中編
3
新井の話を聞き終えるまで、ゆるふわロールケーキを食べることにしよう。それにしても、今日は客が多い。きっと冠天堂の閉店が決まってから俄かのファンが増えてきたのだろう。『テレビでやっているし、有名だから、どうせ閉店するのなら一度食べてみようか』という考えに違いない。はっきり言ってそんな考え下らない。それは意味がないことだし、そこで継続して行きつけの店にするのであればまだ問題ないとはいえ、一度きりで終わりにするのであれば、猶更来てもらいたくない。ファンが増えるのは大変嬉しいことではあるのだけれどね。最近どうも、そういう連中が表れて困っている。
はてさて。
ゆるふわロールケーキはほんとうに美味しいものだ。生クリームに果実をふんだんに入れていて、それをスポンジケーキで巻き込んでいる。さらに外側も生クリームで凹凸を作っているため、見るだけでも面白い形になっている。
因みに。ゆるふわロールケーキを食べるには、フォークではなくスプーンを使用する。それはスポンジケーキが柔らかく、かつ生クリームを大量に使っているため、スプーンを使用したほうが食べるうえで効率が良いためだ。
食べるだけでフルーティーな香りと、生クリームの滑らかな食感、それにスポンジケーキのふんわりとした食感が広がる。まさに『ゆるくてふわふわ』な気持ちになる。それがゆるふわロールケーキだった。和菓子屋一筋ウン十年とやってきた冠天堂が、初めてリリースした和菓子と洋菓子のコラボレーション。それが、ゆるふわロールケーキだった。
「……あの、話、聞いていますか?」
うん? まさか私がゆるふわロールケーキを食べていて、話を聞いていないなんてそんなことがあるわけないだろう? それにその怪訝そうな表情はなんだ。まったくもって不愉快だ。私がそのようなことをするわけがないだろう。まったく、私が大学を卒業したのはつい数年前ではあるといえ、こんな僅か数年で大学生の常識はここまで地に落ちたのか? ……ということは別にいいか。大学生全体に傷つけるような発言をして、イメージを落とすわけにもいかない。これはきっと、彼があまり気づいていないというだけ。ただそれだけなのだろう。そう受け入れるしかない。私はそう思いながら、ゆっくりと頷いた。
「聞いていないとでも思っているんですか。新井さん。あなたの家には座敷童を祭る和室があって、その和室に行くと、血のように真っ赤な和服を着た女性が居た……と。そういうことでしょう?」
聞いていたんですね、とはっきり口にする新井。別にいいけれど、そういうことは気にしたほうがいいぞ。私は別に気にしない人間だから問題ないがな。
そんな新井の人間性に関することはどうだっていい。問題はその『座敷童』について。赤い和服を着た座敷童……か。まあ、話を聞いていた限りだと、一つしか考えつかないのだが。
「……どうですか。一度、調査をお願いできないでしょうか?」
「調査については問題ないでしょう。……ただ、現在の説明を聞いただけでも、あなたの家に何がいるのかは判明していますが」
「わ、解っているのですか」
コーヒーを啜りながら、ゆっくりと頷く。
「赤い座敷童、という言葉をご存知でしょうか」
私はゆっくりと、その言葉を告げた。
まあ、当然ながらそんな単語は専門知識の持っている人間しか知る由もない。だから、いま目の前にいる新井が首を傾げているのは、はっきり言って『想定の範囲内』だった。
私は話を続ける。
「座敷童というのは、住み着く家に幸福を与えると知られています。それが、普遍的な座敷童のイメージになります。……けれど、座敷童には、人々に不幸を与えるという説話も残されている。それが、赤い座敷童。赤い座敷童は、人々に不幸を与える。そして、その座敷童が家に住み着いているとなると……、その家にも不幸を齎す、ということになるわね」
「……どうすれば、どうすればいいのですか!」
新井は身を乗り出す。
目立つからやめてほしいなあ。そんなことを思いながらゆるふわロールケーキの最後の一口を口に入れる。
名残惜しく思いながらも、気持ちを切り替えて、私は言った。
「はっきり言って、追い出すことは専門外だけれど……、でもやるしかないわね。取り敢えず、今から家に向かうことは出来るかしら?」
その言葉に、新井は大きく頷いた。