姫と民
食後一息ついて、先程エミリが持ってきてくれた新しい服に袖を通す。今度のは比較的厚手で上下に分かれている。さらに上からポンチョのようなものを羽織るようだ。ポンチョの左胸の辺りには小さな刺繍がされている。
刺繍の中心は剣。そしてその周りに細かく飾りが縫われている。やはり旗などに使われるシンボルのように見える。察するにこの国の国旗だろうか。
着替え終えたときコンコンとドアが叩かれた。
ちょうど2人の準備も終わったらしい。
「おーい、入るぞ。」
そう言ってドアを開けたアリーナは金属製の防具を身に着け、腰には剣を携えていた。
「少々仰々しいかもしれんが許せよ客人。勇ましい姿の方が民の評判がよくてな。」
仰々しいと言っても、金属製なのは肩や胸・腹、腕や、すね等、最低限の部位のみで、それ以外は先程まで着ていた服と変わらない。鎧というにはかなりの軽装に思えた。
「いいや、別に気にならないよ。強そうでかっこいいと思う。」
ただその数少ない金属部は光沢のある緑や青で塗装されており、何やら文様のようなものも描かれているから、身分が高い人間が身に着けるために作られたのだということが分かる。
腰に提げた剣の鞘には黄金の線によって鎧と同じ文様が描かれており、これもまた由緒あるものなのだろうと思う。
「そうか。私自身、華美なドレスより性に合っていると思うのだ。何より動きやすいしな。」
「不法入国者が姫様の装いを評価するなど、不敬ここに極まれりですね。」
アリーナの後ろに控えるエミリはさらに軽装。皮の防具をやはり急所だけを守るように装着し、驚くことにその下はメイドの服のままだ。腰には何の飾りもない鉄の見た目そのままの剣を携えていた。
「さて、まずは商店のある区域に行くとしよう。行商人が来ると、いつもその辺りに案内して待たせるよう言ってある。今から向かえばちょうど彼らが着く頃だろう。」
意気揚々と洗濯小屋を出るアリーナ。送れぬように後を追うと、小屋の目の前の道を多くの人々が行き来している。
「アリーナ様!」「おお、アリーナ様だ!」「ありがたや・・。」「アリーナ様ー!」
アリーナに気づいた人々は口々に彼女の名を呼び拝んだり手を振ったり。アリーナも軽く手を挙げてにこやかに答える。中には彼女に近づき話しかける者もいたが邪険にせず、歩みを進めながら、時に立ち止まり住民の話に耳を傾ける。
「アリーナ様!今日もお変わりなく!」
そう話しかけて来たのは恰幅のいい中年の男。隣には正反対に細身の女性が寄り添っている。
「うむ。ダンケはまた少し肥えたな。リューミ、あまり旦那に餌を与えるなと言っただろう。」
「仕方ないんですよ姫様、この人が毎晩子犬のような目で夜食をねだるから。」
「ははは!よせよせ。お前たち夫婦の惚気は聞き飽きた。これからも円満にな。」
アリーナの言葉に周りで聞いていた人々も「全くだ。」と笑う。当の二人は互いの顔をちらりと見ながら照れ笑いを浮かべている。
「アリーナ様!!!申し訳ありません!!この前の大雨の影響で次回の収穫は半減する見込みです、このレクタ、どう責任をとっったらいいものか!!」
次に来たのは痩せた男だ。なんだか辛気臭い上にとても恐縮している。
「充分だ。深刻に考えすぎるのは悪い癖だぞ。お前だから最悪を免れたのだ、礼を言おう。来年もよろしく頼む。」
「はいぃ!!ら、来年こそは必ずや!大量の麦とダバイモをご覧にいいいれままま。」
「うむ、期待している。・・・ただし、タロス豆の栽培は控えめにしてくれてもよいぞ。」
悪戯っぽい笑みで言うアリーナ。たった1日の付き合いだけでなんとなくわかってきたが、彼女がこの顔をする時は冗談めいたことを言う時だ。
「は?あ!あっはは。なるほど承知しました。このレクタ、必ずや姫様のお口に合うタロス豆を山ほど育てて見せましょう。」
先程までとは打って変わって、男はにこやかに言った。
「アリーナ様!どうかこの子に祝福を。」
「おお、無事産んだかカルメル!でかしたぞ。名はなんと?」
「恐れながら、アリーナ様にあやかりアリーザと・・。」
「良い名だ。アリーザに女神の祝福を。私もアリーザに恥じぬアリーナで在り続けると誓おう。」
「ありーなさまー、またこのまえのキレイなおかしたべたーい。」
「私もだ!エミリにねだっておこう。」
「はぁ、あれは贅沢品だと何度も・・・考えておきます。」
「アリーナ様!また夜中に山から魔物の唸り声が!」
「アリーナ様!近頃両親の具合が優れないのです。」
「アリーナ様!最近商売の先行きが不安で夜寝付けねぇんでさぁ。」
「アリーナ様!」「アリーナ様!」「アリーナ様!」
彼女を呼ぶ声がさらに殺到。
いよいよ収拾がつかなくなるかというところでアリーナは、鎧を身に着けているとは思えない軽い身のこなしでひょいひょいと手近な家の屋根に上り、集まってきた群衆を堂々と見下ろす。
それだけで小さな歓声が上がる
「皆、知ってのとおり私、アリーナ=ファン=シャンテは勝利の女神として神託を受けた。」
彼女が話し始めると、途端に歓声が止み、皆真剣にその言葉に耳を傾け始める。
「先代の勝利の女神はあらゆる戦で無敗。かの魔封戦争における神々の勝利も彼女の活躍によるものだったと言われている。
その加護をもってすれば千の戦に臨み、万の栄光を手にすることも可能だろう。」
「「おおおおおおお!!」」
「だが、タラトステンに戦はない。敵対する者も、雌雄を決するべき相手もいない。
では我々にとっての勝利とはなんだ?」
アリーナの問いかけに誰も答えぬまま数秒、しんとした静寂が訪れる。
そんな中、群衆の一人が手を上げ遠慮がちに言う。
さっきアリーナと話していた農家の男だ
「・・・豊作?」
「そうだ。」
厳かな口調で静かに、しかし確かに肯定するアリーナ。
「健康!」
「そうだ!」
「あまいおかしー。」
「そうだ!!」
「長寿!」「誕生!」「酒!」
「そうだ!そうだ!そうだ!」
口々に自らの思う勝利を宣言する群衆
それにアリーナがさらに言葉を被せる。
「健やかな営みと、ささやかな繁栄こそ我らが勝利!」
握りしめた右手を堂々天に突き上げる。
「勝利は私が呼んでくる!!
故に案ずることは何もない。自らの役割に励み、日々を謳歌するがよい!
タラトステンの!私の民よ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」
「「「ファン=シャンテ!!!!!」」」「「「ファン=シャンテ!!!!!」」」
「「「ファン=シャンテ!!!!!」」」「「「ファン=シャンテ!!!!!」」」
「「「ファン=シャンテ!!!!!」」」「「「ファン=シャンテ!!!!!」」」
山の向こうにまで聞こえそうな声で彼女の名を叫ぶ人々。先ほどまでアリーナに不安事の相談をしていた彼らの顔は希望に満ち溢れ活き活きとしていた。
「アリーナってもしかして凄い人?」
「当然です。美貌、人徳、ヤッカルマン随一と言われる剣の腕。元々辺境の姫としては規格外の名声を博していましたが、神託を受けたことで、その人望や栄誉、影響力は絶対的なものになりました。」
正直に申し上げれば今回の旗の件も、姫様がハメルシュタイン王と直接お話になれば円満に解決するでしょう。」
そこまで言って少し黙ってから、ポツリとつぶやく。
「でも、それではだめなのです。」
きっと俺には聞かせるつもりのない言葉だったろうが、聞こえた以上は気になってしまう。が、
「それってどういう――」
「エミリちゃん、最近アリーナ様の様子はどう?」
俺の疑問は住民のおばちゃんに追い抜かされていた。
気づけば先ほどアリーナを称えていた群衆の一部が俺たちをぐるりと取り囲んでいる。
しかも何故かちょっとコソコソしてる。
「巡礼にはいつ?」
「なにか俺たちにできることはないか?なんでもする!」
「ま、まだなにも決まっていません。時が来れば姫様から直接お話があるでしょう。」
初めて見るエミリの焦った様子。まあびみょーに無表情が崩れてるくらいでそこまで大きな変化はないんだが、このメイドが動揺するということは余程大きな問題なのだろう。
でもやっぱりあの姫様は大したことではないと笑いとばすんだろうな。
最初に勝利の女神だと言われた時には何を言っているのかと思ったが、大歓声を受けるこの光景、住民とのやり取り、何より短い間だが直接言葉を交わして、彼女が特別な魅力をもっているのだということはよくわかった。
色々困難があるようなこと言ってたけど、多分この先も、あの姫様が大丈夫だって笑いながらこの国を切り盛りしていくのだろう。小柄なメイドに小言を言われながら。
まあ国の未来なんて身元不明不審者の俺が考えることじゃないんだけどさ。
そんなことを考えていると俺の足元に小さな女の子が立っていた。俺たちを取り囲んだ誰かの子供だろうか。
その子は俺の服をつまむように掴んで言った。
「ねーねー、おにぃちゃーん。ありーなさま、いなくなっちゃうのー?」
「はぁ?」
「すまない、待たせたな。」
民衆を割ってアリーナが来ると、俺たちを取り囲んでいた人々はそそくさと去っていった。
女の子も母親らしき女性に手を引かれて行ってしまう。
「なぁ、今の子が言ってたのは」
「では、商業区に参りましょう。行商に探し人のことを聞くのが貴方の目的でしょう。」
こちらの言葉など聞こえていなかったかのように淡々と言うエミリ。
遠回しな、しかしてハッキリとした拒絶の意思をその言葉に感じ、それ以上追及できない。
俺達の間に一瞬流れた不穏な空気にアリーナは不思議そうに首をかしげていた。
********
その小さな国を囲う山の外。
申し訳程度に舗装された険しい道を一台の馬車が走る。
「今の歓声は?」
馬車の中から女性が御者に尋ねた。
「あ、ああ。多分姫様がなにか演説でもしたんだろう。た、たまにあるんだ。」
「ふぅん、いい国ね。活気があって。」
ゆっくりと馬車旅を楽しんでいる様子の女性とは正反対に御者は酷く消耗した声で女性に言う。
「な、なあ、ここまでくればもういいだろう。あとは、この道をまっすぐ進むだけだ。歩きでも大した距離じゃない。もう案内なんか――。」
〈〈パァン〉〉
男の言葉は大きな破裂音でかき消される。
驚きから思わず目を瞑った男が恐る恐る瞼を開けると自分が乗っている馬の首がなくなっていた。
「うわああああああああああああああ!!ああ、ああああああああああああ!!!」
馬から転げ落ちた男は身の危険を感じたが足を強く打ちその場から動くことができない。
馬車から降りた女性が男に近づいてくる。
「確かにもう、馬は要らなそう。案内はどうかしら?」
「ああ、あああああああ。」
足の痛みに加えて、恐怖で体が動かない。
それでも男はへたり込みながらも左手を彼女の目的地へと伸ばし指差す。
「ああ!ああああああ!」
まともに話すこともできない。情けないうめき声をあげながら、女座りのような体制で健気に自らの利用価値を示そうとする男。その涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔は相手の女性の嗜虐心を満足させた。
「あはははははははっははははははははっ!わかった、わかったわ。あははははははっ!じゃあ最後まで案内して頂戴。」
「はいぃ、ひぃいぃぃ。ぐ、ぐうぅ・・。」
一時的な猶予を得た命を守るため必死で先導しようとする男だったが、落馬した時に足が折れたのかもしれない、その場から立ち上がることができない。
「その様子じゃあ歩くのは無理ね。」
一瞬前まで大笑いしていた女の表情が、冷酷な無表情へと変わる。
「いや、ち、違う!今立つ!立ちますからあぁ!!」
男の狼狽を見て何を思ったか唇の端を吊り上げ笑う女。
男はその表情に先ほど以上の不吉を感じた。
「女神アンジェ=リラ=レイラが命じる。これより汝の命は我等の望みのために。汝の身で我が身を導き、汝の手でもって我が手に救いを届けよ。汝の耳で我が耳が聞くを聞き、汝の目により我が目の願いを映せ――」
彼女が脈絡なくつぶやきだしたのはまるで呪文。その言葉を紡ぎだすと、彼女の周囲の空間が淡く輝きだす。その光は彼女が次の一節を口にするたびに強くなっていく。
「全ては我らがくそったれな父、カム=ラナイカンの御心のままに。」
彼女が呪文を締めくくる頃には、周囲の光は眩しい程に輝いていた。
その輝きがゆっくりと移動し、男の頭の上で輪の形を作ると消えた。
「喜びなさい、女神からの施しよ。」
満足げな女が邪悪な笑みを浮かべて言った。
男はさっきまでの醜態が嘘だったかのようにスックと立ち上がる。負傷した足も全く元通り、むしろ今まで感じたことのない力がみなぎってくるのを感じた。
「あんた、!俺の体に一体何をしやがった!!まさか、ああ、なんてことだ・・。」
「ふっふふ、元気が出たみたいね。じゃあ行きましょうか。勝利の女神が住まう国、タラトステンへ。」