秤と誓約
門が壊れる音を聞き、屋内にいた人々も表に出てきた。その人々によって形成された人だかりに囲われ、アリーナと、もう1人の女神が対峙する。
「そうかアンジェ、我がタラトステンにようこそ。して、何用だ?
旅人ならば客人だ。ノックの力加減を覚えてからなら歓迎しよう。」
軽口に反して、険しい顔と口調のアリーナ。その場の緊張感も強まる一方だ。
「難しい注文ね。もっと練習が必要だわ。まだ使いこなせていないのよ。」
アンジェと名乗った女が言うと、彼女の両手が一瞬強く光った。その光が消えると、彼女の両腕、肘から下が黄金の手甲で覆われていた。
「神具〝再誕輪廻″と、その力〝始まりの槌″」
開いた両の手のひらを空に向けると黒い球体が1つずつ発生する。球体の中で電気のような炎のようなものが中心から外側に向けて無数に絶え間なく発生し、雷のようにを迸っている。
ゴミでも捨てるかのように真横に無造作に放り投げた。宙に放られた黒球は、投げられた時の力で達せられる最高高度に達すと、風に乗るシャボン玉のようにゆっくりと揺れながら直進する。
その向かう先には、一方に普段門番がつめているのであろう小屋があり、もう一方には先ほど到着した行商人を囲う衛兵達がいた。
衛兵達は迫る黒球のゆったりとした、ある意味のどかとさえ言える動きに呆気にとられつつ、一応警戒し、最も黒球に近い者は槍を持つ右手に力をこめ、左手には丸い小さな鉄製の盾を構え前に突き出す。
その様子を見たアリーナが突然叫ぶ。
「それに触れるな!」
「察しがいいのね、女神様。」
驚いた衛兵がそのままの態勢でアリーナを見る。
その瞬間、黒球が小屋と盾、それぞれに接触する。
≪パァン≫
風船が割れるような軽い破裂音に、鉄が割れ大木が折れる暴力的な鋭い音が混じって聞こえた。
それと同時に破裂、黒球ではない、それが触れた小屋、盾それ自体が粉砕した。
支えの大半が崩壊した小屋はそのまま崩れ去り、盾の破片は持ち主の衛兵に突き刺さる。
鎧により急所に傷はないようだが、衝撃で数メートル吹き飛ばされ槍も手放した。
衛兵は驚きと恐怖の表情を浮かべ尻もちをついたまま震えている。
その一部始終を見ていた群衆は数秒の間、何が起こったかわからずその場に立ち尽くす。
しかしアンジェが次の黒球を両手に浮かべ彼らを見ると、すぐにその行動の意味に気づく。
「「うわああぁああああああああああああ!!!!!!!!!!!」」
各々が大絶叫の悲鳴をあげ、逃げ惑う。
門に近く状況を詳しく把握した者から勢いよく門と逆方向に駆けだし後ろの者を押しのける。
まるっきりパニック状態だ。
アンジェはその様子を見て満足そうな顔をして黒球を消した。
そんな中、アリーナは目の前で起きた破壊の元凶をまっすぐ見据えていた。
「カム=ラナイカンが創りし国と民を壊すのが女神のすることか?」
「そんな古めかしい神に興味はないわ。全てはカム=アギトゥスラのために。」
邪悪な笑みを浮かべるアンジェ。
その表情と言葉にアリーナはさらに警戒と緊張を強める。
「破壊を司る邪神か。厄介な・・。」
「邪神って・・、さっき神様たちと戦争したって言ってた?」
「ああ、神として神託を受けながら悪神を信仰し人に危害を加える者をそう呼ぶのだ。
エミリ、民の避難を頼む。」
アリーナの言葉に黙って頷くと即座に指示をだすエミリ。
「皆様、まずは丘の上の屋敷へ!衛兵は2人直接丘へ、民を誘導。到着し次第、南部地区の住人も丘の上に集めてください!残りは手分けして騒ぎに気付いていない周辺住民に指示を!」
エミリの指示を衛兵たちは瞬時に行動に移す。先ほど負傷した者も別の者に肩を借りその場を離れる。
エミリの言葉と衛兵の先導により住民の混乱もある程度マシになった。
アンジェはそんな群衆の様子を恐怖をそそる微笑を浮かべ眺めていた。
「客人も一緒に逃げろ。出来るだけ遠くまでだ。」
アンジェの方を見たまま、淡々と言う。
「ちょっと待てよ、アリーナはどうする。」
聞いてはみたが答えはわかりきっている。
「奴を止める。」
「なに言ってんだ今の見てたろ!あんなのどうする気だよ。」
あの黒球は触れたものを問答無用に破壊できる代物らしい。
もしもあれが直接人間に命中したら・・・。
「私ならばどうにでもできる。言ったであろう、女神には特別な力がある。さっさと逃げろ。」
考えるだけで恐ろしい。俺だって今すぐアリーナの言う通り逃げ出したい。
だが、
「できない。それは本当の人間の行いじゃない。」
「こだわるのだな。それでいて死ぬわけにはいかないのだろう?傍迷惑な信念だ。」
呆れたように言うアリーナ。
そうだ、死ぬわけにはいかない。夢の中でした約束がある。
それに夢の世界に恥じる行動はできない。
今の状況。どう考えても俺が両方の誓約を守ることは不可能だ。
選ばなければならない。
正しい人間としてあの女神に立ち向かい死ぬか。
臆病者として逃げ出し、本当の人間、いるべき世界を諦めるかだ。
それはどちらも、怖い。
そう、恐ろしい。自分の体がぐちゃぐちゃに破裂するのが。
そして、恐ろしい。目の前の人間を救えず。本当の人間になり損ね、本当の世界から見放されるのが。
そこまで考えて、自分の腐った思考に反吐がでた。
俺は1人で立ち向かうというアリーナのことをこれっぽっちも心配していないのだ。
アリーナの身を案じるようなことを言いながら、アリーナと共にあの女に立ち向かおうとなど思って居ない。
自分自身が逃げ出すために、アリーナにも尻尾を巻いて欲しいと考えている。
全ては俺が無事生き残り、それでいて卑怯者にならないために。
自分への失望が顔に出たのだろうか。
気づけば俺は目を見開き、油汗をかきながら、ひきつった口で、この場にアリーナ1人を残せないと言っていた。
俺の顔を見たアリーナは俺の内面をどこまで見透かしていただろう。
声色を穏やかに変えてこちらをちらりと見て言う。
「わかった、言い方を変えよう。エミリと一緒に民の誘導を。それが終わったら安全な場所からできることをしてくれ。」
「行きますよ、姫様の邪魔になります。」
エミリが強引に俺の手を引く。
「だ、だけど、」
「だ、そうよ。」
俺の内から湧き出る正義を行えという強迫観念、それと本能的恐怖、その葛藤からその場を離れるのを躊躇していると、アンジェが一緒に来た男に声をかけた。
「私は勝利の女神様のお相手をするわ。貴方は逃げていった奴らを追いなさい。
私が女神様を仕留める間に、貴方が何人殺せるか。そういう遊びにしましょう。今決めたわ。」
アンジェは先ほど負傷した衛兵の槍を拾うと男に投げて渡した。
「ひ!」
男は恐怖と狂気により見開かれた目で槍の先端を見つめる、呼吸は荒く、彼の心臓の音がここまで聞こえてきそうな様子だ。そのまま、目だけがぐるりと回りまだその場にいる群衆の方を見る。
脅されているのだろう。自分の生命を脅かされる恐怖と、他人の命を脅かす恐怖。それらを天秤にかけて男の心は揺れていた。
そんな時、両膝を地面に着けたまま動けないでいる行商人と目が合う。
「や、やめろ、兄貴ぃ・・・やめてくれぇ・・・。」
行商は槍を持った男に震えた声で呼びかける。
それを見たアンジェが口を歪める。
「なぁに?知り合い?水臭いじゃない教えなさいよ。」
「一緒に行商をしている、弟だ・・・。なぁ!あいつだけは勘弁してくれ!ここまで案内しただろう!!」
先ほどまでの男の狂気が、そのまま情に変換されたような勢いでアンジェに食ってかかる。
「ああ、そう。大した距離じゃないなんて嘘つかれて、山道を散々歩かされたのはそういう訳。あいつが逃げる時間が欲しかったのね。」
「い、いや!それは・・・!」
しかし、男の勇敢はアンジェの笑み1つですぐにしぼんでしまう。
男の回答は弱々しく裏返っていた。
「そんなに怯えないで。そういう小細工は健気で好きよ。山道で貴方の弟に追いついていたなら、どちらか殺していたのは間違いないし。
いいわ。あの男だけは生かしてあげる。私が満足できるだけ貴方が殺せたらね。」
男は再び槍の先端を見つめる。
再度、秤に置かれたのは、他人の命と身内の命。
相変わらず荒い呼吸が無理やり押さえつけられ、一定の感覚で吐き出される。
天秤の揺れが重さを見極めるにつれ安定していくように、徐々に男の呼吸は整っていく。
「来るぞ。わかったであろう客人。賢明な選択をしなければ、多くの人間が死ぬ。」
破壊の女神と男の、狂気の表情とやりとり。それはアリーナの言葉に俺の強迫観念を納得させるに充分な説得力を与えた。
「わかった。ただ絶対に無事でいてくれ。」
これでアリーナが死んだら、俺は彼女を見殺しにした悪人になってしまう。
そうしたら俺は本当の人間になれなくなる。
そんな心の声が、自分自身の中に響いた。
この非常事態、記憶にある限り初めて誰かの生命の危機に直面し、なんて自分本位な心配の仕方だろうか。
自分で自分の性質に嫌気がさす。
「任せろ。私も任せたからな。大切な民達を。」
そんな俺の内面を知ってた知らずか、心強く答えるアリーナ。
多分アリーナは俺に何かを期待してるわけではないだろう。おそらく、この場を離れる罪悪感を軽くしようとかけてくれた言葉だ。
だが、彼女が民を心配してるのは本当。そうでなくても誰かが危険な目に遭うなら、俺がしなければならないことは1つだ。
「ああ!」
あの女が現れてからの惨めで薄汚い自分の思考を償うためにも、絶対に死なせない。誰一人。
そう決心し、逃げる群衆の最後尾に追いつくため、全速力で駆けだす。
「エミリ。あの男、おそらく天使として破壊の女神と契約させられている。用心しろよ。」
エミリもアリーナに言葉をかけられ後に続く。
小柄な体格と女性ということで見くびっていたが、すぐに真横に並ばれる。
俺よりもかなり運動能力が高そうだ。
「今アリーナが言ってたの、どういうことだ?」
「逃げるにせよ、一筋縄ではいかないということです。」
高速で迫る足音が、言葉より早く俺の脳みそにその意味を理解させた。