旗と制服
伸ばされた手に応えた後、とりあえず一番気になることを聞いてみた。
「ここは?」
俺の質問に姫で神と名のった少女は悪戯っぽい笑みを浮かべると少し考えるようなそぶりをする。
「ふむ、どのように答えたものかな。
ここは我らの偉大なる父カム=ラナイカンが創りたもうた大地メギドゥス。
その第4の島ヤッカルマン。
その最も南に位置する国こそ、ここタラトステンだ。
そしてこの部屋が客間で
今お前が寝そべっているのがベットだ。
疑問は解消したか?」
「ベットと客間以外は初めて聞く。」
「ははは!そうか、ならばタラトステンの名くらいは覚えてもらわねばなるまいな。エミリ、客人に我が国自慢の茶と菓子を。」
どうやら素直な回答が、向こうの冗談に冗談で返す小粋な返答となったらしい。
後ろのメイドが愕然とした表情で俺への不信感を高める一方で、アリーナと名のった少女は豪快に笑う。
メイドは顔を無表情に戻し姫様のそばに寄る。このメイドも隣の姫様と同じくらいの年齢に見える。
「恐れながら姫様、茶も菓子もバーゲルから交易で仕入れたものです。タラトステンの特産はご存知の通り洗濯糊ですが、お持ちしましょうか。」
「そ、そうであったな。客人、今貸し与えているその服が真っ黒に汚れる時まで待つが良い。その時こそタラトステンが誇る驚異の漂白力をご覧にいれよう!」
どうやら調子にのると勢いで喋ってしまうらしい姫様。少女らしい声と相まって、口調のわりにイマイチ威厳を感じない。こちらの不敬な思考をよそに、ふふんと自慢げな表情。
さてどうするか。どうやらここは予感してた通りの別世界。
聞いたこともない神様が創った聞いたこともない大地。
でもちょっと安心だ。この世界にも菓子はあるらしい。チョコレートを頬張る先輩を思い出し、なんとなく先輩がこの世界にいるということに確信が持てた。
「折角だけど人を探してて、長居する気はないんだ。」
「ほう、人探しか。どんな奴だ?」
「黒髪おかっぱで無愛想な女。たまに笑う。趣味は間食と買い食い。ズルとインチキ。」
「なるほど、可笑しな客人の探し人はやはり可笑しな奴というわけだ。エミリ、知っているぞ。類友というやつだ。」
「恐れながら『類は友を呼ぶ』です。言葉は正しく、美しくお使いください。」
無表情のまま、しかし苛立ったような声で略語を注意するメイド。
聞こえていなかったかのように楽し気に話を続けるアリーナ。
「しかし、残念ながら心当たりはないな。タラトステンは偉大だが小さな国だ。お前のような変わった客がいればすぐに私の耳に入っていただろう。」
「そうすか。じゃあ、他をあたってみますかね。」
「それがいい。だが今発っても森の中で行き倒れるのがオチだ。それに客人は盛大にもてなすのが我が国の流儀だからな。今晩は泊まっていけ。夕食を用意させよう。」
「姫様。その前に旗の件をこの方にご説明いただけますか。」
旗と聞いて思い当たるものがあった。落下中に見た獅子の旗だ。
「それって俺が落ちてきた時にクッションになってくれた?」
「『なってくれた』のではなく『してさしあげたのです』。姫様の咄嗟の機転による指示で。」
俺に対しては表情もあからさまに苛立てて訂正するメイド。
「エミリ、そのことはもういいではないか。」
「よくありません!!もともとはそのためにこに来たのではないですか!!私がやると言ったのに姫様が直々にお話になると言うから仕方なく・・。」
「ううむ・・しかしあれは不可抗力とかいうやつではないか?」
多分俺のことで2人がなにやら言い争っている。こういう状況はなんとも居心地がよくない。
何より何か世話になったらきちんとその恩に報いるのが本当の人間の行いだ。
「なんだ?俺を助けてくれたことと関係あるんだろう?それなら聞かせてくれよ。」
「身元不明の不審者でありながら素晴らしい心がけです。姫様、お客様もああ仰っています。」
「ううむ、しかし本当に大したことではないのだ。くれぐれも変に責任を感じたりはしないで欲しい。」
「見ていただくのが一番早いでしょう。ご案内いたします。説明は道すがら。ついでにあの珍妙なお召し物もお返ししましょう。」
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連れられるがままに外に出るとすっかり日が暮れていた。
今までいた建物は小高い丘のてっぺんに建っていた。
国だ姫だと言うから城にでもいるものだと思って居たが、それはそこまで立派なものではなく館というくらいの規模のものだった。
丘の麓に広がる街並みもそう。国というには小さい。東京ドーム何個分で片付きそうな規模だ。平たい土地の性質と相まって丘の上から全体を見渡せる。
顔を上げると今いる丘よりも遥かに高い山が街並みをぐるりと囲んでいるのが見える。
「壮大だろう。この険しい山々の内側が全てタラトステンだ。山の切れ目に唯一の門。自然の要塞と呼ばれ如何に優れた名将でもここに攻め入ることはできん。」
「一方で、厳しい自然との闘いは避けられません。土地は狭く、獣・魔物は頻繁に街に降りてきますし、大雨が降れば容易に冠水、浸水。民に食料を安定して供給することさえ困難なのです。」
「そこで祖先はある商売を始めた。金を稼いで不足する食料を他国から買いこもうとな。それが現在も続いている。」
丘を降りてすぐの場所にある、大きな小屋に案内される。
他の建物はレンガ等でできているようだがこの小屋は木製だ。
小屋の中には夥しい量の衣服が積み上げられており、それに囲まれながら大勢の人が木桶に衣類をつけたり出したり、時には擦ったりしている。木桶の近くには壁から筒のようなものが伸びており、そこから絶え間なく水が注がれている。
規模は全く違うが時代劇とか昔話の一場面として似たような光景を見たことがある。
これを商売にしているということは、それはつまり。
「ええと、洗濯屋?」
「ええ。先ほどお話したように我が国の特産は洗濯糊です。近隣の森でとれる植物を原材料としており非常に優秀な洗浄力があります。祖先の代から徐々に信頼を得て、今では主に他国の王族・貴族の皆様からお召し物やお城でお使いのシーツ、カーテン、カーペットなどをお預かりしています。その商業範囲はヤッカルマン全土に及びます。」
「客人、こっちだ。」
アリーナに招かれ大洗濯場の奥にある扉へ向かう。
「特に大国ハメルシュタインの王家にはとてもご贔屓にしていただいています。
かの国の伝統ある騎士団のシンボル、金色獅子の旗をお預け頂けるほどに。」
扉の向こうには赤黒い染みがべったりとついた獅子の旗。そして同じ状態の俺の制服があった。