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甘い束縛

今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。

 優菜は意を決し、隣を歩く男性、安達俊介に顔を向けた。俊介は優菜の顔を見ると嬉しそうに微笑む。その極上の笑顔に、優菜は一瞬ひるんだ。なんでこの男は、こんなに格好いいのだろう。180を超える身長に、端正な顔。すらっとした体型で、街を歩いてスカウトされるなんてこと数知れずだ。しかも、それだけではない。俊介と優菜の職場は近くにある。ただし、優菜の職場は、ビルの隅にある従業員10名だけの小さな会社で、俊介はビルの最上階に位置する大手企業だった。そしてそこでエリート街道を進んでいるのがこの端正な男。たまたますれ違った時に、日本語でも英語ではない言葉で楽しそうに会話している俊介を見て、世界が違うと思ったのは少し前の事だった。

隣を歩けるならそれでいい。この笑顔を近くで見られればそれでいい。そう何度も思った。むしろ、昨年の1年間はその繰り返しだった。けれど、今回は決意が違う。新しい年になった。ここで決めなければ、きっと決められない。

 風邪を引くといけないからとグルグルに巻かれたマフラーの下で優菜は口を開く。

「ねぇ、俊介」

「ん?」

「……あのね、話しがあるの」

「何?」

 首を傾げるそのしぐささえも格好良くて、やっぱり言わなくてはと心を決める。

「別れてください」

 優菜は頭を下げた。イルミネーションを見た帰り道。手を繋ぎながら言う言葉ではないことは知っている。けれど、優菜はそう告げた。俊介は驚いた様子もなくにこやかに笑った。

「嫌だよ」

 そこに動揺はなく、ずっと前から優菜が言おうとしていたことを知ってたかのようだった。

 優菜は繋いでいた手を離そうとするが、痛いほどの力で掴まれたその手は暖かいままだった。

「離して」

「離したら、どこかに行ってしまうだろう?」

 だから離さないよ、そう笑う俊介を優菜は初めて怖いと思った。

 俊介の家は、華道の家元で、由緒正しい家だった。そんな家に嫁げばどうなるかわからないほど子どもではない。結婚は、2人だけの問題ではないのだ。華道の知識などなく、一般常識ですら怪しいところがある優菜が嫁げる場所ではない。

「どうしてそんなこと急に言いだしたの?あ、家のことが心配?それなら俺は跡を継いだりしないし、家に戻らなくてもいい。優菜が嫌なら正月とか節目の挨拶だって行かなくたっていいよ。優菜が心配することは何もない。だから安心して俺の隣にいればいいよ」

 そう言い、俊介はまた歩みを始めようとする。この話はおしまい、と言うように。けれど優菜は終われなかった。幸せな思い出を乗り越えて、別れる決意をしたのだ。そんなに簡単には引き下がれない。

家のことは気にするなと、何度も言われた。そして、一度だけ会ったことのある俊介の両親も自分たちの暮らし方を押し付けることはしないと笑ってくれた。結婚の話が出たわけではないが、年齢もちょうどいい頃であるため、心配のないようにとそう言ってくれたのだろう。それほど良いご両親だった。

 けれどそれでも、無理だと優菜は思ったのだ。結婚してしまえば、そんな口約束どうにでもなる。それに、俊介や俊介の両親が求めなくとも、きっと世間が求めてくる。それにがんじがらめになるのは目に見えていた。しかも、不安はそれだけではない。

「…俊介と私じゃ、つり合いが取れないよ」

 自分の顔に自信を持ったことは一度もない。客観的に見てもそのレベルの容姿だ。友人にも、「中の下だね」と真顔で言われる。そんな優菜の隣に上の上がいることがおかしいのだ。もし、子どもができて、一人が俊介に似て、もう一人が自分に似てしまったらと考えると怖くなる。「どうしてお母さんの顔に似たんだろう」と悩まれでもしたら、やっていけない。

それに、俊介の端正な顔は人を引き付ける。しかも華道の家元の息子であり、若くして一流有名企業で一目置かれる男だ。29歳と仕事の場ではまだ若いが、それだけ大きな会社であっても社長が俊介の名前を憶えているのだから大したものだろう。

エリート街道まっしぐらの俊介にはいろんな人が集まった。モデルかと思うほど綺麗でスタイルもいい女性たちが俊介に言い寄っているのを何度見ただろうか。俊介がいわゆるB専だとしたら自分と付き合っている現状に納得しただろう。けれど、俊介の元カノがご丁寧にも写真付きで、いかに自分たちが仲が良かったのかを説明してくれた。その元カノは本当にモデルだと言うのだから驚きだ。

それなのになぜ、私なのか。優菜はずっと悩み続けた。容姿、頭も悪い。家は普通で、勤めている会社は小さい。そんな自分と付き合って俊介になんのメリットがあるのだろうか。この付き合いも、すれ違ったときに一目惚れをした優菜がダメもとで告白したのをOKされただけだった。なぜOKしてくれたのか。そして今もどうして隣にいてくれるのか。この一年ずっと疑問で、けれど怖くてずっと聞けなかったことだ。

「…もっと、綺麗な人と付き合えばいいじゃない。なんで私なの?」

「優菜は綺麗だよ」

「そんなことない!」

「でも、本当の事だよ」

 優しい声がなんだか無性に腹が立った。必死で伝えようとしているのに、俊介からは笑み以外の表情は見られない。それがたまらなく悔しかった。

「もう嫌なの!俊介につり合うように頑張って、でもその頑張りだって無駄なくらい俊介は遠いの。…もっと自分に合う人の隣にいたい」

「…」

「俊介の隣は苦しいよ」

 本当の気持ちだった。なぜかわからない。けれど俊介は本当に好きだという目で優菜を見た。だから、優菜も俊介の隣にいた。隣にいて俊介の評判が落ちないよう精一杯背伸びをした。けれど、その背伸びも意味がないほど、俊介は遠かった。会う時はブランドの服を着た。メイクには一時間以上時間をかけた。マナーを身に着け、おしゃれなところで食事をした。俊介に会わない時のメイク時間は5分ほど。おしゃれなところより、おじさんばかりの居酒屋が好きだ。服にお金をかけるなら、もっと好きな俳優のDVDにお金をかけたい。

「何度も言ってると思うけど、そのままの優菜でいいんだよ」

 そう優しく笑いかける俊介。その笑顔が余裕に見えて、優菜はまた一人腹を立てた。必死の覚悟の告白も、本気ではないと思われているのではないか。そう思い、強く繋がれている自分の手を強引に引っ張った。けれど逆に腕を引かれ、俊介の胸に収まる形となる。

「離して」

 そう言う前に、俊介が両手で優菜の顔に触れた。

「…」

 顔に触れたその手が震えている。優菜は驚き、笑顔の俊介を見つめた。

「俺は別れないよ」

 俊介の顔が近くなる。強引なキスだった。いつもの冷静さがまるでない。奪うようなキス。息をするために開いた口に、無遠慮な舌が差し込まれた。

「…っ…ん」

 思わず漏れる自分の甘い声。嫌だと俊介の胸を叩くが、解放されなかった。甘すぎる刺激に足から力が抜けるのが分かる。それをわかっていたように俊介は優菜を受け止めた。

「家、行こうか」

 問いかけのようであったがそこに優菜の意見が反映されることはない。

「たっぷり愛してあげるね。…別れたいなんて言えないくらい」

 囁かれた甘い声に、逆らえるはずもなかったけれど。


 すやすやと眠る優菜の寝顔を俊介は愛おしそうに眺めた。無理をさせたから、明日はきっとどこにも行けないだろう。それでもよかった。優菜がいるなら、場所はどうでもいい。

 初めは、違う味に手を伸ばしたという単純な理由だった。けれど、自分に合わせてくれる優菜がかわいくて、気づけば夢中になっていた。確かに綺麗な顔だとは言い難い。それでも、小さな目は可愛く、気にしている低い鼻もキスがしやすくて好きだった。手料理もおいしい。一緒にいれば、疲れが取れた。

 優菜はよく説明を求めるが、きっと納得する理由は見つからない。小さいものの積み重ねだ。だけど、誰よりも好きなのだ。

 別れたい、そう思っていることは知っていた。無理をしていることも。そのままでいいと何度言っても、聞いてくれないのだから俊介にはやりようがなかった。

「無理やりにでもはめるかな」

 寝ている優菜の左手薬指を撫でながら自分のためにウエディングドレスを着た優菜を想像し、俊介は一人にやける。

「可哀想な優菜。俺なんかに捕まっちゃって。でも、逃がしてあげないよ。次に別れたいなんて言ったら、今日の倍はお仕置きするからね」

 俊介は極上の笑みを浮かべ、寝ている優菜にキスをした。

初め短編のつもりが続いたので連載にしました。お気に入り等にしていただいた方はわかりにくくてすみません。

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