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君の名は……

 翌日から、リシャールは毎日我が屋敷にやって来た。午前中のレッスンが終わり、お昼を食べた数時間後――2時か3時には、あれこれ菓子を携えて、愛馬ラファルに乗って来るのだ。


「リシャール様、お嬢様にぞっこんですねぇ」


 お茶の準備をしながら、マリーは嬉しそうにクルクル動き回る。テーブル上の花の向きや、小物の位置など、失礼がないようにと細やかに手直ししている。一方の私は、茶葉とティーセットを選んだ後はすることがないので、ソファーで詩集をパラパラ捲る。


「やだ、変なこと言わないでよ」


「ふふ……お嬢様も、満更ではないんでしょう?」


 確かにリシャールとのお茶の時間(ティータイム)は、私の日常に彩りを与えてくれている。彼の前では、自分を――あれ程コンプレックスだった笑い声を抑えることなく――解放出来るのだ。


 むしろ、リシャールは私に笑って欲しがった。元々女性の笑い声には拘りがあったらしいのだが、彼曰く


『貴女の笑い声は、極上の媚薬だよ』


 ……と、それはそれはウットリと、とろけた眼差しを向けてくるのだ。


 侍女長のエレノアに言わせると、殿方には1つや2つ性癖(フェチズム)があるのだとか。リシャールの場合は、それが『笑い声』で、私の笑い声がドツボ(・・・)なのだろうとのこと。


「――はあぁ……」


 『豚のような笑い声』がドツボの性癖って、どうなのよ。それって、相当変態なんじゃ……。


「ま、お嬢様。恋煩いですか?」


「違うっ!」


 そして、私を戸惑わせている事態が、もう1つあった。


『ベアトリス、時期を見て――貴女と婚約したい。父君に、正式に申し込みの挨拶をさせてくれないか』


 これを聞いた父は、腰を抜かさんばかりに驚いた。


『ベアトリス……お前、知らんのか? ポリニャック伯爵家というのは、ラスムッセン王の第3夫人シャルロッテ妃の旧家だぞ』


 リシャールの本名は、ヴィクトール・リシャール・ラスムッセン。彼は、国王陛下の第5王子だったのだ。


「公の場以外は、母の旧姓を名乗っているんだよ。用心のためにもね」


 リシャールは、悪びれることなく、カラカラと笑った。


 しかし、彼と婚約――ゆくゆくは結婚ということになれば、王族の一員になるということだ。私に大それた出世欲はない。むしろ、あれこれ堅苦しいしきたりは、煩わしくて勘弁して欲しいくらいだ。


「はぁー……」


 憂鬱な溜め息が溢れる。

 こんな奇妙な笑い声の女なんか、リシャールは良くても、高貴な皆様が受け入れてくれるんだろうか。


「大丈夫。僕の母は身分が低いし、第5王子なんて、居ても居なくても差し障りのない存在だからね」


 やって来たリシャールは、当たり前のように2人掛けのソファーに私と並んで座る。婚約を口にして以来、彼は私との身体的距離を積極的に縮めてくるようになった。


「でも……都に住んで、公務とかもあるんでしょう?」


 彼は隣で、半分に割ったスコーンにリンゴのジャムを乗せている。その横顔を覗き見れば、スコーンを私の口元に寄せてきた。こういう恥ずかしいことを、真顔で求めてくるから困る。


「自分で」


 私は首を振って拒否を表す。


「却下。ほら、唇を開いて」


 顔を近付けて、耳元で低く囁く。


「あ、あのね、リシャール……」


 頬に血が集まってきていることが分かる。真っ直ぐな彼の瞳も、まともに見られない。


「喋らない。それとも、口移しをご所望かな?」


「う……」


 やりかねない。スコーンの端を彼自ら咥えそうだったので、慌ててパクリと一口齧った。


「よしよし」


 残ったスコーンを、ポイと自分の口に放り込んで、満足そうに頷いている。

 何なのよ、この恥ずかしいプレイは!


「そうだ。ベアトリス、乗馬は出来るかい?」


 私の質問に応えもせず、唐突に話題を変える。


「……ふぇ」


 まだスコーンに口内を占拠されている私は、間抜けな返事で頷いた。


「良かった。じゃ、遠乗りしよう。明日は少し早めに来るよ」


 リシャールは、にっこり笑顔を見せると、ティーカップに口を付けた。


 約束通りリシャールは、翌日1時過ぎにラファルに乗ってやって来た。

 私も久しぶりに、愛馬プチブランに跨がる。黒と白の2頭が連れ立って、ゆっくりと田舎道を駆ける。


「葦毛か。いい馬だね」


「元々は、すぐ上の兄の愛馬だったのよ」


「お兄さんは、今は?」


「2人とも、父と都にいるの。今度のナタリア様の御婚礼の護衛部隊に加わるんだと自慢していたわ」


「それは心強いな」


 チェスタトン公爵家は、代々近衛部隊の指揮官を輩出する家系だ。父に倣い、兄達も入隊した後は、皆長らく都勤めだ。

 まだ兄が領地にいた頃、幼い私は後ろから抱えられるようにして、一緒に馬に乗せてもらった。やがて独りでも乗れるよう、練習した。兄達に置いていかれまいと必死だったのだ。私のお転婆振りは今に始まったことではないが、男兄弟と育ったせいで随分と活動的になった、とマルタンが嘆いていたっけ。


 他愛のない世間話をしながら、小麦畑の間を抜けて行く。空に少し近付いて、風と一体になって走るのは心地良い。


「リシャール、目的地は遠いの?」


「そうだなぁ。丘を越えた木立の奥だから、後30分もかからないかな。疲れたのかい? 大丈夫?」


 ラファルのスピードを緩めると、彼は私を気遣ってくれる。


「ありがとう、大丈夫。雨が心配で」


「ああ、そうか……うん、急ごうか」


 進行方向の丘の向こうに、大きな白い雲が山のようにそびえている。あんな雲は、午後に一雨もたらすものだ。


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