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第2話

 春は羊飼いにとって、最も大変な時期だ。秋に種づけした母羊たちの出産がひかえていて、毎日、忙しくしている。小屋の外でも内でも羊たちが産気づけば、行かなくてはならない。


 まさか、この大変な時期に、あの社交辞令が社交辞令ではないと気づかされるとは思わなかった。


「久しぶりだな、手伝うことはないか?」


 白騎士団のドルイ様が現れたのは朝のことだった。旅人の装いでの登場だった。


「あの、ドルイ様。お気持ちは嬉しいんですけど」


 相手をしている暇はない。小屋の中で羊が出産中なのだ。わたしは産まれそうな子羊の足を持ち、引っ張りあげる。足が引っかかってしまい、出にくいようなので、こうして助けてあげないといけない。


「産まれそうだな」


「ええ」


 「代わろう」とドルイ様が子羊の足を持ってくる。引っ張りあげるのも結構な重労働だから、助かる。


「それではお願いします」


「ああ」


 そのうちに、わたしは手洗いのための桶を用意したり、子羊の寝床の準備に動き出す。暖かいランプの明かりのなかで、ドルイ様が子羊の前足を持っている。顔を出した子羊は鳴かない。ドルイ様は「鳴かないぞ」と戸惑ったようにわたしと子羊を交互に見た。


「ドルイ様、その子をわたしに」


 子羊の足を持ち上げて、逆さまにする。手荒なように見えるかもしれないけれど、振ってでもして鳴かないと子羊は息が通らなくて死んでしまう。


 振ると、「めえ」と声が聞こえてきた。無事に鳴いたことに安堵する。これで大丈夫。子羊を母親の前に下ろすと、母親は我が子をぺろぺろとなめる。そうすると、膜も綺麗に落ちて、可愛らしい子羊の顔が見えた。


「ドルイ様、ありがとうございます」


 本当に助かった。笑いながら、感謝の気持ちを口にする。


「いや、お産を手伝うとははじめての経験だ。嬉しいものだな」


 ドルイ様は照れ臭そうにわたしから視線を外して、血だらけの手を桶の水に浸した。


 仕事が一段落したところで、家へと招く。またいつ、羊が産気づくかわからない。まあ、その時になれば、相棒のクルーク(犬)が知らせに来てくれるはずだけれど、ドルイ様の相手ができる時間は限られていた。


 家のなかはあまり掃除が行き届いていなくて、恥ずかしい。ここ最近は本当に忙しくて、寝室で寝ないときもあったりする。そういう女の子の事情も察してくれないのだろう。ドルイ様は興味深そうによく見ている。


「さすがに綺麗だな」


「えっ?」


「騎士団の詰め所や宿舎はひどいものだ。女人禁制だからな」


 見たことはないけれど、ドルイ様の忌々しげな言い方から相当ひどいのだろうなと予想した。


 いつも自分が使っている椅子をすすめるのも妙な感じがした。山羊の乳を絞ったものをコップに移して出す。


「ひとりで切り盛りするのは大変だろう」


「ええ、でも、ひとりではないんです。村人たちと協力し合ってやっていますから、大丈夫です」


 そうしなければ、とても羊飼いはやっていけない。ドルイ様は「そうか」と深く相づちを打って、コップに口をつけた。


「あ、そうでした」


 世間話をしている場合ではなかった。ドルイ様はあの布を取りに来たのだ。こんなところに長居させてはいけない。大急ぎで2階の棚にしまいこんでいた布を取りに行って、ドルイ様に渡した。


「ありがとうございました。とても助かりました」


「いや、ああ、そうだ。これを受け取りに来たのだったな」


 まるで今、思い出したかのように、ドルイ様は布を受け取った。そんな不思議な態度に疑問を抱きつつも、わたしは深く追求しなかった。


「そのネックレス、肌身離さず身につけているのか」


 わたしはネックレスに手を伸ばした。ヴァンの気持ちを知ってから身につけなくてはと思った。だから、外すことはなかった。


「ヴァンの気持ちに少しは報いたくて」


 ヴァンと同じ想いを抱くことは一生ないけれど、せめてもの供養にと、ネックレスをつけている。


「そうか」


「ヴァンの両親にも報告はしました」


「確か、ヴァンの両親は……」


「ええ、馬車の事故で」


 不慮の事故だった。大雨の中を駆けた馬車は道を外れて、大木にぶつかったのだという。本当に突然、ヴァンは家族を失った。それからのヴァンをわたしは知らない。


「騎士としてのヴァンはどうでしたか?」


 ドルイ様なら近くで見ていてくれたし、教えてくれるだろうと思った。「そうだな……」ドルイ様はヴァンの話をはじめた。


 ヴァンは体が小さくて、力では他の騎士たちに負けていたらしい。でも、足の早さと弓の正確性に長けていた。確かに村にいた時も、狩りと逃げ足だけは敵うものがいなかった。あの頃からあまり変わっていない。戦場では何度もドルイ様を助けたそうだ。


「あいつはよくきみの話をしていた」


「ろくな話ではないでしょう」


「いや。故郷に婚約者がいると。騎士になって退役した後、きみと農場をやりたいと言っていた」


「わたしと……」


 ヴァンの気持ちを知るたびに、ネックレスが重くなっていくのを感じた。騎士になったヴァンはどんな顔をしていたのだろう。ドルイ様のようになっていた? 何で手紙、書かなかったのだろう。どうして気にとめられなかったのか、後悔ばかりが心を占める。


「またここに来ても良いか?」


「えっ?」


「騎士という職業柄、またいつ来られるかはわからないが、きみの手伝いをしたい」


「わたしの手伝いですか?」


「ああ」


「なぜ?」


「……羊が可愛くてな。癒される。騎士をしていると、ああいう柔らかいものとは無縁だ」


 騎士団の仕事は羊に癒されるくらい辛いものなのかと、同情してしまう。ドルイ様がそう言ってくれるなら甘えてもいいだろうか。


「じゃあ、ぜひ、夏に来てください。羊たちの毛がりがあるので、人手が必要なんです」


「そうか、わかった」


 そう言ったときのドルイ様の表情がわずかだけれどやわらかく見えた。喜んでくれているのかな。だとしたら、すごく嬉しい。胸の辺りがあたたかくなった。

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