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夏乃さんと魑魅魍魎の謎  作者: 巫 夏希
掌編 少年と呼ばれなくなった日
22/23

少年と呼ばれなくなった日


「少年は、正月に実家に帰らないのか?」


 僕は相変わらず整理されきっていない本棚を整理しているところで声を掛けられた。

 その声を掛けた主は、この事務所の主でもある夏乃さん――柊木夏乃だった。


「何故ですか?」

「……いや、少し気になったものだから。私は年末年始も仕事があるものだから帰らないし。そもそもこういう仕事だから鼻つまみ者だしね。でも、少年は違うだろ? 日下家は未だあの土地……朱矢にあるはずだ」

「帰ろうと思えば帰れるんですけれどね」

「やっぱり……朱矢には、帰りたくないか」

「ま。そもそももう本家には誰も住んでいないんですよ。母親がたまに墓参りとか掃除とかする程度で。家は引っ越して、今は市内です。それでも」

「行きたくはない、か」

「流石にそれはどうかと思うので、年明け後に日帰りで帰ろうとは思っているんですけれどね」

「そうか。なら……大晦日は暇か?」


 少し間を空けて、夏乃さんがそんなことを言った。


「え?」

「もし少年がいやじゃないなら、一緒に初詣とでも思ったが。ただし事務所と家は一緒だからここで年越しになるが」

「僕は全然構いませんよ」


 別に夏乃さんとは何度も夜を明かしたことがある。一応言って置くけれど、仕事で。


「そうか。なら、年越しそばとか準備しておかないとな」

「そんなにお金をかけなくて良いですよ? ここの経済事情は僕だって薄々気付いていますし」


 それを聞いて夏乃さんは、ははは、と乾いた笑いを飛ばすだけだった。



 ◇◇◇



 そして。

 十二月三十一日。

 僕は事務所に居た。

 事務所に入ると、いつもは応接用のテーブルがどかんと置かれている場所に炬燵が置かれていた。あと畳が置かれていて普通にそこに座れるようになっている。

 最初、これはどうなっているんだ、なんて思った。仕事納めの一昨日にはこんな風景じゃなかったからだ。ということは二日間で夏乃さんがこんな感じにした――ということか?


「……何をぼうっと突っ立っているんだ、少年?」


 炬燵の中でぬくぬくと温まっている夏乃さんが僕に声をかける。

 それを聞いて僕は我に返り、「いや、別に」とだけ言った。

 テレビは紅白歌合戦を写していた。今年もあと三時間、といったところか。東京は雪が降っていて足下が滑りそうだった。たぶんこのまま降れば正月は足下を滑らせてしまいそうになる人が続出だろう。受験生とか、大変そうだ。

 ともかく、僕は上着を脱いで靴を脱いで、炬燵に入ることにした。炬燵の中は温かかった。炬燵の上には定番、といった感じでみかんが幾つか置かれていた。既に残骸が幾つかあったので夏乃さんが用意しておいたのだろう。そして食べた、といった感じか。


「みかん、いただきますね」

「何だ。よそよそしい。少年は別に許可を貰わなくても良いんだぞ」


 そうですよね、と言ってみかんを一個手に取る。皮をむいて少し筋を取って一口。甘い。やっぱり炬燵でみかんって最高だよな。最初に考えついた人は天才だと思う。いや、かなり適当な考えだけれど。


「飯、未だだろ。年越しそば用意しておいたから。とは言っても簡単なモノだがな」


 夏乃さんはそう言うと炬燵から出て、スリッパを履いてキッチンへと消えていった。

 少しして鍋敷きと一人用の鍋を持ってきた。

 そこに入っていたのは、つゆの海に浮かぶそばだった。


「天ぷらはサクサクが食べたいからな、別々にしておいた。少年もそれで相違ないだろう?」

「ええ」



 ◇◇◇



 年越しそばを食べ終えて、他愛もない話をしていると、カウントダウンが始まった。

 そして。


「あけましておめでとうございます」

「おめでとうございます」


 僕たちは事務所の中で、新年を迎えた。


「……さて、早速初詣に向かうとするか! ここから一番近い神社だと歩いて五分もかからないからな!」


 そう言うと夏乃さんはウキウキとした表情で炬燵から出る。


「えっ?」

「……どうした、少年?」

「いや、もう行くのかな、って……」

「何を言っているんだ。年を明けたら直ぐ初詣。これは柊木家の伝統でな。私もずっと信念においている」


 新年だけに、ですか。とは言わないで置いた。

 だったらそれに従うしかないだろう。僕も炬燵から出るとハンガーに掛けておいた上着を羽織った。



 ◇◇◇



 最寄りの神社で初詣を済ませると、既に初詣を済ませていた夏乃さんは紙コップに入った何かを飲んでいた。


「何ですか、それ」

「甘酒だよ。朱矢の神社でも正月は配布してたろ。これが美味しいんだよ。あ、おばさん、一つください」


 はいよ、とおばさんは事務的な態度で紙コップに甘酒を注いだ。そして僕に手渡してくれる。ありがとうございます、と言って僕は手に取った。

 紙コップを通じてほのかに暖かさが伝わってくる。今日は寒いのでその暖かさがとても嬉しい。

 一口飲む。甘い香りが口の中に広がった。そして身体の中全体が温まっていく。


「どうだ、こういう初詣も悪くないだろ?」

「……ええ。そうですね」


 僕は夏乃さんに答える。


「それじゃ、大人な私はお年玉をあげないとな」

「え、あるんですか? バイト代もまともに出た覚えがないですけれど」

「それは語弊があるぞ。というかバイト代は出しているだろ、きちんと。……とはいえ年の瀬は出費が多くてね。お金以外の簡素な願い事なら一つかなえてやろう。少年は何が良い?」


 簡素な願い事、ねえ。

 何かないかなあ、と思っていたけれど――案外簡単にそれは見つかった。


「それなら、これはどうですか」

「お。もう見つかったか。言ってみろ、少年」


 意を決し、僕は言った。


「僕のことを……名前で呼んで下さい」

「……、」


 それを聞いた夏乃さんは、少しの間黙りこくってしまった。

 夏乃さんは僕と初めて出会ったあの日から――ずっと僕のことを『少年』と呼んでいる。その理由は何故か分からないけれど、そろそろ名前で呼んでくれても良いんじゃないか、って思った。ただそれだけのことだ。僕はもう少年と呼ばれるような年齢でもないわけだし。

 そして、夏乃さんは真意を汲み取ってくれたのか――それは分からないけれど――笑みを浮かべて言った。


「そうだな。じゃあ、そうすることにしようか。少年……いや、洋平。今年も一年よろしく」

「よろしくお願いします。夏乃さん」


 そうして僕たちは互いに一礼を交わす。

 僕は、その日の甘酒の味を、きっと忘れることはないだろう。それは、二人にとって思い出となる味になるのだから。


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