子どもの精神は、親によって構築される?
こうして文章を書いているわたしですが、実は日記ですら続いたことがない。
なんでほぼ毎日書いているのか、書けているのかよくわからない。
よっぽど何か溜まっているのか?
本当に、手を出すもの片っ端から続いた試しがない。色んなことに興味はあるから、人一倍何かに手を出すのだ。自分でも呆れる。
でも続かない。物持ちは非常にいいんだけど。これはまた別の話
(笑)
人の精神はどうやって構築されるのか?
なんだか難しいが、子育てしてるとこれまで考えてもみなかったことに多く直面する。自分の親達もそうだったのだろうか?
うちの子は、小さい頃から少し変わっている。まぁ、大した問題ではないと思っているが。
具体的にどこらへんがかというと、
・自分の興味、関心を惹かれることに出合うと、回りや状況が見えなくなって、そちらに突っ走ってしまう。いわゆる集団行動が苦手。
・友達と接する時に、ちょんちょん、の加減ができない。(興奮したままにやってしまう。力入れすぎ、ってやつ?)
・友達への好意と、感情の利用を区別できない。(これ、難しいんだけど、この年ごろ((小学校の低~中学年))だと仲の良い友達以外にも平気でプレゼントを要求したりする。うちの子はこれ、断れない。)
・弟に対して手加減できない。体格にかなりの差があるのに!可愛がらない訳ではない。
まぁ、主にはそんな感じ。こう聞いただけなら、「なんだ、大したことないじゃん。うちだってそのくらいあるし。」
そう思うだろう。でもねぇ、違うんだなぁ、これが。これはしばらく一緒に過ごしてはじめてわたしの言葉の真意が解るのだ。
ここで説明する難しさ、解らないよね~。うちの親だってわたしが病気で二人を預けるまで気付かなかったんだから。言ってみれば、一つ一つの言葉の意味をちょっとずつ超えていかなければいけない、というところかな?意味分からんだろうけど。
娘のことだけじゃ分かりにくいから、比べてみると解るんだけど、そのちょっと手のかかる娘の4学年下に息子がいる。この子は割りと普通に苦労しないで育ててこられた。普通に甘えん坊で、男の子の好きなものに興味を持ち、ちょっと頑固でこだわりが強い。
生意気なところやワガママなところがちょっとした手やき要素かな?でも、ここまでが通常の子育てのお悩み範囲だろう。
ところが、娘のはそこで終わらない。小学校に上がる頃が本当に大変だった。
まず、配られたプリントが把握できないから、ほぼ毎日忘れて帰ってくるわ、時間割は毎週のようになくすわ。
宿題はどこからどうやって読んで、問題を解くのか、名前はどこからどうやってどのくらいの大きさで書くのか、そんなことまで一から教えた。
下校の様子見に学校に寄ると、娘の荷物はそこらじゅうに散乱し、他の子の迷惑になっていた。これじゃあ忘れて当然…。でも、ただ単に片付けが苦手なんじゃなくて、どうも頭の中の整理ができないようだった。つまり、アイテム同士の仲間分けができないのだ。
わたしも片付けは得意な方ではないが、娘が自分で出来るようにすごく考えた。娘の机は放っておくと、必要な物を処分して、どうでもいいようなものばかり集めている。
学校が始まって割りとすぐに担任に呼び出され、支援学級に入るよう勧められた。頭に来たが、無視してそのまま娘をサポートし続けた。だって、何も努力しないで、なんで最初から支援するの?できないって決めつけないで欲しい。今のやり方がちょっとうまくいかなかっただけだ。
でも、その後も問題続出で、わたしのストレスもマックス状態だった。参観日に担任の顔を見るのが嫌で嫌で堪らなかった。
「このやろう!自分では何も努力しないでぶくぶく太りやがって!」(暴言失礼!だけど、この担任、普通の女性の三倍くらいの身体で、本当に動かなかった。新一年生の担任には強烈過ぎるぜ!勘弁!)
まぁ、元担任の悪口はこれくらいにして、それでもなんとか努力の甲斐あって、娘は無事学校生活を送れるようになっていった。
ちょっと他の子とは違うかも知れないけど、できない訳じゃないし、思いやる気持ちを持っていない訳でもないのだ。むしろ、悲しい映画なんか見て、よく泣いてる。わたしの話が理解できると涙を流して反省することもあるのだ。
だから、大丈夫。ちょっと時間がかかるだけだ。
ただ、こんな要因から娘はついこの間までいじめのような状態に陥っていた。転校して、その状況は改善されたが、小学生だったからこの程度ですんだのだろう。
この年ごろの子は、みんなワガママなのだ。相手を思いやることが難しい。うちの子は力こそ強いが、気が弱い。単純に負けたのだ。泣いたほうが負け。そういうこと。
本当は物事は非常にシンプル。強ければ勝つし、弱ければ負ける。ただそれだけのこと。
でも、人間だから、そこに感情だったり、愛情だったり、友情だったり、思惑だったり、様々なものが絡み合ってくる。
だから、もしももっとひどい状況に陥ってしまっていたら、わたしは許せなかっただろう。今現在、新しい友人たちと楽しく過ごす娘に、わたしは心底ほっとしている。
次は下の子の話。この子は表現の方法が面白かったり、好きなものは何度でも繰り返し見たり、期待してみせると一生懸命応えようとしてくれたり。これまた素直でかわいい。
お姉ちゃんに何度やられようが、泣かされようが、それでもお姉ちゃん大好きでくっついていく。この子にとってはたった一人の可愛いお姉ちゃんなのだ。4月生まれで、同級生と比べても色々できるだけに、ちょっと生意気なところはあるが。それは父親譲りだろう(笑)
ところで、子どもに生意気を教えるのって難しくないですか?みんなはどうしています?目上の方への生意気な態度を注意するのも一苦労。だからといって、媚びへつらった子どももどうかと思うし。
親よりも目上の人に対して、思いもよらない上から目線の物言いに、冷や汗出たことないですか?本人に悪気はないから、注意のしょうがない。
自分たち親にももっと敬語とか使わせたほうがいいのか?でも、「お父様、お母様」なんて時代劇みたいなのも今時ないだろう(笑)やってる人、います?
これって礼儀の教育になるんかな?実はそういうのが一番難しいのかもね。まぁ、一応分かりやすく「自分よりも長く生きてる人には…」って説明はしますよ。それでどこまで伝わるか解らないけど…。
でもわたしは…、そういう説明を受けた覚えはないなぁ。けど、礼儀なら習字や、空手、スイミング、ピアノに、華道もやったな。習い事盛り沢山である。親がそこまで考えてさせてくれていたのかはよくわからないが、全て何かしら身になっているようには思う。
わたしが子どもの頃は普通に祖父母から曾祖母、近所のおじさん、おばさんまで挨拶したり、話したり、そんな機会も多かったからなぁ。改めて考えなくても自然と身についていたのかも。親戚の集まりとか家族間にも序列があった気がする。
しかし、あの頃と違うのは、まず近所や祖父母との関わりが少なくなった。親戚の集まりなんかも滅多にないし、あってももっと小規模。習い事1つするにしても一つ一つの月謝が高いことに加え、共働きな上に親のサポートが前より大変なことと、子どもも昔ほど時間に余裕がない。
宿題の量が増え、部活動や、スイミングの後が可哀想なくらい疲れきっていることもたまに…。
これがゆとり教育の結果?
授業量を減らした結果、その穴埋めの為に宿題が増えて先生たちはその準備をする時間が必要になり、子どももそれをこなすのに必死だ。低学年なら親の手助けも不可欠だ。
いいのか悪いのか、わたしには分からんがどっちも大変そうなことに変わりはない。
大きく制度を変えるのは、とても難しいことだ。誰にだって、予期せぬ誤算は生じるものだ。今度また教育制度は見直されるが、今度はどんな結果を生むことやら。かなりの時間を用さなければ結果を知ることもかなわないだろうが。