食事とメイド
明けて朝、俺は再び洗濯小屋でアリーナと状況を整理していた。
「つまり、俺を助けるためにクッションにしてくれた旗は、でかくて強い国の大事な旗で、」
「うむ。ちょうど洗濯が終わり、丘の乾燥場に移すところだった。」
「その旗はクッションとしては不十分で、結局俺は死にかけて血をまき散らかして、」
「うむ。たまたま治術を使えるものが近くにいて良かった。」
「大事な旗を盛大に汚しちまったと。」
「私が指示したことだ。客人が責任を負う必要はない。」
「で、その大国からの信用を失えば、他の国からの依頼も激減。この国の主産業は崩壊。おまけに制裁として大国から攻撃されたり嫌がらせを受ける可能性もあると。それによる食糧・資源不足により死者続出。」
「エミリはそう言ったがな。ハメルシュタイン王はそれほど器の小さい男ではない。彼が同じ状況にあったなら同じことをしただろう。」
一言毎に大したことではないとフォローを入れてくれるアリーナ。
彼女の言葉は有難かったが、状況を聞く限り彼女の慰めを真に受けて安心することはできなかった。
「朝食です。身元不明不審者でありながら口惜しいことにお客様な扱いを受けているお客様。」
エミリと呼ばれるメイドが持ってきた盆の上には小さなパンと、豆とイモのようなものが入った皿が載っていた。
ここに飯が運ばれてくるのは、この洗濯小屋の一室が俺の仮の収容場所に決まったからだ。
屋敷に部屋を用意するというアリーナと、牢獄にぶち込むべきというエミリの主張の間をとる形になった。
「言葉は正しく美しくじゃなかったのかよ。」
やたら冗長な呼ばれ方をしたもので、昨日の彼女の言葉を思い出しつい口に出してしまう。
「失礼しました。朝の餌よ、豚。」
「よっしゃあ俺が悪かった。人間扱いしてくれ。」
「そう邪険にするなエミリ。少し話した程度だが、そう悪い奴ではなさそうだ。正式に客として――」
「姫様が何と言おうと処遇が決まるまでは、しばらくの間は身柄を拘束させていただきます。」
「しばらくってのはどれくらいだ?俺のせいで面倒なことになってるのはよくわかった。言われた通りの償いはするつもりだ。」
助けてもらった恩というか、それで迷惑をかけた分はきちんと何か返してから出発するつもりではあるが、先輩が危ない目にあってるかもしれないわけで。自分勝手と思いつつも焦りから急かすような言葉が漏れる。
「今出ている案の中では、旗を汚した賊として貴方の首を献上するというのが最有力です。それで良ければ今すぐにでも決定しますが。」
「いやじっくり議論してくれ。命の尊さとか、その辺りについて特に。」
「ふうむ。すまないがもう少しゆっくりしていってくれ、客人。お詫びと言ってはなんだが私が直々にタラトステンを案内しよう。今日の昼過ぎには行商人が到着する予定であるし、その者に聞けば探し人のこともなにかわかるかもしれん。」
「本当か!?それはとても助かる。」
「いけません姫様!この者の素性は全くわかっておりません。まだまだ取り調べをしなければ!」
「では私が直々に取り調べを行おう、この国の法の最高責任者として。食事を与えたり国のことについて説明をしたりして、一見この者をもてなしているように見えるかもしれないが、それはアメと鞭を使い分ける高度な戦略であるからして決して邪魔してはならんぞ。」
やたらと真面目な声で重々しく言うアリーナだったが、すぐに表情を崩して悪戯っぽく笑う。
今度は一転して軽い口調。
「というのは、駄目か?」
真正面から甘えられて、大きくため息をつくエミリ。
俺の頭のてっぺんから足元までをじっと眺める。
「はぁ。わかりました。例えこの男が悪漢だったとして姫様がこのような軟弱に遅れをとることもないでしょう。ただし私も同行します。不審者と姫を2人でなど民への説明がつきませんので。」
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話がまとまったところで、2人は部屋から出て行った。向こうの支度ができたらまた呼びに来るとのことだった。不審者呼ばわり、まあ実際そう思われて仕方ないのだが、の割に手錠も鍵もなし。随分不用心だと思ったが、
「逃げようとしても無駄ですよ。昨日話した通りこの国から出る門は1つ。門番には貴方のことを伝えてあります。」
とのエミリの談だ。
さて、まあそんなことはいい。悪さをするつもりもないしな。
差し当たり俺のしなければならないことはと言えば。
「2人が来る前にこいつをどうにか片づけることだな。」
先ほどエミリが持ってきた盆を見つめる。量がそれほど多くないのがまだ幸いか。
俺の味覚はおかしい。
いや味覚だけでない、五感全てがおかしい。・・・いやそれもちょっと違うな。
より正確に言うなら、五感は正しく機能していて他の人と同じように外部からの情報を取り入れるのだが、それを処理する感性に問題がある。
俺、桂木 春也には世界の全てが紛い物に感じられる。
皆が感動する自然を目の前にしてなんの感情も湧かず、皆が楽しむ食事も異物を無理やり口に押し込む苦痛の行為でしかない。
本物の空とは、食事とは、こんなものではない。そんな違和感を抱かずにいられない。
そんな日々を過ごすうちに思うようになる。異物はこの空でも、食事でもなく、自分なのだ。
自分はどこか、別の世界からここに来たのだと。
そして、自分が生まれた世界には俺が美しいと思える空があるのだと。
黒い渦を通った時には密かにこの異世界こそが、そうなのではないかと微かに期待したが、残念ながら違ったらしい。
まぁそれはいい。今この状況で重要なことだけ言うなら、俺にとってこの世に存在する全ての食事はゲロマズなのだ。
例えばこのパン。見かけも味も元の世界で食べていたものと殆ど変わらない。乾燥していて少々固く感じる程度だろうか。他の人間なら特別な幸福は得られないにせよ、普通に腹を満たして満足感を得ることができるだろう。
俺の場合、感じる味自体は同じなのだが、強い違和感、異物感を感じる。次に吐き気、幼い頃はそのまま吐き出してしまっていた。
物心ついた時から、この感性と付き合うこと10年以上。流石にもうもどしたりしないし生きるために最低限の咀嚼をし無理やり飲み込むことにも慣れているが、傍から見ると非常に不愉快だったり険しい表情を浮かべてしまう。そのため誰かと食事を共にすることは避けてきた。
特に今回のような、もてなしとしての食事は余計にマズイ。
あのメイドに見られたら無礼と叩き切られるかもしれないし、姫様が済まなそうに謝り落胆する姿も目に浮かぶ。
そんなわけで1人でいられる内に超速攻で片づける。
まず拳1つ分程のパンを一気に口に放り込む。それだけで口は一杯になったが最低限の咀嚼をし、少し空いたスペースに豆とイモを一気にかっ込む。猛烈な吐き気に襲われながらもなんとかそれを抑え込む。
よし、ここまできたら後はゆっくり噛んで少しづつ飲み込むだけ。
というところで急にドアを開けられた。
「不審・・コホン、お客様。お召し物の替えをお渡しするのを忘れておりました。姫様の横を歩かれるなら昨日お渡しした粗末なものや、珍妙な血みどろ服では――」
声の主はエミリだった。外出用の服を持ってきてくれたらしい。
口いっぱいに食事を頬張る俺と目が合うと明らかに不快な表情。
「貴方、本当に豚かなにかですか?」
驚きから口の中のものを一気に飲み込んでしまう。
激しく咳き込む俺。
「ゴホ、ゴッホ、ンンッ、ウン、いや、ゴホ、これには深い理由が!」
「あまり上等な食事ではなかったかと思いますがご満足いただけたなら結構。是非姫様にも感謝をお伝えください。」
足早に立ち去ろうとするメイドの背中めがけてどうにか弁明をと思ったが、向こうから姫様の話を出したので、昨日から内心何度も思ってたことを投げかける。
「悪いな。姫様と何度も口論させちまって。俺があんたの立場だったらやっぱり怪しがると思う。旗のことで迷惑もかけちまってるしな。」
ピタリと歩みを止めたエミリはゆっくりと振り返る。
「構いません。それに民への体裁がありますからこのような対応をしていますが、本来なら姫様が大丈夫と言った時点で貴方が悪人でないことはわかっています。」
ちょっと意外な言葉だった。このメイドは本気で俺のことを賊や盗人だと疑ってるのだとばかり思っていたから。
「随分信頼してるんだな、姫様のこと。」
「もちろん人間として尊敬とお慕いをしているのは確かですが、それとは別のお話ですね。」
少し俯くエミリ。言っていることはよくわからないが、それ以上話す気はないという雰囲気をヒシヒシと感じたので追及はしないでおく。
「なんにせよ、貴方がこの国で人間らしい扱いを受けられるのは全て姫様のおかげだということです。」
「ああ、感謝してるよ。アリーナにもあんたにも。」
できるだけまっすぐに本心からの感謝を伝える。大きなリアクションはなかったが、俺が言わずにいられなかっただけだからそれでいい。
「・・・少しでも姫様の御心に報いたいという気持ちがあるのなら、どうか貴方がどこから来たかお話を。」
「はは、取り調べを進めたいってことな。」
「いいえ、姫様は、この国の外の話を聞くのがお好きでいらっしゃるので。」
そう言って去っていく彼女の無表情は先ほどまでよりなんとなく柔らかく見えた。