異形少女と小説家
ずる…ずる…と何かを引きずる音が廊下に響いて聞こえる。私はその音の主に見つからない様に物陰に隠れて必死に息を殺す。見つかったらどうなってしまうのか想像がつかない。
ただ今は、とにかくあの恐ろしい化け物から逃れたかった。
「どこに、いったんですか?」
廊下に可愛らしい少女の声が響く。声だけならば、おそらく多くの男が惹かれ、群がるであろう類のモノだろう。庇護欲を掻きたてる甘い少女の声色。だが、その声の主はそれに見合わない見た目をしている。
不細工とかそんなレベルではない、端的にいえばただの肉塊だ。
「一緒に居てくれるって、言ったじゃないですか」
悲しげな声で私を探すその化け物。その声に姿を現してしまおうかと思ったが、ポケットミラーで様子を窺い肉塊を見るとそんな気も萎れて失せて行ってしまう。
どうしてこうなったのか、私は順をおってゆっくりと考え返していた。
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しがない物書きの私は何かネタになることはないかと、ぶらぶらと散歩をする事が日課だった。仕事をしているとはいえ、日がな一日家にいると近所で良くない噂を立てられてしまう。男の独り身であればなおの事だ。特に行先は決めず、大体近所の名所や心霊スポットめぐりで一日を終えていた。
私が彼女と関わるきっかけになったのは、怪物が出ると噂の屋敷の前を通ったときに一枚のメモを拾ったことからだった。容姿が醜くて辛い、皆自分を見ると逃げていく、ただ普通に人と話がしたいだけなのに…よくある少女の他愛のない悩み事、そんな内容だった。
どうしてそのメモをポケットに入れてしまったのかは分からない。おそらく、その場にポイ捨てしなおすのも気が引けた程度のことだったんだろう。
メモを拾ったことが珍しく思え、翌日も屋敷へと足を運んでみた。すると、昨日拾った場所に再び同じような内容のメモが落ちていた。そのまた翌日も。楽しい事の一つも書かれていないことを毎日のように書くことができる程悲観しきったその人物に興味を引かれた。その屋敷に向かうのは、そのころから日課になっていた。
ある時、メモが屋敷の窓からひらひらと落とされたのを目撃した。本当に書いている人物がいるのか確かめたかったこともあって、その窓に向けて挨拶を一言だけ書いて紙飛行機を飛ばしてみた。
へたくそな飛行機のせいで対して飛ばず何枚か紙を無駄にしたが、無事一通だけ窓の中へと入っていった。すぐに、メモが窓から落ちてきた。
『あなたは、だれですか?』
そこから、私と屋敷の少女の奇妙な文通が始まった。私は彼女に色々な話を綴って紙飛行機を飛ばし彼女がそれに対しての感想などを返してくれる。紙飛行機でやり取りをする事と、傍に居るけれど顔を見ることも声を交わすこともない以外は、よくある話と何ら変わりなかった。
そのやり取りもほぼ毎日続けて三ヵ月も経てば、紙飛行機のロスは減って随分と軽口を言い合えるくらいにはなっていたと思う。そんなある時、偶然部屋の中から小さな声が聞こえてきた。何を言っていたかは聞き取れなかったが、その声はとても愛らしく、可愛らしい少女のモノだった。
私はその少女の声を聴いて、勝手にその容姿を想像してしまっていた。そして、勝手なことに会ってみたいという気持ちをわずかながら抱いてしまっていたのだ。私だってそれなりの歳の男だ、そういう欲が全くないわけではない。
その日から何通かやり取りをして、つい先日会ってみたいという内容の手紙を彼女へと送った。彼女からの返事は当然渋く、何度も断られた。しかし、どうしても諦められない事とずっとやり取りを続けて来て彼女を支えたいと本心から思っていたので、それを手紙にしたためて何度も頼んだ。
正直、あの時の私は欲に溺れていた愚かな状態だったと言えるだろう。ただ、三ヵ月やり取りして彼女の性格はなんとなくわかっていたし、容姿に苦悩しているのならなにかしてあげたいと思っていた。それは本心だった。
何度目かの頼みに彼女が折れて、屋敷に招かれた。ずっと外から眺めてきた屋敷へと足を踏み入れ、彼女の居た部屋まで行った。そこに待っていたのは、容姿に自信の持てない少女ではなく肉塊のような化け物であった。
私が到着したことに気付いた肉塊が近づいてきたのを見て、言い知れぬ恐怖を感じて慌てて踵を返して駆け出した。想像していた少女像と、実際の彼女はあまりにかけ離れていて頭での理解が追いつかなかった。
そして、今に至る。
今もずるずると音を立ててそれは私を探している。ミラーで位置を確認しつつ、屋敷の入り口まで少しずつ少しずつ歩みを進めていた。見つからない様に、音を立てないよう注意をして、
「……だから、会いたくなかったんです」
あと少しで屋敷の入り口から出られると思ったところで、寂し気な彼女の声が聞こえた。そのつぶやきを聞いて、私は思い出した。私から彼女に会いたいと言っていた事、そして彼女は初めから乗り気ではなかった事。
ああ、何と愚かなことをしたのだろう。欲に駆られて彼女の気持ちをこれっぽっちも考えていなかったのではないか。あそこで蠢いている肉塊は、まぎれもなく私がやり取りをしてきた彼女なのだ。確かに、あの見た目では人が逃げる、話をする事もままならないだろう。彼女は、ただ会話を求めていただけだ。人と同じように話がしたいと最初から書いていたじゃないか。
自らの過ちに気付き、私は逃げることをやめて彼女の前へと姿を現した。悍ましい姿ではあるが、話が通じない化け物ではないと私はようやく考えることができるようになったのだ。
「……もう、逃げないんですか?」
「……逃げ出してすまなかった」
私が姿を現すとその場に立ち止まって、不思議そうに声をかけてきた。追いかけていたのに、姿を現したら不思議そうにするというのもおかしな話だが、彼女は自分の見た目を理解していることもあってか理性的だった。
彼女はその場から動かずに私の様子を窺っている。おそらく、突然逃げるのをやめて私が話をする気になったことに理解が追いついていないのだろう。私が彼女を理解して会話ができると認識できるようになったのに時間がかかったように。
しばらく互いに動かず様子を窺っていたが、彼女がその場にしゃがみ込むようにその体を縮めた。私はそれを見て一歩だけ近づいて同じようにその場に腰を下ろしてみた。もし、彼女が私を取って食うつもりならばそれでもかまわないと覚悟ができたとも言える。
「私は、その……外見はともかくとして、キミを人間だと思っている。けれど、おそらく多くの人はそうは思えないだろう。私も、恥ずかしい話最初にその姿を見た時には恐ろしくて逃げだしてしまった」
「わかって、います。人とは思えない外見の事。けれど、こうして話をしてくれる人がいることが、私はとても嬉しいんです」
彼女は会話以上の事は求めなかった。家族の見当たらないこの屋敷では人のぬくもりを求めたくなるだろうに、最初にしゃがんだところから動かず、私に近づこうとはしなかった。
それから様々な事を話した。見た目こそ恐ろしいものだったが、話をする彼女はどこにでもいるような少女と何ら変わりはない。さすがに日が暮れて暗くなってしまった為、そろそろ家へと戻らないといけない。その場から立ち上がると、服の尻の当たりを叩いて埃を払った。
「日が暮れてしまったから、今日は帰ろうと思う」
「今日は、ですか……?」
彼女は私から出た単語に不思議そうにその体を揺らす。おそらく、首をかしげたのだろうと私は感じられた。彼女の問いかけに頷くと、少しだけ笑ってみせる。
「また後日、話をしましょう」
そう告げて、私は屋敷を後にして自宅へと戻った。
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その後も私は彼女との交流を続け、後に私は彼女からの許可を得て彼女の話を元にして小説としてしたためて世に出した。
呪いで化け物へと変わってしまった少女と、その少女と共に暮らす少年の物語。少女と手紙のやり取りで親しくなった少年が、化け物へと変わってしまった少女と共に屋敷で暮らし、最終的には呪いが解けて二人は結ばれる。そんな、よくある童話のような話だった。
しかし意外なことにその物語が飛ぶように売れ、私は思わぬ財を手にすることになった。人の人生を売り払ってしまった気がして申し訳なさを感じていたが、彼女は本を書いてくれて嬉しいと私に笑ってくれた。
金は彼女のお陰で手に入ったようなものだ。なるべく彼女のために使いたいと思い、彼女の屋敷のある土地一帯を買い取り、少しでも彼女が過ごしやすい環境を整えた。私も彼女の屋敷へと移り住み、余計な人間が来ないようにと気を使った。物語の終わりと違い、彼女の見た目は今も肉塊のまま変わっていない。私は彼女を女性としてみることはできなかったが、大事な友人だと思っている。彼女にそう伝えると、少し嬉しそうに身体を震わせて答えてくれた。
そして、長い事二人で過ごしたが老いから私はベッドから起き上がれない生活が続いた。独り身のまま私は人生に幕を降ろそうとしていた。もっとも、本当に独りだったわけではないから恐怖はなかったが、彼女を置いていくことに不安があった。
やがて私の命が尽きる直前、寄り添ってくれた彼女が肉塊ではなく美しい女性の姿に見えた。きっと、世界という柵から放たれた私は彼女に掛けられた呪いが解けて見えたのだろう。
人間を人間と認めるボーダーとは何なのか。
何気なく疑問に思ったところから書き始めました。
特に主題があるわけではないのですが、読んでいただけたのならば幸いです。