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素顔のままで

 「ベアトリス・チェスタトン公爵令嬢は、笑わない女」「美人だが、鉄皮面だ」――そんな風評は、当の本人の耳にも届いている。決して褒められた評判ではないけれど、私の秘密がバレるよりは、まし。


「ブビッ、ブビッ、ブビィー」


「はいはい、リシャール。ほら、お前の好きなリンゴよー」


 ブヒブヒ鼻を鳴らしながら、与えたリンゴをムシャムシャ食べる。ピンクの温かい背中を撫でながら、私はペットの仔豚を愛でる。


 聖書がけなしたせいで、豚は卑しい生き物とされているが、そんなことはない。綺麗な藁を好むし、穏やかで、温かい。うぶ毛が生えた身体は柔らかく、つぶらな瞳はキュートで可愛い。勿論、私だって豚肉を食べる。我が家の田舎の別荘では、牛やガチョウと一緒に飼育している家畜だ。


「お嬢様ー、どちらにいらっしゃいますかー?」


「マリー、納屋よー」


 バタバタ足音がして、間もなく彼女の栗毛が現れる。


「まぁた、こんな所でサボって」


「いいのよ。やっと帰って来たんだから」


 藁の上にポスンと仰向けになる。立ち上る乾いた香りに包まれ、癒される。


「ダメですよぅ。アルモン先生がお見えになりますよ」


 齢50に近いピアノ教師は、いつも昼食前にやって来る。1時間半のレッスンの後、我が家で昼食をいただいて帰るのだ。


「もー、1週間くらい放っておいて欲しいわ」


「ダメですっば。ほら、戻りますよっ」


「あーん、リシャールぅ」


「ブヒブヒ」


 愛豚にすがるも、非情なマリーに引き剥がされて、仕方なく母屋に戻る。

 都会とは違って、広い青空には雲が浮かび、小鳥の歌声が賑やかだ。サワサワ揺れる草の匂いも、私は大好き。こんな気持ち良い初夏の風が薫るのに、室内で無機質なピアノの前に縛り付けられるのは、敵わないなぁ。


「ちゃんと手足を拭いて、着替えてくださいねっ」


 寝室に入ると、真っ直ぐ鏡台の前に誘導され、髪にブラシをガシガシかけられる。座った椅子の足元に、藁屑が幾つか落ちた。


「ねぇ、マリー。午後から散歩に行きたいわ」


「詩作の宿題は終わりました?」


 そうか。明日の午前中は、ピアノの代わりに詩人の先生が来るんだった。


「……だから、題材を探しに行くのよ」


「仕様がありませんねぇ」


 苦しいこじつけを返すと、鏡の中のマリーはやれやれと首を振りながらも、承諾してくれた。


「ブビビッ。ビスケット(おやつ)を持って行きましょうよ!」


「はいはい。じゃあ、早くバスルームに行ってくださいな」


「はぁい」


 お楽しみがあるから、レッスンは乗り切れる。温いシャワーで手足を洗いながら、鼻歌が漏れた。


ー*ー*ー*ー


 ビスケットとリンゴ、栓付きポットに入れたミルクをバスケットに詰めて、マリーと屋敷を出た。我が家の領地は、王国北東部に位置し、はっきり言ってド田舎だ。ムスタリ山とその麓に広がる国有地にさえ踏み込まなければ、領地内はどこに行っても平和そのものである。


「丘の花畑に行こうかしら。重くない?」


 ポカポカした日射しの下、田舎道をのんびり歩く。まだ汗を引き出すような気温ではないけれど、バスケットを持つマリーを気遣う。


「大丈夫ですよ。でも、あんまり遠出は……」


「分かってるわよ。心配性なんだから」


「お嬢様が、奔放過ぎるんですっ」


 小川に架かる橋を渡り、左右に広がる小麦畑を眺めながら進む。


「ベアトリス様ー!」


 畑の中から名前を呼ばれた。頭巾を被った女性が、大きく手を振っている。


「あら、ラプトンのおかみさん!」


 彼女は、うちの領地で暮らす農民だ。貸している農地を耕し、農作物を納めてくれている。主従の関係ではあるけれど、父も後継ぎの兄達も領民には寛大だから、時折他領地で耳にする一揆とは無縁、至って良好な関係だ。


「お嬢様、帰ってらしたんですね。ちょっと……お痩せになりました?」


 彼女は雑草を刈っていたようで、腰の革袋に鎌をしまって、一礼した。それから、少し心配そうに私の顔を見上げた。


「都は、なんか色々疲れるのよー」


 笑顔で言い訳を口にする。多分、気疲れのせいだ。婚約破棄騒動のせいでは、絶対ない。


「お大事にしてくださいましね」


「ありがとう。お宅の坊やは、お元気?」


「はい、お陰様で。届けてくださった薬草が効いて、すっかり傷痕もなくなりました」


 都へ行く直前、彼女の5歳の末息子は怪我をした。友達と川釣りをしていて、岩から足を滑らせ、脛をザックリ切ってしまったのだ。医者を呼んでいる間、ストックしていた薬草を下男に届けさせた。後日、無事の報告を聞いていたけれど、傷痕が残らなくて本当に良かった。


「良かったわ。でも、あんまりヤンチャさせちゃ、ダメよ」


「あら、お嬢様がそれを言います?」


「やぁねー、ブビッ、グブブッ」


「あははは」


 すかさずマリーに痛い所を突かれてしまい、皆で笑い合う。


「お嬢様、一雨ありそうな気配ですから、遅くならない方がよろしいですよ」


「ありがとう。おかみさんも、無理しないでね」


 雨雲はまるで見えないが、自然と共に暮らす農民の助言だ。礼を言って、彼女と別れた。




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