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優しさに包まれて

 丘を越えると、小さな集落が見えた。あそこはチェスタトン(うち)の領地ではない。お隣のモンク公爵家の領地だ。


「止まれ!」


 領地境の街道には衛兵の詰め所がある。赤い制服の衛兵が2名、私達を見つけると長槍を手に立ちはだかった。


「あっ、これはポリニャック伯爵!」


 長身の衛兵が、ラファルの馬具に刻まれた紋章を見て、ハッと畏まる。


「ああ。ご苦労。こちらはチェスタトン公爵令嬢だ」


「はっ。失礼いたしました! どうぞ、お通りください!」


 敬礼に見送られて、集落に入る。宿屋や靴屋、鍛冶屋などの店があり、賑やかだ。

 しかし、リシャールは集落には立ち寄らず、真っ直ぐに街道を駆けた。やがてブナ林が見えてくると、ラファルの手綱を緩め、林の中の小径に入って行く。縫うように歩を進めた先に、こじんまりとした赤い屋根の屋敷があった。

 石積みの門の前で止まると、奥から犬の鳴き声が聞こえてきた。程なく、屋敷の中から体格の良い男性が現れた。


「ルメット」


「坊ちゃん、お待ちしてました」


 一礼の後、隙のない身のこなしで門を開ける。私達が歩み入ると、素早く閉じられた。


「ああ。馬を頼む」


 リシャールに倣って馬を下りれば、彼はラファルとプチブランの手綱を取り、男性に預けた。


「はい。こちらの方が」


「チェスタトン公爵令嬢だ」


「初めまして。私は、ポリニャック伯爵家の執事、ルメットと申します」


「初めまして。ベアトリス・チェスタトンです」


 やや薄い頭髪に白いものが見える。年の頃は50代半ばくらいだろうか。人当たりの良い笑顔で挨拶を交わした。


「どうぞ、こちらへ」


 ルメット執事に案内されて、2階の一番奥の扉の前まで通される。


「奥様」


 執事が3度ノックした後、返事を待たずに、扉を押し開けた。

 薄々感じていた。リシャールは教えてくれなかったけれど、何の目的でここに来たのか。


「母上。突然、すみません」


 一礼すると、リシャールは臆さずに部屋の中央に歩いて行く。部屋の内側へ通されていた私は、一歩だけ進み、扉の前で佇んだ。


「ふふ。貴方は、いつも突然でしょう?」


 窓辺に佇んでいた細い人影が、ゆっくりと振り向いた。逆光を浴びたブロンドが、フワリと柔らかなシルエットを描く。


「そちらの方ね?」


 近付いたリシャールが跪いて、手の甲に口づける。挨拶が済むと、ブロンドの女性は息子の肩越しに、こちらに視線を向けたようだ。

 ドキリと緊張が走る。

 すぐに踵を返したリシャールが、笑顔で私を迎えに来た。


「おいで、ベアトリス。僕の母様だ」


「――私、こんな格好で……失礼じゃ」


 遠乗りするというので、お洒落より機能性を優先した質素な麻のドレスを着てきた。化粧だって、普段通り。遠乗りしてきたから、うっすら小汗もかいている。


「いいんだよ。さぁ」


 気後れする私の手を取ると、彼はグイと引いた。

 確かに、ここまで来て逃げる訳にはいくまい。えーい、リシャールの馬鹿ぁ!

 胸中罵りながら、彼のエスコートを受けて、ポリニャック伯爵夫人の御前に進む。


「母様、僕の(・・)ベアトリスです」


「はっ……初めまして。ベアトリス・チェスタトンと申します」


 ドレスを摘まんで、深く礼をする。頬が熱い。声も手も震える。『僕の』とか、急に言われたら、動揺するじゃないの!


「顔を上げてくださいな、ベアトリスさん」


 温かい声だった。恐る恐る姿勢を正すと――スッと細い手が伸びてきた。


「綺麗な瞳ね。貴女、お幾つ?」


「春に16歳になりました」


 ポリニャック伯爵夫人は、リシャールと同じ飴色の瞳を細めた。色白で目鼻立ちのはっきりとした、美しい女性だ。私の母が生きていれば――彼女のようだったのかもしれない。


「この子はね、ちょっと強引で変わったところがあるけれど、物事を確り見極めることは出来るの。息子が選んだ方なら、間違いないわね」


 私の手を両手で包むと、夫人はにっこりと笑った。リシャールに似た――陽だまりみたいな笑顔だ。


「リシャールをよろしくお願いしますね、ベアトリスさん」


「こ……こちらこそ、未熟者ですが、どうかよろしくお願いしますっ!」


 嬉しくて、顔に血が上る。慌てて頭を下げた。


「ふふ。可愛らしいわね。ベアトリスと呼んで、よろしくて?」


「もちろんです! あの……お母様とお呼びしても?」


「まぁ、嬉しいこと。私、ずっと娘が欲しかったのよ。こちらにいらっしゃいな、ベアトリス」


 ポリニャック伯爵夫人は、私を部屋の奥に招き、鏡台の前に座らせた。

 戸惑っていると、引き出しの中から何かを取り出して、私の胸元に止める。百合の花に囲まれたアフロディーテの横顔が掘られた薄紅色のカメオだ。


「お母様……!」


 焦って胸のカメオに触れた私の手を押さえ、夫人はにっこりと微笑む。


「いいの。いつか娘にアクセサリーを譲るのが、夢だったのよ」


 重なった掌から伝わる温もりが、そのまま胸に広がり――一杯になる。堪えられなくなって、涙が溢れた。

 彼女は、私の頬にそっと頬を寄せ、目尻の皺を深くした。


「もらって下さるわね?」


「お母様……」


 泣き笑いのクシャシクャな顔で、私は大きく頷いた。夫人は小さな子どもをなだめるように、私の髪を優しく撫でてくれた。


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