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第3話

 夏は毛狩りの季節だ。事前に羊の尻尾や足元の細かい場所の毛は刈っておいて、首から胴体の毛は一気に刈っていく。ひとりでやるには、結構、大変な作業なのだけれど、今年は違っていた。隣にはドルイ様がいる。


「なるほど、一頭からこんなに羊毛が採れるのだな」


 羊毛を腕で抱えあげて袋に積めていたら、隣にいたドルイ様が感想を述べた。確かにそうだ。これだけのものを身につけていたのだから。


「こんなにも毛に包まれているのだから、暑いでしょうね」


 毛を刈った羊は細身に戻る。まるで、羊ではない別の動物にでもなったみたい。ドルイ様は山になった羊毛と毛の無くなった羊とを興味深そうに見て、「それもそうだな」と同意してくれた。


 今回のドルイ様は、数日の間、村に滞在すると言っていた。どうも、まとまった休みがとれたらしい。そんな貴重な休みを、羊飼いの手伝いに費やすなんてもったいない気がする。


 気持ちを伝えたら、「わたしが羊飼いの仕事に興味があるんだ」と、言ってくれた。ドルイ様は社交辞令も言わないとわかったし、羊が好きなようだし、断る理由もないから、わたしは歓迎した。


 今日の毛刈りを終えて、ドルイ様と家に戻る。夕闇が迫るようなこんな時間に男の人を家に上げたことはない。内心、緊張をしていた。先に家に入ってドルイ様を迎えようとしたけれど、騎士様は足を止めた。


「すまないが、夜更けに女性の家に入るわけにはいかない」


 ああ、やっぱり、礼儀正しい人だ。でも、簡単には引き下がれない。今日こそはドルイ様にちゃんとしたお礼がしたかった。


「夕食をごちそうしたいだけです」


 笑ってはみたものの、やっぱり心のなかでは不安だった。ドルイ様の顔は厳しく強ばっていたし、断られるかもしれない。


「ダメですか?」


 しつこいだろうけれど、もう一度、諦め悪く聞いてみる。


「ダメなわけがない。だが、きみに悪い噂が立つのも困ると思って」


「わたしのため……ですか?」


 ドルイ様は小さくうなずいた。この騎士様は本当に優しい。わたしをいつも気づかってくれる。だから、わたしも喜びの気持ちを笑顔で示した。


「悪い噂なんて気にしません。実はドルイ様と噂になれば好都合というか。ヴァンが亡くなってしまってから、村の人たちが結婚をすすめてくるんです。まだ、結婚はしたくないと言っても聞いてくれないんです。……あ、ドルイ様は迷惑ですよね」


 噂が嘘だとはいえ、ドルイ様とわたしがそういう仲だなんて勘違いされるのも嫌だろう。言ってみてから後悔した。ドルイ様に強引な女だとは思われたくない。今から訂正しようかと口を開いたら、「いや」と先を越された。


「迷惑ではない」


「本当ですか?」


「ああ、きみの役に立つのなら、その噂を利用すればいい。それにそこまで言われてしまえば、断る理由もないだろう。きみの言葉に甘えて、夕食をいただいてもよいか?」


「もちろんです!」


 はしたないとは思ったけれど、飛び上がりたいほど嬉しくて、わたしはドルイ様の手を取った。


 だけど、ドルイ様はひどく驚いたようで目を見開く。わたしの顔と繋がった手とを順に見る。思わず手を取ってしまったけれど、意識を戻したら、ドルイ様の固い手を強く感じた。


 ――ドルイ様相手に、何をやっているんだろう。


 我に返って、慌てた。「ごめんなさい!」とすぐに謝って手を離す。それに対して、「いや、別に」とドルイ様に許してもらったのが、せめてもの救いだった。


 夕食の準備を済ませ、ドルイ様を食卓に招いた。ドルイ様は騎士だ。椅子の背もたれにどっかりと座ることはしない。礼儀も姿勢も正しい。目を見張るばかりだ。シチューもスプーンを軽く浸して、音を立てずに召し上がる。


「食事を見られるのは慣れていない」


「あ、ごめんなさい」


 あまりに綺麗に召し上がるので、眺めているだけでも楽しかったのだ。顔もにやけていたかもしれない。頬を軽く叩くと、ドルイ様の口から息がもれた。


「きみはよく笑う」


「そうですか?」


「ああ」


 笑えるのはわたしの性格が能天気だからかもしれない。あんまり物騒なことを考えないし、ようは単純なのだ。


「ドルイ様といると楽しいからかもしれません」


 話をする人はたくさんいる。でも、こうやって夕食を一緒にしたり、心から笑えることなんてあまりないから、笑えるのはドルイ様のおかげかもしれない。そんな気持ちで伝えたのだけれど、向かいに座ったドルイ様の顔に影が差した。


「ドルイ様? わたし、余計なことでも言いました?」


 ドルイ様は首を横に振る。


「いや、わたしと居て楽しいなどと言われたのははじめてで、どう答えたらいいのかわからなかった。すまない」


「謝る必要なんてないです」


 思わず騎士様を相手に「楽しい」だなんて本音を出してしまって、目を合わせるのが恥ずかしい。ドルイ様と同じようにわたしもうつむく。


「あ、お酒、飲みますか?」


 気まずい雰囲気を変えるように慌てて椅子から立ち上がる。ドルイ様は「いただこう」と話に乗ってくれた。普段はまったく手にしないぶどう酒のビンを傾けて、テーブルの上のグラスに注ぐ。ドルイ様は喉を鳴らしながら、お酒を飲んだ。


「うまい」


「良かったです。お口に合って。やっぱり騎士の方ってお酒を飲むんですか?」


「俺は酒をあまり飲まない」


「そうなのですか?」


「ああ、弱いんだ」


 そう言ったのにドルイ様はお酒を飲み干してしまった。弱いのに大丈夫だろうか。心なしか目元が赤い。「わたし」から「俺」に変わったのも気になる。


「大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫」


 とはいえ、ドルイ様はテーブルの上に頬杖をついて、わたしを真っ直ぐ射ぬいた。柄悪く目が座っているし、たぶん、酔いが全体に回っていると思う。お酒をすすめないほうが良かったかなと後悔する。


「ヴァンはいいやつだった。あいつはみんなから慕われていた」


 ドルイ様は自分のことのように嬉しそうにほほえむ。わたしも、ヴァンの顔や仕草を思い返していた。喧嘩して仲直りしたときのヴァンの笑顔のなかに、わたしへの愛情を感じた。あたたかかった。思わず、ネックレスを手のなかに握りこむと、涙があふれてきた。


「ヴァンはきみの話が好きだった。きみが好きで仕方なかったのだろう」


 ドルイ様は様々なわたしの話を語った。ヴァンを通して見たわたしの姿は、あまりにも美化しすぎていた。けれど、いちいち訂正しなかった。ヴァンの言葉をドルイ様に覚えていてほしかったから。


 その後も、お酒を飲んだドルイ様の口は、少し緩かった。「きみはよくやっている」とか、「きみを見ているとこちらが元気になる」とか。くすぐったくなるくらいの言葉をもらった。だから、お返しだ。


「わたしもドルイ様にお会いするのが楽しみです。いつ来てくださるのか、窓を眺めたりして」


 そうやって心待ちにして、ドルイ様の姿をついに見つけたときは、はやる気持ちを抑えて駆け寄った。まだ3度しか会っていないのに、大げさかもしれない。けれど、心の底から楽しみにしているのだ。素直に気持ちを伝えれば、ドルイ様は歯をのぞかせて笑う。


「そこまで楽しみにしてくれているとはこちらも嬉しい。今度は土産も持ってこよう」


 ドルイ様は次の約束をしてくれる。しかも、羊だけではなく、わたしに会いに来てくださるというのは嬉しかった。


「楽しい夜だった。こんなに楽しい夜は久しぶりだ。ありがとう、ルシーリア殿」


「わたしのほうこそ。ありがとうございます、ドルイ様」


 家の入り口に立って、お別れの言葉を交わす。こうして立ってみると、ドルイ様は見上げるほどに大きかった。日々、騎士として鍛練されているのだろう。


「それでは、失礼する」


「はい」


 たくましい背中が遠ざかって、闇のなかに溶けていく。引き留めたかった。なんてことを考えるのは、身をわきまえられていないからなのか。


 先程までドルイ様が使っていたグラスや椅子を見つけて、なぜか、淋しく感じられた。

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