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顔なしゴースト『ワガハイ』の、つれづれならない国境なき冒険  作者: 渋谷 恩弥斎
[第2章 第4節] パジーロ王国>グシカ森林⇔ソノーガ山脈
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005. 優しい心(前編)

 グシカ森林を進んでいた時とは異なり、吾輩たち一行の歩みは慎重だった。


 ここはソノーガ山脈。

 言うまでもなく山岳地帯だ。


 従って、大地の女神を信仰する聖職者たちが、過去にも通ったであろう岩肌の山路やまじは、当然のごとく傾斜けいしゃを帯びている。


 だから、軽い足取りだったユッカちゃんも、今は少し息を上げていた。


「ふぅ、ふぅ……」


 巫女であっても、体力は八歳の女の子。

 彼女には、なかなか厳しい道のりかもしれない。


「大丈夫ですか、ユッカさま? もしもおつらいなら、私が背負って――」

「いや……平気、なのだ」


 マルチェさんの気遣いを、ユッカちゃんは断る。


「ワタシは、ソノーガ山脈の、清き精霊に、会うのだ。お主に甘えて、いては、その精霊に、笑われて、しまう。これくらい、どうってことは、ないのだ」


 呼吸は乱れているけれど、ユッカちゃんの言葉は力強い。

 小さな体は休むことなく、一歩一歩、前に進み続けていた。


「……わかりました、ユッカさま」


 ユッカちゃんの答えを受け入れたマルチェさん。


 彼女は、巫女として成長している『妹』を誇らしく思ったのだろうか。


 それとも、従者の助力を突き放すような態度に、一抹いちまつのさみしさでも感じているのだろうか。


 すると、


『ジェグレ、ウゲ、オシュマヤ、エレテッカ、ジュモギジュエ……』


 意味を理解できないささやきが、どこからともなく聞こえてきた。


『ジャンゲオ、オペッツェ、アネモグ』

『エルゼルボージョン、マンチャッパ』

『オギャ、オルゲ、オモジョ、ジョジョ』


 一つや二つではない。


 わけのわからない声が、四方八方から響いてくる。


 これは、いったい?


「意識を向けたら負けだぞ、ワガハイ」


 先頭を行くターボフさんが言う。


「これは、悪しき精霊によるもの。彼らの嘆きや、呪いの言葉――いわゆる呪詛じゅそだな」

「呪詛?」

「相手を混乱状態にする魔法の一種と考えればいい。力の弱い小物の悪しき精霊が、俺たちを操るためにやる手なんだ。怪しげな『声』で注意を引き、こちらの心を乱す――そうなってしまえば、憑依ひょういされたり、意思なき傀儡くぐつにされたりと、とにかく厄介なんだ」


 なるほど。


 邪悪な精霊たちの歓迎は、もう始まっているというわけだな。


「巫女はもちろん、俺や従者の嬢ちゃんも、こんなものには屈しない。偉大なる大地の女神への信仰心があれば、正しい自分を保つことができるからな」


 大地を創ったとされるウィヌモーラは、最も偉大で神聖な神の一柱。

 あらゆる邪悪な誘惑も、彼女を崇める信者にとっては無意味。

 格が違う――ということだ。


「まぁお前は、間違いなく心の強い武人だ。まじめにとらえたりせず、適当に受け流せばいい。悪しき精霊とはいえ、相手は姿すら見せない臆病者だ。お前がりんとしていれば、向こうは何もできやしない」

「勉強になります」


 アドバイスをくれたターボフさんに、吾輩は答えた。


 どうやら、ソノーガ山脈が魔境たるゆえんは、想像していたような荒々しいものだけではないようだ。


 試されているんだな、吾輩たちは。


 戦いにおける単純な強さだけではない、真の意味での強さを――魂の強さを。


「要するに、何か別のことに、気持ちを、集中させていれば、いいのだ」


 相変わらず呼吸は荒いけれど、ユッカちゃんは元気だ。

 悪しき精霊の呪詛なんて、みじんも受け入れていない。


「ワガハイは、えっち、だからな。マルチェの『ないすばでぃ』を、見たり、することを、勧めるのだ。そうすれば、悪しき精霊に、負けることなど、ない、はずなのだぞ」

「……それはどうも」


 もうユッカちゃんの中で、吾輩が『えっち』なゴーストだということは決定しているらしい。

 紳士な吾輩としては、何とも不名誉な話だ。


「お役に立てるなら、どうぞワガハイさん。穴が開くほどに、ご自由に隅々すみずみまで」

「……振り返ってまで訴えてこなくて大丈夫ですよ、マルチェさん」


 しかし、冗談を言い合えるくらいの方がいいのだろう。


 悪しき精霊は、吾輩たち――特に、ユッカちゃんの心を狙っているんだ。

 彼女の意識を取り込み、ウィヌモーラの魔力を操ることができるという巫女の体を、自らが支配するために。


 油断は禁物。


 しかし、精神的なゆとりは必要だ。


 吾輩としては、ユッカちゃんよりマルチェさんから、その点の弱さを感じていたけれど、どうやら心配なさそうだな。


「ふははっ――俺を殴り飛ばしたワガハイでも、巫女と従者の嬢ちゃんには敵わないみたいだな」

「ええ、その通り」


 笑うターボフさんに、吾輩は肩をすくめて返した。


 すると今度は、か細い泣き声が響く。


 しくしくと、かなしげに涙を流しているような――。


 周囲を確認すると、険しい道の奥に、顔を伏せた少女の姿があった。

 ユッカちゃんと同世代くらいだろうか。

 村娘のような格好で、岩に腰を下ろしながら、体を縮めてうずくまっていた。


 呪詛には無関心を保っていたユッカちゃんも、さすがに反応を示す。


「こんな、ところで、どうしたのだ、お主? 連れの者と、はぐれて、迷子になって、しまった、のか?」


 言いながらユッカちゃんは、列を離れて、泣いている少女のもとへ歩み寄ろうとする。


 それに気づいたターボフさんが、慌てたように口を開く。


「待ってください、巫女。あれは――」

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