003. 魔洞の渦
グシカ森林を、東へ東へ。
部外者では迷ってしまいそうな緑の中を、ターボフさんのガイドのもと、歩いていく吾輩たち一行。
「ユッカさま、大丈夫ですか? 疲れていませんか?」
「問題ないのだ、マルチェ」
気遣う従者に、力強く返す巫女。
ここまで順調に進んできたが、やはりマルチェさんとしては、いつも以上に心配してしまうらしい。
緊張しているのは、ユッカちゃん本人より彼女の方なのかもしれない。
オトジャの村を出てから、もうずいぶんな距離を稼いだことだろう。
太陽の位置から考えるに、おそらく正午も近いはずだ。
すると、
「よし、着いたぜ」
ターボフさんが、一人つぶやく。
どうやら、ここが目的の場所らしい。
生い茂る草木に囲まれながらも、そこだけすっぽりと刈り取られたように整えられた空間。
地面からは、吾輩の腰辺りの高さになる石造りの『筒』が突き出していた。
一瞬、井戸のようなものかと思ったが、これは違う。
なるほど、そういうことか。
「説明が必要か、ワガハイ?」
「いいえ、大丈夫です。理解できました」
尋ねてきたターボフさんに、吾輩は答えた。
「のぞいても?」
「ああ、まだ使えないけどな」
ターボフさんに許可をもらった吾輩は、その井戸のような石造りの筒へ近づき、中を確認する。
そこにあるのは、湧き水でもなければ、こけをまとった土でもない。
まるで、水面を乱す渦潮のように螺旋を描く、奇妙な空間のゆがみとも言うべき特別な魔力のうねり――。
この世界を構成する空と海と大地には、それ、あるいはそこ自体が魔力を帯びている場所や地域がある。
流れている、溜まる――などと表現されることもあるが、とにかく、特定の点や面などに、魔力が集まっていることがあるんだ。
魔法能力に長けた者は、そういう場所や地域に根を下ろし、自分なりに自然の魔力を利用したりする。
イダの森でお世話になったヒズリさんは、月の光を浴びた湧き水を、自身の仕事に役立てていたけど、あれは一つの例だと言えるだろう。
そういう自然が持つ魔力が、まったく違う『場所』と『場所』を、偶然にもつなげてしまうことがある。
その、魔力でできた洞窟の入り口のごとき螺旋は、その名の通りに『魔洞の渦』と呼ばれている。
これについて誤解を恐れずに言うなら、瞬間移動魔法の効果を発揮する天然の魔法陣だと考えればいい。
ある場所とある場所に通っている、目には見えないが確かに存在する魔法の洞窟――それが、魔洞の渦。
「経験したことはあるか、ワガハイ?」
背中から、ターボフさんに尋ねられた。
「ええ、数えるほどですが」
魔洞の渦は、世界各地で確認されている。
その多くは国家や貴族が管理していて、有料で旅人に解放されていたり、あるいは秘密裏に使用されていたりするのだとか。
流浪のゴーストである吾輩も、風に任せた日々の中でお世話になったことがある。
なるほどな。
これで、先ほどのターボフさんの説明にも納得だ。
この魔洞の渦は、吾輩たちがいるこの場所と、ソノーガ山脈のどこかをつないでいるに違いない。
ここを通っていけば、目指すべき聖地への近道になるんだ。
「オトジャの村のトロールは、代々、ウィヌモーラ大教の聖地を守っている――その意味が、これでわかっただろう?」
ターボフさんが、誇らしそうに言う。
確かに、魔境のごときソノーガ山脈へ入るには、この魔洞の渦を使わないと難しいだろう。
この場所を押さえているオトジャの村のトロールは、聖地の管理者を名乗るにふさわしい。
ちらりとユッカちゃんたちを見やりながら、ターボフさんがささやいてくる。
「大きな声じゃ言えないけどな、ここの魔洞の渦を、ウィヌモーラ大教を信仰している貴族とかに売り飛ばせば、それはお前、一生遊んで暮らせるくらいの大金が手に入るはずだぜ」
魔洞の渦の利用価値は高い。
どことどこをつないでいるのかは、直接確認してみるまでわからないらしいが、興味を抱く者は多いと聞いている。
まだ世界には、発見されていない魔洞の渦が無数に存在すると言われているし、下手な財宝を探すより、よほど一攫千金を狙える獲物だったりするんだ。
瞬間移動魔法を使える魔術師の数は、圧倒的に少ない。
それなりに魔法が得意な吾輩でも、まったくの門外漢だ。
魔洞の渦に、異様なほどの経済的価値があるのは、そういった部分に理由があるのかもしれない。
とはいえ、
「…………」
あまりに露骨なターボフさんの言葉に、吾輩は引いてしまう。
真摯な信仰心は、いったいどこへいってしまったのだろう。
「……何だよワガハイ、その顔は」
顔なしのワガハイでも、さすがに『顔』に出てしまったらしい。
「あのな、冗談だからな、冗談」
ターボフさんが自己弁護。
まぁ、彼の場合は本当に冗談だろうが、もしもクーリアがここにいたら……いや、信じてあげよう、彼女を。
「いよいよなのだな」
そこで、ユッカちゃんが独り言。
自分を鼓舞するみたいに、力強く。
モルコゴさんから説明を受けていたであろう彼女は、魔洞の渦を前にしても冷静だった。
一方、マルチェさんは無言。
ユッカちゃんをながめながら、静かにたたずむだけだ。
「さて」
そう言ったターボフさんは、おもむろに革袋へ手を入れる。
中から取り出したのは、開いただけで魔法効果が発動するアイテム――魔効巻だ。
「これは親父が作ったもの。こんな森の中の魔洞の渦を、部外者が見つけたりはできないだろうが、万が一ということもある。だから、特別なことがない限り、村の聖職者が魔法で封印しているんだ。勝手に使われないようにな」
なるほど、まさに『管理』だ。
「では」
そこでターボフさんは、ユッカちゃんに視線を向けた。
「準備はよろしいですか、巫女?」
「うむ」
躊躇なく答えたユッカちゃん。
本当に彼女は、覚悟を持って今日の日に臨んでいるんだな。
「……離れてな、ワガハイ」
吾輩を遠ざけたターボフさんが、魔効巻を開封。
開かれた巻物は、炎のような魔力に焼かれ、すぐさま消失した。
直後、ただ螺旋を描く『泥』でしかなかった魔洞の渦が、弾けるように発光。
緑色の輝きを帯びながら、その回転を速くした。
「俺が先に行く――向こうで待ってるからな」
吾輩に告げたターボフさんは、革袋を片手に魔洞の渦へ飛び込む。
すると、まるでうねりに溶け込むようにして、彼の巨体は『目』の前から消えた。
「……よし、次はワタシだ」
ターボフさんがいなくなったのに続いて、ユッカちゃんが魔洞の渦へ。
石造りの囲いに手をかけ、ゆっくりと筒状の上部に立った。
途中マルチェさんが、ユッカちゃんを支えようと動き出したが、何を思ったか、彼女を補助することはなかった。
「えいっ」
気合いの声と共に、ユッカちゃんが魔洞の渦に飲まれていく。
小さな体は、一瞬にして消えてしまった。
残されたのは、吾輩とマルチェさん。
「どうしますか?」
「……私が行きます」
どこか重い足取りで、魔洞の渦へ歩いていくマルチェさん。
石造りの囲いを前に、彼女は背中の武器に触れ、そのまま目を閉じた。
信仰する大地の女神に、何か願っているのだろうか?
それとも――。
「……ワガハイさん」
振り返ることなく、マルチェさんが吾輩を呼んだ。
「これから、もしも私が――」
「マルチェさん、大丈夫です。信じましょう、ユッカちゃんを――あなたは、そう決めたはずですよ」
彼女は、何も答えなかった。
ただ、小さくうなずいて――そのまま、魔洞の渦の中へと消えた。
「……さて」
最後は、もちろん吾輩。
誰もいなくなった森の中で、軽くコートを直した吾輩は、ソノーガ山脈にいるであろう三人を追うべく、緑に輝く螺旋へ身を任せた。
そして意識は、一瞬途切れる――。




