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顔なしゴースト『ワガハイ』の、つれづれならない国境なき冒険  作者: 渋谷 恩弥斎
[第2章 第4節] パジーロ王国>グシカ森林⇔ソノーガ山脈
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009. 牙をむく山路(3)

「わ、ワガハイ……マルチェが、マルチェが」

「落ちついて、ユッカちゃん」


 混乱している彼女をさとす。


 どうやら、ケガはしていないようだ。


「何があったのか教えてほしい。大丈夫、大丈夫だから」

「……う、うむ」


 不安の表情ながら、うなずいてくれたユッカちゃん。


 ターボフさんは剣のつかに手をえて、周囲を見渡しながら警戒していた。


「こ、ここから飛び出したワガハイたちを確認しながらも、マルチェはワタシを守っていてくれたのだ。そうしたら突然、地をうような黒くて長い帯状の魔力が、ワタシに向かってきて……」


 黒くて長い帯状の魔力?


 悪しき精霊の仕業だろうか。


「それで、盾になってくれたマルチェにからみついたとたん、沼に引きずり込むみたいに……あいつを、この地面に飲み込んでしまったのだ」


 ユッカちゃんが指し示したのは、硬い岩肌。


 試しに剣を抜いてつついてみたものの、特に変わった点はない。


「今の話から、原因を推測できますか?」


 刃を戻した吾輩は、警戒を続けているターボフさんに尋ねた。


 わずかだが、確かに不快な魔力の残滓ざんしが感じられる。

 悪しき精霊が関与しているのは間違いなさそうだ。

 オトジャのトロールである彼なら、何かわかるかもしれない。


「残念だが、相手は有象無象うぞうむぞうの悪しき精霊たちだ。ウィヌモーラ大教の聖地を管理してきた一族の俺でも、さすがに無理な話だぜ」

「……そうですか」


 特別な事情があるとはいえ、マルチェさんは、大地の女神の巫女であるユッカちゃんの従者に選ばれたハーフミノタウロスの戦士だ。

 簡単にやられるとは思えない。


 しかし、この広大なソノーガ山脈の中で消えてしまったとなると……厄介だな、これは。


「ワタシのせいなのだ。ワタシがのんきに休憩きゅうけいなどしていたから、だからマルチェは……」

「そうじゃないよ、ユッカちゃん。自分を責める必要なんてない。気をしっかり持つんだ」

「……マルチェ」


 罪悪感と喪失感――ユッカちゃんは、その動揺を隠せていない。


 この道中で、間違いなく今が一番、彼女は精神的に乱れている。

 ニサの町で迷子になっていた時とは、当然ながらまったく違っていた。


 まずいな、何とかしないと。


「ワガハイ」


 近づいてきたターボフさんが、小声でささやく。


「従者の嬢ちゃんをさらったっていう黒い魔力は、親父の作った魔効巻スクロールの結界を破って入ってきたわけだ。相手が悪しき精霊だとしたら、ここまでに呪詛じゅそでちょっかいをかけてきた小物とは、ちょっとレベルが違うぜ」

「……ええ、そうなりますね」


 清き大地の精霊がいるというウィヌモーラ大教の聖地は、もう近い。


 だから、よこしまな悪しき精霊も仕掛けてきたんだろう。


 あと少し進むことができれば、おそらく、聖地の力が流れる領域。

 悪しき存在は、そのりをひそめるしかなくなる。


 ユッカちゃんに手を出すなら、このタイミングしかなかったということだ。


「マルチェ……どこなのだ、マルチェ」


 ユッカちゃんの不安そうな態度を、ターボフさんも見過ごせない様子。


「とりあえず、俺が従者の嬢ちゃんを探してみる。ワガハイ――お前は巫女から離れず、とにかく彼女を守ってくれ」


 この状況では、そうするしかないだろう。

 吾輩はうなずいた。


「よし。じゃあ俺は、さっそく向こうを――」

「ユッカさま」


 ターボフさんが動き出そうとした時、聞き覚えのある声が届く。


「ユッカさま」

「ま、マルチェ!?」


 岩陰から飛び出したユッカちゃん。


 吾輩は、慌てて彼女を追う。


 そこにいたのは、やはりマルチェさん。

 何事もなかったかのように、笑顔で手を振っていた。


 ユッカちゃんの話では、飲まれるようにして岩肌の中へと消えたはず。

 理屈はわからないが、彼女は自力で、悪しき魔力から抜け出た――ということなのか?


 しかしマルチェさんが、笑いながら手を振るなんてことが……いや、おかしい。


 基本的に無表情であるはずの彼女が、この状況で顔をゆるませるなんてこと――まさか。


「大丈夫か、マルチェ? 心配したのだぞ」


 その時にはもう、彼女は駆け出していた。


 この不慣れな魔境で、目の前から突然に大切な『家族』が消えてしまった――その動揺が、ユッカちゃんの判断力を弱めてしまったんだ。


「ダメだ、ユッカちゃん!! それは、マルチェさんじゃな――」


 次の瞬間、マルチェさん――の姿をした『それ』は、大きく口をゆがませた。


 そして同時に伸びる、地を這うような細くて不気味なうごめきが、ユッカちゃんの全身にからみつく。


「うわっ!?」


 自分の体に走った黒い縄のような魔力に、彼女は戸惑いの声を上げた。


「ユッカちゃん!!」


 マルチェさんの姿をした『何か』と、不気味な黒いうごめきはつながっている。

 剣で斬り裂けば、ユッカちゃんを守れるはずだ。


 抜刀した吾輩は、マルチェさんの姿をした『何か』に向かっていく。


「はっ」


 正体不明の相手ではあるが、これがマルチェさんでないことは確信している。

 吾輩は全力で、かかげた剣をななめに走らせた。


 しかし手応えはなく、まるで煙をいだみたいに、マルチェさんの姿をした『何か』は消えてしまった――くっ、幻影か。


 直後、吾輩が振り返ると、


「あがっ、あ、おぐっ、ああ……」


 苦悶くもんするユッカちゃんを、背後から抱きしめるように立つマルチェさん――の姿をした『何か』が、邪悪な笑みを浮かべていた。


『巫女。コレガ、大地ノ女神ノ巫女……ワタシノ体、ワタシノ魔力――クルキャァァァッ!!』


 叫び上げた『それ』はもう、マルチェさんの『形』すら留めていない。


 大気に溶け込む湯気のように昇っていく不快な魔力は、ユッカちゃんにからみついたまま、その本当の姿をあらわにした。


「ワガハイ、大丈夫か――んなっ!?」


 岩場から出てきたターボフさんが、驚きのあまりる。


 無理もない。


 これは間違いなく、醜悪しゅうあくな怪物だ。


『クルキャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』


 それは、黒くて巨大なムカデ。

 側面から生えている無数の赤い足を、気味悪く波打ちながら動かしていた。


 意識を失ったユッカちゃんの体にからみつきながら、まるで彼女が自分の一部であるかのように、吾輩を威嚇いかくしている。


 もちろん、これは普通の昆虫型モンスターなんかじゃない。


 不浄の魔力を宿した、悪しき精霊の化け物だった。

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