イモと在りし日
タラトステンの商業区はなるほど確かに他の場所と比べれば多くの店が並んでいたが、華やかさとは遠いところにあった。俺のいた世界の感覚で言えば、デパート立ち並ぶ大都会ってよりも地元の商店街って感じだろうか。溢れるような人混みではなく、親しみをもった者同士ののんびりとした賑やかさがあった。
その商業区の一画。小さな酒場に俺は案内された。
外から商人が来るといつもこの店に案内し、食事や酒で歓迎するらしい。
商売しに来てるだけの商人に随分好待遇なんだな。
「洗濯の依頼の仲介や、依頼のあった衣服類の運搬も行商に任せています。そうでなくても物資の不足しがちなタラトステン。彼らの存在は言わば生命線ですから。多少のもてなしは必要経費です。」
「我が国は地理的に孤立しているからな。多少の旨味がないと彼らの足も遠のいてしまう。私もできる限り直接会って関係を深めるようにしている。」
なるほど。この国ならではの処世術ってわけか。
奥の厨房では数人が忙しなく働いている。まだ恐らく昼過ぎくらい。この手の酒場が賑わうのは夕方以降だろうにと不思議に思っていたが、行商をもてなす準備のためだったわけだ。
で、だが、肝心の行商人はまだ来ていないとのことだった。
「いつもならとっくに着いてる頃だけどねぇ、この前の雨の影響かね。ただでさえ険しい道だもの。」
店員のおばちゃんが言う。時間まで細かく取り決めをしているわけではないようだ。
おあばちゃんもアリーナもエミリも、特に気にした様子はない。おそらく多少の時間のズレなど日常茶飯事なのだろう。
「そうか。それなら昼食でもとりながら待つとしようか。忙しいところすまない、イモ皿を3枚もらえるか?」
「はいよ、姫様のためならお安い御用さ。」
小さいな国とはいえ、未成年(多分)の姫様が庶民の酒場で昼飯とはすごい光景だな。エミリが色々と口うるさく言うのも何となくわかる気がした。
とと、そうじゃなくて、もっと重要なことがあった。今、3枚って言ったか??
「あいや、俺はさっき飯もらったし、まだ腹一杯だからさ・・。」
ただでさえ朝食の時に不審がられているし、こんな人の好さそうなおばちゃんの料理を苦悶の表情で食べるのは気が引ける。なんとかこの機会を避けようとしてみるが・・。
「遠慮するな。エミリから聞いたぞ。その細身で随分豪快な食べっぷりだったそうではないか。」
「え、いやあれは・・。」
なにか良からぬ誤解が生まれすくすくと育ってしまっているらしい。
「ちょうど、商人さんのためのイモ皿が焼きあがったとこだったよ。この様子じゃいつ来るかわからないし、商人方の分はまた焼きなおすから、こいつを食べちゃっておくれ。」
運ばれてきたのはイモで作られた薄い生地に他の野菜と少量の肉を乗せて焼いたような料理だった。
小さいピザ、もしくは巻かないタコスといった見ためだろうか。
「少々大きいが、イモでできた皿ごとかぶりつく。こうやってな。イモを食らわば皿までだ!」
ハンバーガーでも食べるように大口を開けてイモ皿にかぶりつくアリーナ。その隣でエミリが非常に何か言いたげな顔をしていたが、アリーナの様子を満足げな笑顔で見つめるおばちゃんの手前、何も言えずにいるようだ。
「はひをしていふ2人ほほ。はめてしまうほ。」
「そうですね。いただきます。」
口に物を含んだまま言うアリーナに、はぁと小さなため息をついてエミリがイモ皿に手をつける。
彼女はナイフとフォークを使って無理なく一口ずつ食べ始める。
さて、俺はどうするか。イモは苦手とでも言ってみるか?いやしかし朝食もイモだったし。肉や他の野菜で同じことを言っても取り除くとか、他の料理をと言われればそれまでだし。
いや待てよ。逆に考えればこの料理は都合がいいんじゃないか?偶然にもその食べ方は、一気に口に含んで咀嚼する俺の無理やりな食事方法に似ている。
この料理なら朝のように気味悪がられることなく普段通りの食べ方ができるし、多少苦し気な表情をしてもノドに詰まらせたとかいくらでも言い訳がきく。今日の昼飯はここで済ませるのがベストか。
「よし、いただきます。」
イモ皿を手につかみ一気に口にかぶりつく。おばちゃんとアリーナの笑顔と軽蔑するようなエミリの視線。おばちゃんすまん口に広がる不快感。
いやしかし、これは・・見た目以上にボリューミー。
イモの生地は何枚か重ねられていてその間にもギッシリと具が敷かれている。
覚悟を超えた異物の侵入に思わず込みあがる吐瀉感。しかしそれは最悪。絶対に避けなければならない結末だ。湧き上がるものを必死にこらえ、押し戻そうとするとまだ噛み砕けていないものがゴロゴロと喉奥に侵入してくる。
反射的に咳き込みそうになるが今咳き込めば口の中のものを全てアリーナとエミリの顔にぶちまけることになる。それもやばい。それこそエミリに斬首されかねない。根性で咳も抑え込む・・・が、
結果、イモ、気管に居座る・・・。
鎮座・・・動かざることイモの如し・・・。
そして決して通さない、ただ一息の息吹さえ・・・。
まさに番人。気管に立ちはだかる、イモの番人・・・!
なんてしょうもないことを考えながら、あーこれはやばいな~。と思った時には手遅れで、俺の意識は遠のき、そのまま椅子から転げ落ちた。体は気管のイモと同じように俺の体もピクリとも動かなくなっていた。いや笑えないなこれ。
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昔から頻繫にみる夢。
その夢に出てくるものは全てが現実を凌駕している。
ろうそくの炎の鮮烈な赤。
窓から見える空と海は、蒼でも藍でもない、もっと純粋な青色をしていた。
目の前には女性が立っている。純白の服。光輝く剣。そして黄金の髪。顔ははっきりと思い出せない。
その女性が俺を抱きしめた。
彼女の所作、体の温もり、口調。その全てが慈愛に満ちている。彼女の愛情の全てが伝わってくる。
その愛に包まれながら、現実の俺は思う。
この世界こそ、俺が生まれた場所なのだ。俺がいるべき場所なのだと。
この世界にあるものは全て本物で本当だ。不出来な紛い物だらけの今の世界とは違う。
空は綺麗で飯は美味い。呼吸をすれば鼻を抜ける爽やかな空気が俺の中の淀みを全てさらってくれる。
夢の中で彼女の以外の人間を見たことはないが、この世界にあるのは全てが本物で本当。
ならば住んでいるのも彼女のように穏やかな愛を持った本当の人間だけなのだろう。
ああ、だからか。だから俺はそこから追い出されたんだ。
彼女のようでなければあそこにはいられないのだ。
そして彼女が言う。俺にとって呪いの言葉。
「―――生きて。」
なんて、なんて残酷なことを言うのだろう。こんな理想の世界を見せつけておいて、こんな不完全な世界に追い出しておいて、それでも生きろとは。
しかしいくら理不尽でも、本当の人間である彼女からのたった1つの言いつけだ。守らなければならない。彼女の言いつけを守り、本当の人間として振る舞い、待とう。いつかこの世界に帰れる日を。
「あっははははは!!」
放課後の教室。橙色の光が差し込む教室で、1つの机を挟んで向かいに座る先輩、小林 優紀の笑い声が響く。
「なにもそんなに笑うこたぁないでしょう。先輩が聞いたんじゃないすか『君はー、何事にも熱心に励むがー、その結果に興味がない~。一体何が君を動かすのかー。』って。」
先輩の独特な口調を大袈裟に真似て仕返しと文句を言う。
まぁ先輩の疑問もわかる。実際今も自主的な居残り勉強をしていたところだった。かと言って成績を上げたいわけでもなければ、行きたい大学があるわけでもない。その分野に興味があったりもしない。
何のためにと思うのももっともだ。
そう聞かれて先輩ならばと正直なところを話したらこれだもんな。いや正常な反応だと思うけどさ。
「いや、はは、ごめん。別に馬鹿にしているわけじゃないんだ。あと私はそんな喋り方してない。」
なんとなくやった仕返しが割と効いていることに内心ガッツポーズ決めつつも、不満顔を崩さずにいると弁明なのか感想なのか先輩が言葉を重ねる。
「ただ意外とロマンチストなんだと思ってね。夢の中での約束なんて素敵じゃないか。」
「もう忘れてください。そんな風に思ってたのは本当にちっさいガキの頃ですよ。
その時の習慣が体に残ってるだけで。」
改めて要約されると余計に小恥ずかしい。やっぱり言うんじゃなかった。
「へぇ。じゃあ、もう望んでないのかい?別の世界。」
「ええ、そうですよ。」
これはほとんど嘘だ。俺はこの世界に興味がない。この世界の全てに失望している。
どこかに俺の望む世界があると信じなければ、夢の中の彼女の言いつけを守ることはできていなかったろう。
「だからガキの頃からの習慣と考え方だけ今も持ってるというか・・そんな感じです。悪くない考え方だと思うんですよ。いい人間になったらいい世界にたどり着けるって。」
これからも俺は違う世界を夢見て生きる。誰を救いたいわけでも、何を手にしたいわけでもない、しかしながら慈しみと正義に溢れた真っ当な人間として。
「どうかな。他の人が言っていたなら納得したかもしれないけどね。」
そんな俺の内心を見抜いてるかのように不満げな表情の先輩。
「君の場合、真っ黒な世界で自分の体にだけ白いペンキを塗っているようなものだもの。
そんなことをしても、自分の異質さが際立つだけ。
この世界は真っ黒じゃなくて真っ暗なのさ。そこで振りかざすべきは白じゃない。光だよ。」
「なんの話かわかんないすよ。」
俺の歪さを指摘する先輩にごまかし笑いを返す。
それに応えるように彼女もふっと息を吹きだして笑う。
「私もさ。こんな時間まで残っていたらお腹が空いてしまったよ。」
足元に置いているカバンからお菓子袋を取り出すとそこからチョコレートを2つ出し、その1つを俺に差し出す。
「どうも。」
どうせ食べられやしないのだが、何故か断りたくなくて受け取ってしまう。そのまま流れるような手つきでカバンの中へ。帰ったら施設の小さい子にでもあげよう。
「風が出てきたね。でも暖かい風だ。もうすぐ春がくるみたい。」
教室に吹き込む風がカーテンを揺らす。差し込む夕日が教室を橙に染める。
その橙の中で、髪をなびかせ先輩が微笑む。
「先輩も、もうすぐ3年ってわけっすね。受験でしょ、人の勉強にちゃちゃいれてる場合っすか~?」
「うん、まだ肌寒いね。春はまだ遠いみたいだ。」
「ちょ、先輩!なにコート着てんすか、学年は気温じゃなくて暦と成績で上がるんすよ!汗かいてんじゃないすか、ちょっと、先輩ってば!」
足早に去っていく先輩の背中を追いかける。
もう別の世界を望んでいない?
ええ、そうですよ。
ほんの少し本当だ。彼女が照らしてくれる場所は案外悪くないかもしれない。
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目覚めると俺は草原に横になっていた。いつもと変わらない。でもなんとなく見たことのある空だ。
「お、気づいたか?驚いたぞ、急に倒れるものだから。」
黄金の髪の少女が青い瞳で俺の顔を覗き込む。
ああ、そうか。ここは昨日俺が落ちた場所、もとい、死にかけた場所か。
昨日今日タラトステンを歩いて得た微かな土地勘から、ここがアリーナの館の建つ丘の中腹辺りであることもわかった。いまの地点からまっすぐ丘を降りれば先ほどの酒場にたどり着けそうだということも。
あそこから俺を担いでこの丘を登ってきてくれたのだろうか。
「昨日のことを思い出すか?だが、ここはタラトステンで1番暖かな日が当たり、最も爽やかな風が吹く場所だ。原因がわからぬ以上、気持ちと体を休めるならここが良いと思ってな。」
何やってんだろうな俺は。この世界に来て、この場所に落ちてから、この姫様の世話になりっぱなしだ。しかも今度はとてつもなくしょうもない理由でだ。
夢の言いつけさえ無ければ、自分からエミリとなんとかって大国に首を差し出したい気分だ。
「気分が優れないなら無理に起き上がることはない。もう少しここでゆっくりとしているがいい。」
なにか、彼女への恩を返すことはできないだろうか。そう思った時、朝食の際のエミリの言葉に思い当る。
突拍子もない話になるし、俺自身のことは先輩以外に話すのは初めてだ。
それだけに一瞬躊躇するも、優し気なアリーナの声色に夢の中の女性を、暖かな太陽と風に、先輩と話した教室を重ねる。
まぁ、悪いようにはならないだろう。旅の恥はかき捨て。異世界への旅でもそれは同じだろうしな。
「なぁ、俺がいた世界と俺のことを、少し聞いてくれるか?」