あした天気に
「あーした、てんきになぁーあれ!」
夕暮れ近い空の下、小さな運動靴が宙を舞う。
幼い力で飛ばされたそれが、幼いなりの力を使い果たして地に落ちる。
「うん、生きるというのはこういうことだね。」
弧を描くような一連の運動を見ながら彼女が言った。
まるで詩でも朗読しているみたいにゆっくりとした綺麗な声と、
どこか淡々とした、共感を求めているのか、ひとり言なのか、
どちらともそれ以外とも察することのできない話し方で。
「自らを世界に放り投げて、その運命を試す。そして時にはその結果に打ちひしがれる。」
裏返しに地面に転がる靴。マジックテープはべろりと剥がれ、砂にまみれてる。
「だから、そんな時には。」
「なにすんだよ!それおれのー!」
突然それを拾い上げた彼女は、駆け寄ってきた持ち主の子供らしい甲高い、しかしながら正当な非難を聞いているのかいないのか。靴を表に返して地面に戻す。
「あー、ズルいんだー。」
「ごめんね。明日は雨だと困るんだ。」
先ほどと同じ話し方に子供向けの優しさをほんの少しだけ混ぜた口調で詫びて、彼女は歩き出した。
「なにやってんですか、先輩。」
「運命に抗ってみたんだよ。あの子の言う通りズルしてね。」
「はぁ。」
何が楽しいのか、どこか上機嫌な先輩は俺の少し先を弾むように歩きながらカバンをガサゴソと漁っている。彼女の言動は、声やパッと見のイメージとは裏腹に案外落ち着きがない。
「ほら、これもズル。逃れ難い苦難を乗り切るためのね。」
そう言ってカバンから袋を取り出し、取り出した袋の中身を1つ俺に差し出した。
マトリョーシカじみた経過を経て出てきたのは、透明なフィルムの端をねじって包装された小さなチョコレートだ。
「苦難って…、期末テストがそんなにしんどかったんすか?」
「ううん。でもどんな小さな苦しみでも、ちょっとでも楽になるならその方がいいでしょう?」
俺に渡したのと同じチョコを口に含み、無表情を少し緩ませる先輩。
その甘さを堪能仕切ると、すぐ袋の中、次のもう1つに手を伸ばす。
個数制限でもしてるのか一瞬ためらうように動きが止まったが
「・・・そのためなら多少のインチキも辞さない。」
結局2つ目のチョコを取り出して口に含む。
「ズルっていうか、ただの息抜きでしょうが。そんでさっきの靴のは気休め。ついでに、人生を楽しくしようってなんかするのは普通、努力とかって言うんですよ。」
先輩の口癖が気になって柄にもないことを言ってみる。
「そう・・、だね。うん、確かにそうだ。」
一瞬驚いた顔をした後、何かに納得して彼女は頷いた。ほんの少し顔を微笑ませて。
「でも、じゃあ、」
その微笑みを悪戯っぽいものに変えて、俺の顔を覗き込み言った。
「君は随分怠け者なんだね」
俺の目をまっすぐと見ながら。
「価値がないって思い込んでる世界を、価値のないまま生きようとしてるもの。」
その瞳は深く、まるで俺の内面を全部見透かされているような、そんな錯覚を覚えた。
「たまに感じるんだ。君はこの世の何にも興味がない。この世の全てに失望している。」
彼女の顔にさっきまで浮かべていた微笑みはなく、逆に俺が誤魔化すように口角を引き上げるハメになった。
「『自分のいるべき場所はもっと他にある』って思ってそうなそんな感じを、ね。」
「別に、そんなこと・・ないすよ。」
それは彼女への返答だったか、自分に言い聞かせるために発した言葉だったのか。
その言葉を聞くと彼女はふっ、と表情を緩めた。今度は自然な笑顔。
「冗談だよ。」
彼女は俺に背を向けて、また少し前を歩き出す。
歩き出したと思ったらまた足を止めて指をさす。
「ねぇ見てごらん、空。もうすぐ日が沈む。こっちからあそこまでは青いけど、その先は橙だよ。中間は紫。」
夕暮れ時の当たり前の空。
でも彼女が言うと、この空の様子がなんだかとても重要で、奇跡的な出来事であるかのように思えてくる。
「綺麗だね。」
そうして彼女はまた微笑んだ。
彼女は変だ。
話す内容も口調も、行動も雰囲気も、本当に変な人だ。
でも彼女のつくる笑顔だけは、どこまでもありふれていて、限りなく普通の少女のもので。
『だから』なのか『しかし』なのかわからないけど、それは俺にとってとても、
そうだ、そんなことはない。
先ほど発した言葉を心の中で繰り返す。今度は確信をもって。
俺はまだ、この世界に失望しきれてなんかいない。
だって、少し遅い通学路、彼女とのいまいち嚙み合わない会話を、なんだかとても心地よく感じていたから。
俺の目には灰色がかって映る青・橙・紫。くすんだ夕焼け空を見上げる彼女を見つめながら。
俺はそんなことを考えていた。
その翌日、彼女、小林 優紀は行方不明になった。
とりあえずプロローグ的な。続きは来週あたりあげたいと夢見てます。