本目は下をすり抜けてやり過ごした。
回り込んだ吾輩は、黒ムカデの背後に狙いを定める。
もしも悪しき精霊だけを攻撃することができれば、ユッカちゃんへの憑依も解け、彼女を救うことができるかもしれない。
「〈火の――〉」
『クルキャァァァァッ』
しかし、それは甘い考えだった。
吾輩が魔法の火球を放とうとした瞬間、黒ムカデはユッカちゃんの体を持ち上げ、まるで盾とするように、こちら側に向けてきたんだ。
「くっ……」
ダメだ。
これじゃ、悪しき精霊だけに当てることができない。
「やばいぜ、ワガハイ。巫女が飲まれちまった」
「ええ、そのようです」
合流した吾輩とターボフさんは、互いに軽く言葉を交わす。
「こういうことも、あなたは想定していたはずです。取り込まれてしまったユッカちゃんを、どうにか救い出す策はありませんか?」
「親父から預かってきたものの中には、万が一の時に使えるかもしれない魔効巻が何本かある。そう簡単にはいかないだろうが……試してみるしかないな」
「わかりました。時間は、吾輩が稼ぎますよ」
「頼んだぞ、ワガハイ」
直後、
『クルキャ、クルキャァァァァッ』
黒ムカデの金切り声を合図に、動き出した吾輩とターボフさん。
先ほどの岩陰に魔効巻を取りに行った彼の準備が整うまで、何とか持ちこたえないと。
走り去るターボフさんを感じながら、吾輩は剣を片手に、再び悪しき精霊の前へ。
『ゴーストノ剣士、ゴーストノ旅人ヨ――オ前ノ魔力ハ、実ニ不快ダ。清ラカデ澄ンデイテ、忌々シイニモホドガアル』
「それはどうも」
見下ろしてきた黒ムカデに、吾輩は返す。
こちらに言わせてもらえば、そちらの方が何倍も不快で忌々しい限りだ。
『シカシ、私ノ得タ巫女ノ魔力ヲ試スニハ、最良ノ相手デモアル。ソノ魂モロトモ、コノ場デ祓ッテクレヨウゾ』
すると、まだ残っていた岩肌の腕四本が、吾輩を脅すかのように起き上がってきた。
悪いけど、ユッカちゃんを傷つける心配がないのなら、魔力を抑える必要なんてない――全力で潰させてもらう。
『クルキャァァァァァァッ』
黒ムカデの雄叫びと共に、四本の腕が向かってきた。
さて、まずは――。
「〈火の飛礫〉」
先ほどは出し損ねた火球で、岩肌の腕を破壊。
地属性の魔法に対して火属性の呪文は有効とはいえないが、吾輩の魔力をもってすれば、多少の優劣関係など無意味にできる。
続けて、飛び上がった吾輩は、
「〈魔力充填・霊〉」
右手の刃に魔力を込める。
得意の魔法剣術。
幽玄に輝く青白い霊気を込めた剣で、左右二本の腕を薙ぎ斬る。
「〈霊剣の斬撃〉」
走る剣線を残しつつ、下降――そして、
「〈魔力充填・鋼〉――〈錬鉄の拳〉」
鋼の左拳で、地面から昇ってきた最後の腕を砕いた。
破壊力を決めるのは、何も大きさだけじゃない。
魔力を圧縮して錬成強化した吾輩の左手は、悪しき精霊の創り出した拳などに負けはしないんだ。
『グッ……コ、コシャクナゴーストメ』
すべての魔法効果を消滅させた吾輩に、黒ムカデも驚いた様子。
これでユッカちゃんを解放してくれれば話は早いが、さすがにそうはいかない。
『行ケ、私ノ分身タチヨ』
黒ムカデが帯状の体を振るうと、気味の悪い液体が三滴、地面に落ちる。
岩肌に染み出したそれは次第に形を整え、人間の片腕ほどの長さをした小型黒ムカデとなって、それぞれに反り上がった。
『私ノ魔力ヲ核トシタコイツラナラ、ゴーストデアルオ前の「体」モ逃シハシナイ。カラミツイテ、極上ノ苦痛ヲ与エテヤル』
『『『シュルァァァァッ』』』
黒ムカデ自身が生み出した魔力の分身が、正面と左右から、吾輩を襲う。
確かに本質が魔力なら、ゴーストである吾輩でも無効化できない。
今のユッカちゃんがされている状態――つまり、この『身』の動きを封じるのが目的なんだろう。
だが吾輩は、あんな気持ちの悪いものに、自分の『体』を這われるのはごめんだ。
刃の霊気は、まだ活きている。
「〈霊剣の斬撃〉」
『シュルァッ!?』
魔力を込めた斬撃を、前方の小型黒ムカデに走らせ、一刀両断。
そのまま、振り下ろした剣を右へ薙ぎ、
『キ、キルシュ!?』
刹那に二体目も撃破。
どちらも風に吹かれた煙のように、一瞬にして姿を消した。
残りは、左側の一体。
切り返して剣を引こうとした吾輩だったが、そこに、
『〈火の飛礫〉』
本体の黒ムカデが呪文を唱えてきた。
「くっ」
火の玉を避けるために後退。
すると、まるで見計らったかのように、小型黒ムカデが飛びかかってきた。
バランスを崩しながらも、吾輩は剣を横に流す。
何とか攻撃は届き、最後の分身黒ムカデは消滅。
しかし今度は、
『〈大地の腕〉』
一際大きな岩肌の片腕が一本、吾輩へと――。




