姫と丸い空
とりあえず、俺が別の世界から来たことを。
アリーナは「そうか」と特に驚いた様子もなかったが俺の世界、主に学校制度や家電のことだったが、そのことを話すと目を輝かせていた。特に洗濯機の話に興味を示した。
そしてかつて先輩に話した夢の話、俺の生き方の話。
夢の世界があまりに素晴らしくて、この世のものが陳腐で拙いものに見えるってことも。
さっきのイモ皿のことを詫びる上でどうしても話さねばならなかったから。
それにこの姫様兼女神様なら気味悪がらずに聞いてくれると思ったから。
俺が大層な覚悟で話した秘密をアリーナは、
「全く。それならそうと先に言えば済む話であろう。」
やはり、大したことではないと言うのであった。
流石にさっきの一件、心配させたことも含めてちょっとムッとしており、笑い飛ばしてはくれなかったが。
「すいません・・いや、ほんと・・。」
「まぁ気持ちはわからなくもないがな。私も幼い頃父上と他国に訪問したおり、タロス豆の歓待を受けた時には姫としての出自を呪ったものだ。」
「はは、そっか。そういや親父さんって?昨日から1度も見てないけど。」
「亡くなった。母もだ。それこそ私が、苦手な野菜をエミリの皿に移しているような歳の頃にな。」
「悪い。そんな話をさせる気はなかったんだが。」
「よい。しかし覚えておいた方がいい。昔、神々と邪心の戦争があってな。あらゆる国から多くの人間が出兵したのだ。私だけでなく、多くの人が大切な人を失った。エミリもな。」
話題が話題なだけにしんみりとした気まずい空気が流れる。
少し居心地が悪く感じて、別の話のとっかかりを探していると、アリーナも同じだったのか彼女から話を振ってくる。
「普段この場所は乾燥場として使っているのだ。いつもはここに預かった衣類を干す。依頼が終わったら我が城と国中の衣類やカーテン等を洗濯して、やはりここに干す。それが終わる頃にはまた新たな依頼がくる。」
そういえば俺を助けてくれた旗も乾燥場に移すとこって言ってたっけ。ほんとすごいタイミングで落ちてきたんだな俺。
「だからこうして、ここに寝そべるチャンスはそうないのだ。幸運だな客人。」
寝そべる俺の横に座っていたアリーナが上半身を倒す。
鎧を身に着けているとはいえ、俺が借りているものよりかなり高級そうな衣服がべったりと地面に触れるのを見て、エミリのため息の幻聴が聞こえた。
「ここから見上げる空は丸いのだ。山にしきられているからな。我が国に来る者は皆この丸い空を美しいと言う。客人、お前にはどう映る?」
「悪い、空に感動する感覚はわからない。珍しい景色だとは思うけどな。」
素直な感想が俺の口からこぼれる。
「なるほど、そう言っていたな。この空を悪く言ったのはお前が初めてだ。」
「いや、悪くとか、そんなつもりじゃ・・。」
「ははは!いいのだ。イモ皿の時のように気を使われる方が気分が悪い。」
冗談だったらしく楽し気に笑うアリーナ。
だがその笑いが納まると、
「それに私も、この空に関しては同意見だ。」
これまでより、少し小さな声でためらうように言った。
「意外だな。姫様はこの国のものは何でも全部好きなんだと思ってた。」
「嫌いというほど大袈裟な感情でもないのだがな。この空を見ていると、いつもあることが頭をよぎる。」
当然彼女の言葉が続くだろうと思って待っていたのだが、なかなか次の一言が届いてこない。
疑問に思い、見上げる空から隣の彼女に目線を映す。
想像していたよりも近くに顔があったものだから思わずドキリとしてしまったが、彼女の神妙な表情を見て、すぐに違うことに意識が向く。
これは、さっき俺が自分自身のことを話そうとした時にしていた顔だ。
きっと彼女は彼女で、彼女なりに、何か覚悟が必要なことを話そうとしてくれているのだろう。
そう思いアリーナの言葉をゆっくりと待つと、彼女は軽く息を吸い込み話始めた。
「それはこの国の小ささだ。」
話しながら、彼女は丸い空に手をかざす。その円の中心に納まる太陽が、手のひらの形をした影を彼女の顔におとす。
「さっき私に声をかけてきた小太りの男がいただろう。ダンケといって、あれでも大工衆の頭をやっているのだが、水や魔物の被害があるたびに根気よく建物を直してまわっている。それもほとんど金もとらずにだ。
農民達もよくやっている。ちょっとした天災でそれまでの苦労が水の泡なんてこともしょっちゅうだが、それでもめげずに1からの努力ができる。大した奴ら。
他にも国営洗濯屋に仕えるロディ夫妻、いも皿酒場のニータ。挙げればキリがないな。」
掲げた指を折りながら、彼女自慢の国民達の名を挙げる。急にこちらを向きちょっと明るい声で続ける。
「エミリだってそうだぞ。メイドの恰好をしているが代々我が家に仕えてきた政治に秀でた家の子だ。私が幼い頃、代わりに政治を行っていた大臣連中が洗濯収益を横領していたのを暴き、全員まとめて島流しにしてのけた。」
「はぁ、なんつーか、過激だったんすね。その頃から。」
俺の処遇でも案は出たんだろうなぁ。島流し。
「いやぁ、あれは痛快だった。その後、大臣数人分の仕事を1人でまわしている。私の面倒を焼きながらだ。本当に頼りになる。」
アリーナ曰く、メイドの恰好とアリーナの身の回りの世話は本人が勝手にやっているだけで、本来の仕事はアリーナの側近として政治を行うことらしい。そういえば他国への対応とか交易のこととか話してたもんな。
「とにかく、そんな優秀な民の努力でこのタラトステンはもっているのだ。それだけに、たった1つの自然の気まぐれ、たった1つの不幸で彼らの心が挫かれれば、たちまちこの国は立ち行かなくなる。
私の父と母が国を出た時、そして亡くなった時は特に酷かった。
誰もが見かけは気丈に振舞い、いつも通りに暮らそうとしていたが、気持ちの落ち込みが生活や仕事に出始めた。作物は思うようにとれず、洗濯の質も下がった。天災等による家屋の修繕は間に合わず、何より民の活気がなくなった。」
彼女の声に先ほどまでの威勢のよさはなく、ひとつひとつの言葉はかみしめる様にゆっくりと発せられる。
「タラトステンは偉大だが、貧しく、脆い。
果てなく広がる空の、ほんの一雫の下で我々は暮らしている。
その揺らぎ1つに一喜一憂し、翻弄される。
それを思い知らされるから、私はこの空が好きではない。」
指の間から差し込む太陽の光に目を細めつつも、顔はまっすぐに丸い空を向いている。
まるで、落ちてくる空をその眼差しで押し返しているかのように。
「そして思わされるのだ、我が国には必要だと。
自然の驚異など吹き飛ばせるような圧倒的な奇跡が、
何にも負けない完全な希望が、
皆の心を支える絶対的な存在がな。
だから、私が成ろうと決めた。
タラトステンの勝利の女神に。」
そう言い放つ彼女の顔は決意に満ち溢れ、意思の強さを感じさせる一方で、どこか張り詰めすぎた糸のような脆さを感じさせた。
「それで神託ってのをうけたのか?」
「ああいや、神託は神の意思だ。望んでどうこうできるものではない。
当時、先代の勝利の女神が絶賛活躍中でな。英雄と言えば彼女のことだったのだ。
だから、そんな風に成ろうと決めたということだな。
本当に勝利の女神として神託を受けたのはたまたまだ。
もちろん光栄であるし、望みが叶ったともとれるがな。」
そう言った後、彼女は急に何かに気づいたようにこちらを向いた。
「しかしそうか、神託のことも知らぬか。カム=ラナイカンの名すら知らぬと言っていたものな。当然か。」
そういや聞くタイミングがなくて放っておいてしまったが、そもそも何故アリーナが女神と呼ばれているかもよくわかっていなかった。
「ああ、だからアリーナが女神って言われても、その凄さには正直ピンときてない。姫様としての凄さは充分わかったけどな。」
「私としてはそれで充分だ。私自身ひと月前に女神となってから、何か為したわけでもない。さっきも言った通り神託を受けたのは偶然のオマケのようなものだ。
まぁこの世界の常識として知っておくといいだろう。
カム=ラナイカン、この世界を創った偉大な神のことだが、彼は時折ふさわしいと思った人間に特別な力を与える。その力を賜ることを神託と言うのだ。そして能力を得た人間は神と呼ばれる。女は特に女神と呼ばれることが多いな。」
「そのカムなんとかって神様が直接会いにくるのか?」
「まさか。人によって様々だが多くの場合は夢の中で、だな。私もそうだ。光の中で声だけを聞いた。目覚めると神託を受けた証である指輪が左手にはまっていた。それと同時に自分が何を司る神なのか当然のように悟る。」
開いた手をこちらに見せてくれる。彼女の瞳と同じ青い宝石のついた指輪だ。
「なるほど。まだよくわからんけど、そういうもんだってことはわかった。
でも、ラッキーだったんだな。望み通り勝利の女神になるなんて。
女神効果で姫のカリスマ倍率ドン!民も元気で国は安泰。姫様も一安心ってわけだ。」
少しおちゃらけて言ってみると、
「そう・・・、だな。」
何故だかアリーナの歯切れは悪かった。
「なぁ客人よ。私がこの丸い空を好きになれない理由がもう1つある。この空を見るたびやはり思うのだ。」
「なんだ?」
時間の経過により太陽が流れ、その一部を山の頂に隠し始める。丘の影が面積を広げ、周りの景色がほんの少しだけ鮮やかさを失う。
「タラトステンは小さい。そしてこの世界は、果てなく広いと。」
隠れた太陽に背を照らされ、後光を帯びたように神々しく光る山。アリーナの目はその向こう側を見ているようだった。
そんな時、丘の麓からエミリが駆けてきた。
「姫様!行商人が到着しました。」
「おお、無事着いたか。何よりだ。」
「それが、無事とは言い難い状態でして。」
「なに?」
********
2人の後を追いやってきたのは商業区のさらに先、大きな門のある場所だった。
エミリがこの国の唯一の出入り口だと言っていたのはこの門のことだろう。
その門の前で、1人の男が酷く疲弊した様子で座り込んでいた。飾りや模様の少ない白い服の上にマントのようなものを羽織っているが、どちらも泥や、血のような赤黒い染みで汚れている。
その男が乗ってきたであろう馬も無茶をさせられたのか所々に木の枝やらに擦ったような傷があり、今にも倒れこんでしまいそうな程にヨロヨロだ。
その男、行商人だというのに何の荷物も持っていない。馬は荷台も馬車も引いてない。
その周りを門番と警備の兵らしき人間が5人ほどで取り囲んでいる。
体の消耗とは裏腹に精神は興奮状態にあるようで何やら怒鳴り散らす男。
「あの村の奴らはいつも言っていた。あの女は災厄を呼ぶと。
俺だって今までは何を言っているのかと思ったよ!連中のあの娘達への扱いにも同情してた!
でも違った。あいつは災いを呼ぶ、いいやあいつ自身が災いだったんだ!!」
「姫様がいらっしゃいました。落ち着いて事情を話しなさい。」
エミリが呼びかけるが、男の様子は変わらない。
「ああ、ちくしょう!!商売の習慣のせいだ!タラトステンなんかに来ちまった!!
逃げるなら北へ向かうべきだった!奴が来るのがわかってて、なんでわざわざこんな逃げ場のない場所に!
ちくしょうちくしょう!!あいつは時期にここにやってくる!!
あいつは!あいつは、他の女神を探してた・・・!」
パァン
大きな炸裂音と共に門が破裂し吹き飛ばされた。
砂埃が辺りを包み、その向こう2つの人影が浮かぶ。
「初めまして。わたくし破壊の女神として神託を受けました、アンジェ=リラ=レイラと申します。」
優雅に会釈をして不敵に笑う栗色のミドルヘアの女性と、門前の商人と同じ格好をした男が立っていた。